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感情の分解としての言葉


最近、自分の想ったことを文章で表現することにものすごく意味があるように思う。

限られた言葉の中で、どれだけ自分の中にある抽象的なものを文字に起こすことができるか、そんなことに楽しさを感じる。

今ほど、言葉について考えたことがなかった頃は、言葉について悩んだことも、言葉の可能性を感じたこともなかった。大袈裟かもしれないが、言葉は多少扱いづらいが奇跡のツールのようだ。

言葉にすれば、自分の中にあった想いから遠ざかりそうで、言葉にすることを躊躇っていた時も今まで幾度なくあった。

言葉にしたからといって、伝わった気がしなかった時も幾度なくあった。

だけど、わからないものは怖いから、度々言葉を使って文字におこした。同時に、こんなこと思っていたんだと自分でも不思議に思うこともあった。

私は何かやるせない気持ちになったり、誰かを励ましたい時、何かを見て抱いた感情をここ3年ほど、スマホの中に書き溜めている。

その時の感情でしか書けない言葉や文章も、私にとってはとても大切なことだと最近になってようやくわかってきた。

どうやら、言葉や文章も時の流れには逆らえなさそう。

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