過ぎ去るということ

最近、ものすごく通過したいことと、そのためにしなければいけないことの時間がものすごく嫌で、今まで生きてきた中で一番嫌といってもいいくらいのことがあった。

それは面接。

私は、ものすごく面接という場面が苦手でたまらない。話すことがとか、練習することがめんどくさいとかではない。ただ、見えない基準と闘わなければいけない気分になって、いつも反省会を開いてしまうから。

少し脇道にそれるが、この期間で私は言葉に慎重になってしまったなと思う。言葉にすれば、言葉以上に捉えられるものがその場から消えてしまって、完全に相手の解釈になってしまうこともあるから。言葉にした瞬間、感情から遠くなって、ただ残るのは一般化された意味になってしまったりもする。言葉についてこんなにも考えたことは未だかつてない。

話は戻って、その面接当日が嫌で嫌で、面接を受けるたび自分が嫌いになりそうで、心の中ではものすごく逃げたかったとき、「何事も過ぎるんだから大丈夫」と言葉をかけてもらった。この言葉をかけてくれた時、頑張るということを思い込むのをやめて、どうせどうしても過ぎるんだから、私の言動は今までの私にあるんだから、自分を信じて失敗しても上手くいっても私は私自身を受け止めてあげようと強く思った。

なんだかんだで、過ぎ去った面接という時間。私は手ごたえからはほど遠く、ただただ自分だったなという感想だった。一体、私は面接の何が嫌で何が恐怖なのか未だに分からない。きっと、結果に則して嫌いになってるのかもしれない。

もっと上手く話すことができて、愛想がよくて、相手を惹きつけるものがあれば。私は言葉について考えずに、新しいことに時間をさけていて、時が止まったように感じなかったんだろうか。なんて考えたりもするが、私である限り、必ずといっていいほどスムーズに面接が進んだとしても、次の悩みにぶち当たっている。それは今までの実体験からしてもそうだ。

もし、乗り越えなければいけないことが目の前にあって、それが心では拒んでいたら、私は自分に「どんなことも必ず過ぎる、終わりがあるから大丈夫」と伝えて乗り越えていくのだろう。


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