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2023.11.13

ヒールやパンプスを履くのが苦手だ。
だから自分では買ったことが無い。
履かなければいけない場面を極力避けてきたし、どうして女性のフォーマルな靴としてヒールが好まれているのだろうとすら思ってしまう。
ただでさえ平坦な道で平坦な靴を履いていても躓くのに。

就活でのマナー講師には説明会はストッキングに最低3cmの高さがあるパンプスを履くのがマナーだと言われた。
そんな決まりなんてただ業界が作っただけに過ぎないだろうし、マナー講師として大学に呼んでもらうことを仕事にしているわけだから、言ってしまえば公演しなければいけないほどのマナーという物を作ってしまったらビジネスは成り立つんだろう。彼らはそれが仕事なのだから。

あのみんな黒髪に染めて髪の毛をきっちりとまとめてタイトスカートやパンツを履いて、企業の人達が話すことを必死にメモを取り手の指を揃えて挙手、おじぎはななめ45度の角度で3秒間。
出る杭を打つような国民性のこの国でいったいどうやって社会が発展するんだろう、当時異様な雰囲気に辟易とした覚えがある。
けれど結局この国で生きていくには自分も同じように没個性、集団生活、そして社会に出た途端メイクだとか女性の身だしなみはこうだとか言われてもうるせーな上からもの言っとんちゃうぞボケ死んどけカスあほんだらが!と言いたくなる、言わないけど心の中では言って大丈夫。
誰も傷つけないなら思うくらいは許される。

例えば上司に理不尽な怒りを向けられている時に、この人をマリアナ海溝に5tの重りつけて沈めたらどんな死に様を晒すんだろうとか。助けを乞うのかな、いつも怒鳴っているこの自分に?優しいから最期くらい見てあげよう。

人を見定めて自分はこの人より格上だから何を言ってもいいんだって。無意識に人は他人を格付けし馬鹿にもするし媚びも売ったりする。
そうやって生きていくのが人間なのに、それがどうしようもなく気持ち悪くて自分の中で時々乖離してしまう。

潜在的な人であることを受け入れられずにいる自分と、表面で人らしくなんとか保っている自分が存在している気がして、時々この世界が単に別の生命体が夢を見ているに過ぎないのではないかと思ってしまう。
精神と肉体が乖離して、精神はこの世界にはなくてどこか俯瞰的な所から自分自身の肉体を見ている。 
その時間が凄くつらい。
箱に閉じ込められている自分も箱に入れない自分も、どっちも何者にも属せていない社会から逸脱したものだから。

どこにも属せていないことへの不安は人間特有のものなのだろうか。
そうだとしたら自分はきっと、ちゃんと人間である証明になるかもしれない。
ヒールだって履けないし髪の毛だってまとめてなかったけれど、まあ靴擦れしちゃうし仕方ないよね。
一生スニーカーかローファーで生きていけたらいいのに。

ついでに自認は3歳児なのでビュッフェとかも未就学児の値段にしてもらいたかったんだけど何故か無理でした。性別も自認でいいなら年齢だっていいはずなのにな、まだ追いついてないみたいです。
30年後には3歳になってみせます。

(???)





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