『真夜中乙女戦争』 読んだ&観てきた〜
先週の土曜日、寝よう!と思ったのが4時過ぎくらい。でも連日昼に寝る、みたいな生活が続いてたせいでなかなか寝付けず、ならせっかくだし…と思って60pくらい読み進めて止まっていた「真夜中乙女戦争」を手に取り、そして6時には私の行動範囲内で一番遅い時間帯に上映が予定されていた映画館でチケットを購入してました。
ついに!や〜〜〜〜っと「真夜中乙女戦争」を観に行ってきました…🥳
昨年末にたまたま広告を見かけていて、正直あの広告は中〜高校くらいにいわゆる中○病的なものを拗らせてる人にはまあまあ刺さりそうな感じ(※私見とど偏見)で、(実際「私」のキャラクターもその類の人間ぽいよな〜〜〜と感じる)正しく私は広告のキャッチコピーとシンプルに顔が良い永瀬くんに興味が湧いてたので、いずれにせよこの映画は観る予定でした❕
元々映画とかは見に行った後に、チケットと一緒にノートに感想書いてたりするので今回いっそここに書いてしまおう〜〜〜〜という次第です😸🎶
私の小説を読んだ上での偏見、というか偏見で骨組みをつくり私の解釈でそれを固めた、みたいな文章なので小説読んでない人(原作は物語の進行も映画とかなり違っている)は非推奨で、あとは何読んでも許せる人で…………!感想は十人と色だと思うのでね……(釈明)ここを開いてくださっている人がいるかは不詳ですが🏃🏻♀️
※監督さんの解説動画?がUPされてるっぽいですが未視聴、コメンタリー付き上映もこのあと見に行くつもりなので、めちゃくちゃ的外れ、見当違いなこと言ってるとは思いますが個人の感想メモということで…!
永瀬くんの演技を初鑑賞するオタク
もとよりこの映画に興味があったのなら折角だし〜と思い、永瀬くんの演技を初めて見る(厳密に言うと『信長のシェフ』をリアタイしているので初ではないが、もうほとんど内容を覚えていないのでノーカン)なら、この作品にしよう!ということでそもそも忙しくてリアタイが難しかったこともありわげもんを見ずに劇場まで行ってきました。(わげもんはゆっくり見る予定🤱🏻)
結論、め〜〜ちゃ良かった………私には演技の巧拙とかは全く明るくないのでわかんないですが、小説で読んで私の頭の中で描いていた「私」をそのままアウトプットした永瀬くんによる「私」が銀幕の中にいて超感動した…;;
綺麗な鼻梁とか小さすぎる顔とか(突然顔の賛美をするな)は全く隠せてないので、明らかに「イケメン」ではあるんだけど、いわゆるアイドルのオーラ的なもの?華やかさ的なものが作中では完全に殺されてて、「私」のあの勝手に一人で世界に諦念して、何か見てるんだろうけどその瞳には実際のところ意味のあるものは何にも映ってなさそうなあの空虚な目!そしてたかだか大学1年生、しかも入学直後、なのに「私は全部わかってるんです」みたいな感じで、教授に正論を振りかざしにいくあの舐めた態度!!うまい〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!(大声)
現状これでキンプリちゃんの俳優業鑑賞は、リアタイで見ていた『花のち晴れ』の平野くん(関係ないけど、前に先輩が「近くで花晴れロケしてたんだよ〜〜」って話していたのをすごい流して聞いてしまったのを今後悔してる……掘り下げて聞いておけば良かった)と、つい先日みた『ブラック校則』の髙橋くんに続いて三作目でした。
それを踏まえ、先に観ていたこの二人が結構明るいというか、平たく言えば「陽キャ」みたいな属性の(そもそもそういう役どころの作品しか見てないじゃん!!!!!というのは一旦置いておいて…)役柄がハマるな〜というのに対して、永瀬くんはちょっと卑屈ぽいというか、常に陽の光の下にいるような感じじゃない、ヒモみのある感じ?草食系…????が似合うな…!?!?という印象。日雇いのバイトに向かうバス車内のシーン、あんなに人って意図的に感情を死なせることができるんだな…って感動した。
神戸から上京してきて、まだ東京に慣れてない感じとか、先輩にというか女性に対してぎこちない感じとか、絶妙な陰気さがめちゃくちゃ上手く出してあってよかった…!(これを書いてる間に読んだ他の方の感想で、ざっくりいうと「童貞感」という言葉で、今回の永瀬くんの演技に関して表現されていて、これだ…!となった、ジャニーズからめちゃくちゃ程遠そうな概念…)
少し残念だったのは、今回映画の脚本ではほぼ完全に「私」の友人である佐藤が物語から退却していたために、永瀬くんの関西弁が堪能できなかった件〜!
永瀬くんの話す丸い雰囲気の関西弁がすきなので、小説を読みながら「私」と佐藤のシーンでは互いに関西弁をふんだんに使っていたので、映画でも永瀬くんの関西弁が聞けるんだろうな〜🥳と勝手に期待していたので残念…。めちゃくちゃ長尺(小説で3ページくらいあったと思う)で、「私」が佐藤を罵倒する場面に特に期待をしていたのですが…;;佐藤…………!!!!!
ともあれ、永瀬くんの演技めちゃくちゃ良かった〜〜!弱ペダ履修がさらに楽しみです➿➿🚴🏻♀️
「分からなかった」が散見されるレポ
一向に観に行ける目処が立たず、実は劇場に足を運ぶ前に「真夜中乙女戦争 感想」で検索をかけていました。物語自体は小説を読んで観にいく予定だったのと、そんなにネタバレを厭わないタイプ(嫌がらせでやるのは許されてはならないと思う)なので、いくつか映画を見た人の感想(といっても観てきた〜くらいの軽いもの)を拝見していたのですが……かなり多い。なんなら探さなくとも検索欄に作品名に続く「分からない」の文字。
そんなに?!?!と思って見ていましたが、小説読了後めちゃくちゃ納得した。
確かに分からん。話は理解できるけど、それを通してあの作品が読者に何を伝えようとしていたのかまでは理解できないし、もはや特にメッセージ性とかはなくて本当にただ「物語の消費」のための小説だったのかもしれん、とまで思えてきた。
ただ幸いなことに私はめちゃくちゃこの物語の序盤における「私」に対して、この上ないシンパシーを感じていたので、話自体は面白いを通り越してわかりすぎて若干の共感性羞恥まで覚えた。これについては後述していきたい。
話を戻してなんでこんなに「分からない」のレポが散見されるのか?
私的結論は映画を鑑賞していたら出た。
原作とかなり違うから、に尽きると思う。
まず前述の「私」の友人佐藤が、映画では全くと言っていいほど出てこない。加えて東京タワーも小説に比べれば出てこない。そして佐藤と東京タワーが作品から退却すると入れ替わりに、先輩の主張が強まったのが映画版だった、という印象。
正直小説で先輩はそんなに出てこない。出てくるけどLINEでやりとりをしている描写が主たるもの。なんなら「私」はキャンパス内で先輩を見かけることなんかないということを嘆いてすらいた(と記憶している)。
「私」が先輩に対して恋慕していたことは間違い無いが、その要素をさらに強めるためにも脚本が再編されたため、結構物語がさらにわかりにくくなってるのかも?と感じた。
私は小説を読んで映画を見たので「どのシーンが原作とどう変わったのか?」「変えてしまった元の場面に対し物語の整合性を得るためにこの場面が追加されてるのか〜」というのをぼんやり観ながら理解できたし、読んできた小説の物語の中から補足・補完することができたけれど、「真夜中乙女戦争」を初めて劇場で目の当たりにする人には、やっぱり「どういうこと?」という違和感は拭えなかったために結果「わからなかった」に着地したのかもしれないな〜〜〜と。
佐藤の不在
個人的にはせめて佐藤はもう少し尊重されて良かったのでは無いだろうか?と感じる。「私」が小説中においては、かなり饒舌で、一番「私」の感情の起伏がわかりやすかったのが佐藤とのシーンだったと思う。なので、小説版において「私」の心情の移り変わりを追いかけていくには、対先輩でも、対黒服でもなく、対佐藤の場面が一番わかりやすかった、個人的には。そういう意味でも佐藤の役割は登場頻度に対して結構大きかったと思っている。
基本「私」は佐藤に対して思うところは多々あれどそれを口にはしなかった、したとしても友人の常識の範疇程度に抑えていて、大半は腹の底でツラツラと正論を並べている。そんな「私」の感情が爆発するのが、私が期待していた3ページの怒涛の怒り、もはや八つ当たりにも近い(しかしまあ確かに正論、悲しいくらいに)それが、「真夜中乙女戦争」の始まりとして描写されている。「私」はこの佐藤への過激な反駁を機に破壊衝動を強めていく。
つまり、小説では「戦争」の計画が始動するのは、主人公の感情の変化に伴い動き出したので結構わかりやすく脈略があったのだが、映画では佐藤がほとんど殺されたも同然で不在となっていたので、結構唐突に始まったような気がした。
「私」の蚊帳の外感
佐藤の不在は、先輩と共に黒服の存在感も一層際立たせた。
そしてそれによって常連たちと「私」、そして黒服との関係も歪ませていたように思う。
映画における「私」は小説とは異なりなんとなく「黒服の壮大な計画に巻き込まれてしまった大学生」のように見えた。
黒服との出会いは、小説だともっと遅い(といっても「私」が黒服を認知するのが遅いというだけ)し、全く異なる出会い方をしている。逃亡手段はバイクでニケツだったし、映画で車は燃やされたが小説でバイクは燃えなかった。
バイクが燃えなかった代わりに小説では「私」と黒服は一緒にラーメンを食べていたし、車が燃えてしまった映画では「私」は野外に放置され意味深なメッセージだけが隣に寄り添っていたが、小説ではラーメンを食べた後、結構黒服と「私」は頻繁に行動を共にしている。友人と呼ぶには奇妙な関係に思われるが、波長があうから一緒にいる、という風だった。
そしてそんな日のとある1日の中で「『私』のひとことをきっかけに黒服は映画館を作りあげる」のである。ぽろっと零した「私」のひとことで、「ああ確かにね」みたいな風に黒服がひらめきを得て映画館の創設に至るので、小説だと影響の大小はあるとはいえ黒服から「私」への影響は当然として、「私」から黒服に及ぼした影響も少なからずはあった。
小説だと、私設映画館に人を集めるためにまず「私」が学校の掲示板にビラを貼る下りがある。「私」が自ら黒服の計画に力を貸している(一緒に何かをやる)、という印象を与えるシーンの一つだったと思う。
それに前章のとおり小説だと「私」の「全部壊してしまおう」という動機に至るまでの流れと転機がわかりやすかった。そこから一緒にサドルをブロッコリーに変えたり、TOEICのリスニング試験の時にドローンを飛ばして妨害していたりと、結構積極的に「私」が黒服と共に社会を混乱させていく様子がガッツリ描写されていたし、黒服に心酔していく様子がわかったので、終盤に黒服たちが先輩を標的にしているのに気づいて焦燥する「私」、もう完全に四面楚歌という感じなんだけどどうにか先輩だけはと「今更もがこうとしている『私』」の説得力が大きかったなと思っている。
だから、映画では「巻き込まれの『私』」が先輩に最後「それでも信じてくださり、ありがとう」(※これは小説からの抜粋。映画でこのままの台詞だったか定かで無い)というシーンがちょっとだけ違和感あったな〜〜〜〜……
小説は結局「私」の自業自得により「私」が好きだった先輩までも巻き込んでしまった、の構図がわかりやすかった。
対して映画では、確かに「私」と黒服は一緒にサドルをブロッコリーにしたし、構内でリモコンカーを走らせたり一緒に何かをやってはいた。
けれど映画においては、例えばだんだん映画館に人が溢れていく様子に少し戸惑い気味だったりする「私」もいたし、「真夜中乙女戦争」計画を「私」は黒服の口から唐突に報されていたような印象が強かった。そのため小説で強く感じた「自分のせいでもあるじゃん」感が薄かったので、ラストの先輩との通話シーンのインパクトが小説より薄かったかも?という感想。
どっちにおいてもラストは「私」が先輩に胸中を吐露するシーンではあるけど、小説の方が「私」のどうしようもない奴感が強く、懺悔に乗せた告白が鮮烈だったかな〜!
物語序盤の「私」は私に限りなく近い
結局のところこの映画の良し悪しではなく「面白かったか」「面白くなかったか」は、ひとつ「『私』の思考に共感できるかできないか」が大きく左右しそうだなというのが「真夜中乙女戦争」全体への感想。
私は「共感できる側」なので、作品の理解は完全にはできなかったけど「面白かった」と感じるし、公開後しばらくして公式から出たチェックシートは大方チェックボックスが埋まった、だろうね………!!!!!!!
ちなみにこれのことである。
https://twitter.com/mayonaka_otome/status/1489179459966357504?s=21
この小説読み始めた時、主に黒服に対面するまでの「私」はマジでめちゃくちゃ私に近くで一周回って読むのが辛かった、共感性羞恥で。強いていうなら「私」は自分の性格が、マイノリティーというか、大方の人間からしてみれば忌避されるような性格であることを憂慮していないことだった。
私は「私」みたいに振る舞ったら、周囲から浮くことをわかってるし恐れるのでどうにか周りにめちゃくちゃ合わせるタイプ。それでも普通に楽しくはあるからいいかな〜で生きている。
(例えば教授に1日あたりの授業料を提示しながら詰問しているところとかは、間違っていないけどあれをマジでやってしまうと「ヤバい奴」と思われることがわかるし、そうなりたくはないので思っていても私は行動には移さない。)
とにかくめちゃくちゃ共感度が高い。小説を読んだ段階で
小説を読んだだけの時点でのツイートだけど
岸くんが真夜中乙女戦争を見て「わからない」って感想だったの多分話が理解出来ない、みたいな意味合いだとは思うけど、色んな人からめちゃくちゃ愛されててたぶんその愛を疑うことなんてしなさそうな岸くんから出る感想として完全解答な気がする私的に……
とツイートをしたが(ツイートからコピペ)、私と「私」はめちゃくちゃちかい属性だけど、私と岸くんは対極のようなひと(色んな先輩に可愛がられていたり、メンバーとも勿論仲良しだったり、怒るのめちゃ下手(FC動画のケーキのやつとか)だったり、そういう部分)だと思っているので、この作品を理解はできなくてもなんとなく共感できる人は「私」への共鳴度が高そうだなと感じた故に、対極の岸くんは「わからない」って感想が逆説的に岸くんの性格を顕著に表してるよな〜〜〜〜〜と思ってこのツイートに至った。シンプルに、話も難しかったしそういう主旨の感想ではあると思うけど!
めちゃくちゃ勝手な偏見だけど、「私」は高校までの同級生が大学入学を機に朝まで酒を飲んでるストーリーを上げてたり、ストロング缶でピラミッドタワー作ってたりするのを見てめちゃくちゃ嫌な顔してそう…(ド偏見)
大学生のストーリー(イキっていたりする痛い感じのもの)をフォロワーから募りそれをツイートするTwitterアカウントがあるけど、もうあんなのみたら「私」死にそう(偏見)蕁麻疹とか出てそう(失礼)
私的解釈
私は「私」のことを、プライドが高く、自分は間違っていないと思っていて、自分の持つ正しさからズレている人間とかあえて非効率を選んでる人間とか、をなんとなく少し馬鹿にしているか見下してる感じの人間だと思っている。
多分だけど「私」はめちゃくちゃエリートで、設定を見た感じ早稲田の学生なのは間違い無くて、そして多分設定を拾っていった感じ中高は名門・灘な気がしている。まあ灘じゃなかったとしても早大生なので、つまりめちゃくちゃ「頭がいい」。
勝手な妄想だけど、今まで「私」に対して、「私」を論破するあるいは納得させるようなリアクションをしてきた人間はほとんどいなかったのかな〜〜、故に社会に対してどこまでも期待してない「私」が生まれている感じ。新天地である東京でも結局教授はあの通りだったわけだし、今までもずっとこんな感じだったのかな〜(妄想)
でもそんな中で現れた、このエリートのさらに上をいく明らかにハイスペックの黒服、それは心酔するよね〜〜〜〜……
そして「私」がもうひとり、特異だと看做した人間が「先輩」だったわけだけど、先輩に関してはあれだけ思わせぶりで、しかもなんとなく普通じゃない妖しい雰囲気を纏っている(※小説の印象、映画はわりとこの要素は削がれていた気がする)人だと思っていたけど蓋を開けてみたら、案外普通の女子大生だった、という…しかも思わせぶりな感じ(※小説だとLINEでやりとりをしているが、そこがとくに「思わせぶり」だな〜という感じ。そしてそれだけでそう感じるところがまさに「童貞感」………!!)だったのに、実際には恋愛禁止のサークルだったのに彼氏はしっかりいるし、なんなら出会い系をやってた、という。
映画だと佐藤が出てこないのでわかりにくいが、佐藤は映画の序盤でめちゃくちゃヤリ○ンの発言をかましていたように、佐藤はかなり爛れたやつで、そんな佐藤に「私」は嫌悪感を少なからず抱いていた。
にも関わらず、自分ともしかしたら近いパーソナリティを持っているかも、と思っていた先輩がどちらかというと自分が苦手な部類の佐藤の方に近い人間だった、というのが発覚するラストのシーン。単純に結構かわいそう、ドンマイ………
私的にこの「真夜中乙女戦争」を解釈するなら、めちゃくちゃスケールがでかい規格外の「大学デビュー」の話かな…。
自分が常に正しい、と思っていた主人公が、黒服と先輩との出会いを通して変わっていく。
黒服に信頼を置き、共に「真夜中乙女戦争」を実行するけれど、その最中で他の人間よりも特別であると思っていた先輩が「存外普通だった、一般的だった」ことが判明することで、ようやく「自分のほうが普通じゃなかった」ことに気付くけど、街は大爆破されていてもう手遅れ。最悪の大学デビュー。
でもそれでもラストの
「もう死ねばいいと思う」
「そのつもりです、僕も」
のシーンはめちゃくちゃ最悪で最高だったな〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
おわりに
原作との違いをず〜〜っと話してしまったけど、正直それはあって当然だと思うので違ったから不満です、というわけでは無いということ。
そしてどっちも話の運び方、展開、結末総じてこれまで触れてきた作品には無い構成だったのもあって、面白かったな〜と思いました🥳
そして個人的にはこの作品が結局何が言いたかったか、よりも「最後先輩とのやり取りの後、『私』は命を落としたかどうか?」についてこの作品見た人の見解がめちゃくちゃ興味あるな〜〜!!と思いました🤱🏻
個人的には「生きているならそれでよし」であるならば、「私」が死んでしまえば「私」は先輩にずっと恨まれるし、ある意味それは先輩にずっと想われるわけでもあるしな〜〜〜という曲解により、「私」はこの後自死しててほしいな…個人の願望……