生きるのクソ下手・バカ野郎

計画を立てたくない。いつだって致死量の課題と作業と責任と冷たさに襲われているから。直視すると失明してしまいます。じゃああと6時間で今日のやること終わるな〜っていう予定立てたのが18時。終わってる。当然半分も終わらなかったし、やる気を失って好きな作家について書いてあるブログとかスレとか読んでたら25時になってた。Twitterのプロフィールに早く寝よう月間って書いてあるのに…。だいぶおねむだったからそのまま寝たらつけっぱなしになってたクーラーのせいで起きた時めちゃくちゃ寒かった。昔だったらよ〜し、今日は部活だから頑張るか〜!!!という気持ちで月曜が始まっていたのに、今は大好きな先輩方も受験勉強で忙しいしそもそも人いないし、いたとしてもめちゃくちゃうるさい曲をこれみよがしに弾く同級生かスマホゲームに勤しむ後輩達か居場所のない後輩しかいない。ただ俺は活動場所と部室の鍵を借りる権利を持ってるだけで、ということはつまり「場所だけ提供おじさん」であって、「先輩が優しいのがこの部活の魅力」とか言ってくれてた後輩も、「自分たちにうるさく注意するとか、自分に悪影響を及ぼす形で介入してこない」という意味合いの「優しい」だったことに気づいた。「部活に出ることだけを目的に学校きた」とか言う同級生も「部活に出る」ことが楽しいのではなくて「教室とか塾とか家とかから逃れられる場所にいる」ことが楽しいのだから、孤独な俺がどんなに頑張っても生きる意味なんて見つからない。そもそもないけどね。



泳ぐのが下手なのにスイミングスクールに通っていた時期があった。逆か。スイミングスクールに一応通ってバタフライちょっとかじったくらいで辞めたのに、めちゃくちゃ泳ぐの下手。クロール、背泳ぎ、平泳ぎは一応終わらせたはずなのに、なんでこんな下手なんだろう?って思い返してみたら、クロールは不合格を連続で叩き出しすぎて「もうお前背泳ぎのコース行っていいよ」みたいな感じで呆れられながら合格したんだった。誰がなんと言おうと自分の実力で勝ち取った結果ですね。そう、小学生のとき、そのクロールで水深の浅い25mプールで溺れそうになったことがある。テストの日で、なんとしてでも25mを泳ぎ切るのに必死だった僕のクロールは多分犬かきと区別がつかなかったんだろうと思う。溺れそうになってる僕はプールサイドにいるコーチから「立て!コースロープ捕まれ!」と言われたのをはっきり覚えている。捕まるもんか、立つもんか、なんとしてでも、絶対に25m泳ぐんだ!泳げませんでした。他の皆は楽々泳ぎきって「こいつなんで泣いてるの?」みたいなことをシクシクメソメソ泣いてる僕に話しかけてきて、隣にいた名前の知らない2個上くらいの女の子が25m泳げなかったんだって、って来る人来る人に何回も何回も説明していて、ひどく申し訳ない気持ちになった。確か家がすごい近くで、あれ以来何度か見かけることもあったけど何にも話さなかった。目は合った?のかな?
泳いでいると全てがダメになる感覚がある。ゆっくりと口の中、肺の中の酸素が枯渇していって、身体が思い通りに動かなくなる。苦しいし25mはいつまで経っても来ないし苦しいし苦しいし胃の中の内容物逆流しそうだし頭回らないしいつまで経っても見てる景色変わんないし頭痛くなるし。


泳ぐのなんかさっさと辞めて、いっそのこと溺れ死ねたらいいのにと思うことさえある。僕が今ここで泳いでいることで、誰かが感動したり、また他の誰かが死にたくなったりするのだろうか?僕は泳ぐ上で誰かになんでもいいから何らかの形で影響を及ぼしたい。でも腕の筋肉が充分にないから見よう見まねのバタフライでも俺が起こせる波なんて微々たるものだし、それを見て誰かが心揺さぶられるわけでもない。俺は泳ぐ話なんかしてねぇよ!!!!人生の話をしてるんだ!!!!



可能であれば今すぐにでも太陽の光の届かない海の底に潜っていきたいのだけれど、体力がないからそんなに深くまでいけずに力尽きてしまう。目を覚ますとそこは海岸で、惨めに失敗したことを悟る。俺は魚になれない

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