独断偏見音楽談義・はるまきごはん /【第三の心臓】について語るよ!
はるまきごはんさんの新曲「第三の心臓」が公開されましたね!!!
公開2日前にTwitterやインスタなどに投稿された短いお知らせ動画を見たときにはもうテンションがブチ上がりました。
今回はそんな「第三の心臓」の世界について感想を綴りたいと思います。
「第三の心臓」とは?
「第三の心臓」は、前作「誕生」から約9ヶ月ぶりに投稿されたはるまきごはんさんの新曲だ。
その「誕生」を含めた「ふたりの」シリーズは、最初に投稿された「再会」から完結編である「誕生」の投稿までに1年以上をかけて作られた挑戦作。ライブ「ふたりの結論」も開催され、はるまきごはんさんを代表する作品群になったのではないか。
そんなはるまきごはんさんが満を持して放った「第三の心臓」。
「ふたりの」シリーズ楽曲では、その内のいくつかにはるまきごはんさん歌唱版とミク歌唱版とが存在するが、「第三の心臓」はミク歌唱版のみとなっている。ミク歌唱版のみのリリースは2018年12月に投稿された「スチールワンダー」とそれの収録アルバム「ネオドリームトラベラー」以来約2年5ヶ月ぶりとなる。
【2021.05.24追記】
昨日5月23日に同曲のはるまきごはんさん本人によるセルフカバー版も公開されたので、そちらもリンクを掲載しておく。
ボカロ版とはまた違った味わいに仕上がっていてこちらもおすすめ。
世界観について
はるまきごはんさんの描く世界には「普通」とか「大人になりきれない・なりたくない」といったテーマがよく登場する。「ドリームレス・ドリームス」やアルバム「ふたりの」に収録されている楽曲たち、アルバム「SLEEP SHEEP SUNROOM」より「僕らの居ない世界の」はその最たる例だろう。
この「第三の心臓」が描く世界も、大人の世界に差し掛かった主人公・みかげの心模様を映し出したものとなっている。
みかげはきっと、大人になる必要性を頭では理解している。
誰もが昔は子どもだったとしても、時間が経てば妥協とかお世辞とかずる賢さを使って、上手に世間と自分の心の折り合いをつけられるようになる。
他人に興味がなくたって、円滑な人間関係のために適当に相手を褒めることもするし、泣きたくてもそれを隠して笑いもする。それらができるのが「大人」。学生を卒業してしまえばその傾向はより顕著になるし、社会に出ればそうやって世界は成り立っているんだって嫌でもわかってしまう。
そういえば「ドリームレス・ドリームス」で「ほしがみえるよ そらもとべるよ すきなことをえらんでよ」と言っていた子どもの自分だって、大人になればそんなものは「全部夢の中限定品さ」と悟るようになっていたし。
いつまでも子どものように夢見てわがままじゃいられない。でもそうしなきゃいけないんだと納得できない。だから苦しい。そんな割り切れなさをそのまま表したのが「第三の心臓」の世界ではないだろうか。
歌詞について
先ほど述べたように、この曲はみかげの「大人になる必要を感じてはいても大人になりきれないしなれない」という心境を描いた作品だろう。
「気の狂ったクラスルームでは何も感じないの」「先生に見えない角度 ご両親の知らないところ 心臓が隠されている」の部分では、正面からでは見えないようにみかげがイヤホンをつけている。このイヤホンがみかげの本心を表すのであれば、普段は先生や親といった大人たちから本心を遠ざけているということになる。大人に言ってしまったら壊されてしまいそうだからしまっておく。見えないようにする。大事なものほど誰にも傷つけられたくないのは当たり前で、その大事なものというのがみかげにとって「大人と子どもの間で揺れ動く心」なのだ。
そんなみかげにも本音を相談できる相手がいる。それが動画内でアイスを半分こしている相手、「ともだち」だ。
しかしこの「ともだち」、目のあたりが隠されていて表情が見えない。これは勝手な妄想なのだけど、もしかしたらこの「ともだち」はちゃんとした人間じゃなくて概念とか意識とか、そういうふわっとしたものをわかりやすく形にしたものなんじゃないか。みかげの心の中にいる、子どものままでいたい気持ちの側面。だから「わたし先生の前でだけ真面目ぶる子嫌なんだ」と相談すれば「ともだち」は「困り顔で俯いて」しまう。でも本当に相談したいのは大人になれない自分がいることであって、そんなことじゃない。だからその相談には「最低が隠されている」。
たぶんみかげは心から大人になりたいとは思っていない。叶うのならずっと子どものままでいたいし、「ともだち」の味方をしてあげたいんだと思う。だけど大人にならなきゃいけない葛藤と戦っているから、「さよならを言わないのはあなたに見抜かれてしまわないように」とか「ありがとを言わないのはどこかで嫌われてしまわないように」と自分を守ってしまう。
そしてそういう自分が卑怯な自覚があるから「自分の悪いとこ全部知っている」となる。大人を選べば子どもの自分を裏切るし、子どもを選べば周りから置いていかれる。
大人になりたいわけじゃない。でも子どもでいることを全肯定できるほど子どもでもない。だからせめて、「さよならを言わないのは
あなたが呑み込まれてしまわないように」とほんの少しずるくて遠い位置から「ともだち」、そして子どもである自分が守られるように願うのだ。
結局みかげは子どもと大人、どちらを取るのか決め切れていない。曲の最後には「冷たい第三の心臓がわたしたちを見つめていた」とある。この曲のタイトルでもある「第三の心臓」とは、みかげと「ともだち」を取り囲む世間一般の大人たちを指すんじゃないか。
はるまきごはんさんの楽曲にはこれまでにも冷たいもの=大人や世界という表現が見られる(「秘密」の「世界が冷たいほんとに変わるなら知らない方が良いかもね」とか)。今回の「第三の心臓」にも同じ解釈を用いるのなら、この「冷たい第三の心臓」もそれと同じになる。大人たちはみかげの選択を監視している。さらに言えば、大人たちはみかげにも自分たちと同じ大人になることを選んでほしいと思ってすらいるかもしれない。みかげはどうするのかわからないけれど、この曲に描かれるのはそんな大人と子どもの狭間で揺れ動くみかげの心の内なのだ。
さいごに
「第三の心臓」で描かれたみかげの心情は、現実世界で生きる私たちにも通ずるところがある。実際、私自身もそんな世界と自己の内面の乖離に苦しむ人間の一人でもある。
上手に笑えたらみんなから愛されるのかなとか、それこそ学生時代には先生と仲良くするのが上手で「その方が成績もらえるかもしれないでしょ」と笑ってみせた友人に尊敬と困惑の感情を抱いたことだってある。
だからこの曲を初めて聴いたとき、みかげがまるで私みたいだなと思ってしまった。「良い子」になれない。大人になれない。私がみかげそのものだと言いたいわけではないけれど、こんなふうに自分にも世界にも正直であろうとするのはいつだって苦しい。
この曲は、世界にも自分にも正直であろうとするがゆえに不器用になってしまう、わたしたち全員からのSOSかもしれない。はるまきごはんさんの楽曲にはいろいろと救われてきたけれど、また一つ愛おしい曲が爆誕してしまった……。