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素直さの尺度を誤っていたかもしれない
ボトルの口から溢れ出るコーラを眺めたまま、棒立ちになっていた。慌てたり、声を上げたり、周りを見たりせずに、ただコーラの泡が収まるのを、待っていた。ボトルを握る手にコーラが伝っていくのを、ただ見ていた、駅のホームに立つひとりのおにいさん。友達と一緒だったらきっと叫んでいたに違いない。「やばい、やばい!」って言いながら。そこまで考えてから、はっとした。あれ、もしかして。
感じたことを感じたときに、そのまま表現するのが苦手だった。例えば、サプライズでプレゼントをもらってしまうと、固まってしまう。もちろんプレゼントは嬉しい。ただ、その嬉しさが出力される前に、「喜ばないと」とか「ありがとう言わないと」とか「驚いた方がいいか」とか、いろいろ考えてしまって、結果ぎこちなくなってしまう。わあとか、きゃあとか、ええとか、なんでもいいから感嘆詞を出せばいいのに。例えば、悲しいことがおこったときも、いろいろ考えた結果「無」になってしまう。あとから、誰もいないところでその時の倍悲しくなってしまうのに。
だから、うらやましかった。「今日は自習にします」と言われたとき、クラスで1番最初に「いえーい!」と言ったあいつが。散々練習してきたクラス対抗リレーに負けたとき、泣いていたあいつが。駅のホームでコーラを溢れさせていたおにいさんは、どこか「あいつ」に似ていた。私が見ていた場面は、いつも大勢のなかの「あいつ」で、ひとりだったら「あいつ」も感情をあらわにすることはないのかもしれない。
私が「素直さ」だと思い込み、うらやましがったり、ひそかに劣等感を抱いていた、「あいつ」のリアクションは、人に伝えるための多少オーバーなものだったのかもしれない。感情をそのままの大きさで出力していたのではなく、倍か、もしくはもっと大きくしてから出力していたような、そんな気がする。「あいつ」はきっとそれを意識することなく、やっていたのだ。
そりゃあ、大人になると子どもの頃よりもあらゆることに冷静に対処できるようになるのかもしれないけれど。いや、でも、子どもの頃牛乳を床にぶちまけたとき、お母さんのほうがでかい声で叫んでたな。
「素直さ」は大切。だけど、それはリアクションに100%反映されるものではない。少なくとも、うまくリアクションできない自分は「素直さ」が足りないのではと劣等感を抱く必要はなかった。だったら、私ももっともっと周りに伝わるように、これからは、リアクション芸人で行きます、ええ。
だって、せっかく感情が動いたのに、出力しないともったいない。秘めておいても仕方ない。「私は嬉しい!」「私は悲しい!」を昔よりはっきり伝えたい。アイメッセージ。
気づくと、おにいさんは溢れ終わって少なくなったコーラを飲んでいた。何事もなかったかのような顔で。
コーラでべたべたのはずの手は、早く洗ったほうがいい。
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