チキチキ・トンプク

※自傷の話です。



はじめて腕を切ったのはいつだっただろうか。中学生の頃だったはずだ。きっかけも何もかも思い出せないが、自罰だったことだけは確かだ。

この痛みで許して。そう思っていた。

血の流れる量は少ないほうが良かった。親に血を拭ったティッシュなどが見つかるのが怖かった。カッターの刃の裏側で、手首よりは見つかりにくいであろう二の腕を引っ掻いていた。ピリピリとした痛みと、ミミズ腫れになった腕の凹凸を指先で撫でることで安心を得ていた。痛みを与えてくれたカッターは、出しっぱなしにせずすぐさま机の中にしまい込んだ。不安な日は学校にいる間もスカートのポケットの中にこっそり忍ばせたりした。スカートの中でチキチキ、と刃が出ない程度に前後に動かしてはその感触に心強さを感じた。

この頃の私は、20歳くらいで死ぬのだろうと漠然と考えていた。自殺したかったわけでも、死にたいわけでもなかったが、私を知る全ての人間の記憶から綺麗に消えたかった。

そして死ぬのだろうと思っていた年齢から十年以上経った。死ななかった。

はじめてカッターを握って肌に傷をつけてからその頻度は毎日の時もあれば数年の間隔を空ける時もあるが、自傷は私の気分の浮き沈みとともに付かず離れず常に側にいた。頻度は息苦しさに比例した。理由やきっかけはその時々で違ってはいたが、窒息して頭の中が真っ白になっていくような感覚から現実に引き戻すような役割だった。動悸、息切れ、気付けに。私は痛みと刃物に全幅の信頼を置いていた。

自傷については20代前半で治まる事が多いと言われているのに、私は苦しさを解決する術を今になってもそれしか知らない。痛みが目的の私の傷はどれも深くないが、治った傷跡はよく見ると無数に白い筋、または治りかけの茶色い筋となって私の二の腕を埋め尽くしている。その上からそれをガイドラインにするように刃を当てる。浅くなっていた呼吸が、ゆっくり深くなっていく。

深く傷つける人は痛みを感じないのだというけど、場所も深さもそれぞれの流派のようなものなのだろうと思う。血を流したい人、痛みを感じたい人、SOSのサインの人。きっと、それぞれのやり方で自分や対象と折り合いをつけるのだ。

そのうち偶然、痛みを感じたまま、過剰な酸素の海で朦朧とする感覚に出会ったりもした。
状態としては悦楽としか言いようがなく、いわゆる過呼吸の中で痛みを与える事によって抑圧から開放され、許された、という安心感と白んでいく意識で浮遊した感覚になるというものなのだが、これは並大抵の性的興奮を超える。コントロールすることはできないが、この海で遊んだ後は朝までぐっすり眠ることができ、私の身体と精神の回復に大きく寄与している。

自傷について、やめれるものならやめたい。やめなくてはいけない。昔はそう思っていたが、最近はそれも思わなくなった。まだ少女だった頃に父に見つかって殴られ怒鳴り散らされた後に「切るなよ」と低く冷たい声で言われたあの夜から、やってはいけないと思い続けていたが、加減を間違えることもなければ誰に迷惑をかけるわけでもない。服装に気をつけていれば見つかりもしない。こそこそと痛みを感じて満足したあとは、きっちり隠して片付ける。それで仕事や生活がやっていけるなら、そんなに目くじらを立てるものではないであろう。当然のことながら、傷跡が一生のものになるだのプールや温泉がどうのだの、そんな事は10年以上前に天秤から捨てている。

やらずに済むならそれでよし。やってしまうならそれもよし。常備薬の頓服のようにうまく付き合っていく。
これを私の向き合い方の答えとして。


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