私はいつか


私はいつか人に寄り添える何かを届けたい。
そう思うようになった。

私が好きな他言語を学ぶということは、必ずしも言葉に表せるところから湧いてきた好奇心だけではない。
本当に英語を学ぶことが楽しくなったのなんて、自ら勉強を始めて3ヶ月かそこらでやっとだった。好きだという気持ち、もっと上手く使えるようになりたいという気持ちで英語を学んでいた。振り返れば、英語を学ぶことで日本語特有の言葉を知るきっかけにもなった。文化の違いや国際関係、社会、考え方。全てがちょっとずつ違うように思うけれど、それが必ずしも集団としてのものだけではなく、周りを見渡せば一人ひとり違うということを受け入れるようによりなった。最近は、韓国語を学んでいる。私は根っからの他言語を学ぶことが楽しい人だと、新しく言語を一から学ぶと感じる。他にも今までに少しだけスペイン語と中国語も学んだ期間があった。

だけど、たまに楽しいだけでは続けられないような、しんどくなる時がある。そりゃあ留学や海外経験することもいいことだと思う。だけど、たまたま機会をつくらなかったから、何故?という気持ちを押し付けられると困る。私はただ言語を学ぶことが好きで、続けられているだけだと思う。私自身でも、実際のところは分からない。強迫観念で続けているのかもしれない。忘れたくなくて。続けていることを知りたくて。

人はなんのためにこんなにも理由を探すのだろうか。そして、なぜ相手がやっていることに理由を求めるのだろうか。

お金にならないから、褒めてもらえないから、しんどかったから、続けていることに理由を求め出したから、比べることに嫌気がさしたから。

私はなんとなく始めて、なんとなくでも続いていることが実はとても貴重だと思う。

あなたのために、あなたの望む、あなたが好きな、あなたが楽しいことを応援できる人でありたい。

そして、自分のしていることには自分が1番の理解者でいたい。

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