独断偏見音楽談義・はるまきごはん / 【幻影】について語るよ!

いやもう、三部作構成で殴ってくると思わないじゃないですか???
はるまきごはんさんの今作「幻影シリーズ」。
先日発表があった通り、ゲーム、アルバム、そしてライブで構成される作品だ。他にもスープカレーコラボ(スープカレーコラボ?!)、展示と、「幻影」の世界観を味わい尽くせる初夏になりそうですね!オタクって楽しい!!!CANMAKE TOKYO!!!(この記事とCANMAKEは関係ありません)(CANMAKEのアイテムだとシルキースフレアイズが好きです)

……と、ふざけるのはこのくらいにしておいて、今回はそんな「幻影シリーズ」の中から、「幻影」について感想を綴っていきたいと思います。
なんていうか、みかげちゃんの思考回路が個人的にわかりすぎてつらいんですよね……とにかくみかげちゃん幸せになって。

「幻影」って?

「幻影」は、2022年3月30日に初音ミク歌唱版が、4月13日にはるまきごはんさん歌唱版が公開された。昨年公開された「第三の心臓」から始まった、「幻影シリーズ」の一曲となっている。
「幻影シリーズ」楽曲は2022年4月現在、「第三の心臓」、「蛍はいなかった」、「幻影」の3曲が公開されているが、5月27日発売予定のアルバム「幻影EP-Envy Phantom-」で新しく加わる楽曲も予定されており、さらに濃い「幻影シリーズ」の世界を目撃できるはずだ。

少し話が脱線したが、今回も「幻影」MVのリンクを貼っておく。アルバムやライブを待つまでの間、繰り返し聴いて一緒にしんどくなろう(?)。

歌詞について

さて、この「幻影シリーズ」は、みかげの心の内を覗かせてもらうシリーズものだ。「第三の心臓」で自分と世界を切り離して周囲を見ている印象が見受けられたみかげだが、この「幻影」ではっきりと明らかになったように、自分と周囲に壁を作る性格の持ち主なようだ。

この曲で描かれるみかげの感情をざっくりまとめると、
『本音で話すのなんて難しい』
『だから影(壁)を作ってしまうけど、自分の心もあなたの心もわからないよ』
『でも、本当の私はここにいるから見つけてほしい』
ということになりそうだなと。

まず、この歌詞から始まることに注目してみる。

あなたはだれ?わたしはだれ?

これはサビに使われている歌詞とメロディーと同じフレーズだ。これを冒頭いきなり持ってくるところに、みかげの心の切迫した叫びが窺える気がする。
心を作りすぎる、という感覚がわかる人には説明も不要かもしれないが、気づいたら他人の言葉を聞きすぎているとか、話すのが上手じゃないから聞き役に回ることが多いとか、周りの環境や感情が見えすぎるから自分のことを後回しにしてしまう性格の人って実はけっこういたりしないだろうか。
今日の夕ご飯何が良い?と聞かれたとき、ハンバーグがいいなと言いたくても、「冷蔵庫に使いかけの細切れ肉があったのを知っているから、ハンバーグがいいとは言えなかった」とかそういうの。

もっと自分を主張してもいいはずなのに、周囲と自分の感情の切り離しが苦手で、本音を飲み込んでしまう。そうして日々を重ねる内に、自分の感情も他人の感情にも疎く、本当を曝け出すのが怖いような感覚が出来上がる。

みかげはきっと、もっと本音で接したかったはずなのだ。
その証拠と言うか、それが現れているのがこの歌詞だ。

話をきいて話をきいて 本当のわたしはここに居るよ あなたはずっとあなたはずっと わたしの影と遊んでいる

本音で話したくても、影を作ることが常になっているみかげにとって、今さら本音を話すというのはどうしても難しくて、でも憧れがあって、だけどやっぱり届かない一等星のようなものなのだ。だから、歌詞にあるように「本当の言葉で話して」とスピカに言われたとき、みかげはどんなに苦しくてやりきれない気持ちだっただろうか。

ちなみに、天体であるスピカについて触れてみると、こういう星だと言われている。(引用・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%94%E3%82%AB

おとめ座α星(おとめざアルファせい)とも呼ばれる、おとめ座で最も明るい星(恒星)である。21ある1等星(全天21の一等星)の1つ。春の夜に青白く輝く。

前作「蛍はいなかった」で、みかげはスピカに対して憧れのような恋慕のような気持ちを見せているが、みかげにとってスピカは何らかの眩しい存在であることは間違いないだろう。一方、「みかげ」という言葉はスピカという星とは真逆のような、以下の意味を持つ。(引用・https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%BF%E3%81%8B%E3%81%92/

日を避けて陰となる所

夜空に燦然と輝く一等星のスピカと、太陽の光を避けてできるみかげ。
スピカとみかげという友人ふたりの関係は、その名前に紐付けられるように届かない、わかりあえないことが運命で決まっているのかもしれない。

MVについて

ところで、「蛍はいなかった」は「第三の心臓」の過去に位置する物語らしい(はるまきごはんさんがTwitterで言っていた気がする。該当ツイートが掘り起こせたら貼ります……)が、この「幻影」も「蛍はいなかった」よりは後、「第三の心臓」と同じくらいか前に位置する物語ではないだろうか。

「幻影」のMVには、ブランコに乗るみかげとスピカのシーンが登場する。「本当の言葉で話してって気軽に言うけどね 誰かと違ってそんな賢明に出来てはないからね」の部分。ここの二人は、何も知らない人から見たら仲良くブランコに乗っている学生2人にしか見えないが、みかげの心は歌詞からわかるようにモヤモヤとした気持ちを抱いている。

ブランコは「第三の心臓」にも登場するアイテムだが、この「幻影」でも象徴的なものとして描かれている。(「幻影」におけるブランコ、特にアウトロのいくつも刺さったブランコのある風景は、みかげの心象風景の一部なのかもしれない。)ブランコは「本当の言葉で話して」のシーン以外にも、「あなたの瞳に夜を描いて眠って欲しかった」のシーンや曲のアウトロにも登場する。それだけみかげにとってブランコは重要な場所であり、スピカと話した思い出深い場所なのだ。そんなブランコだが、「第三の心臓」ではブランコに腰掛けるみかげの隣にスピカはいない。「本当の言葉で話して」といった悪気のないすれ違いがいくつも重なって、「蛍はいなかった」で「今なら心の水底を見せられるけど」とスピカに開いた心は次第に閉じていってしまったのだろうか。

そうして時が流れ、「第三の心臓」にいるのが「ともだち」で、この「ともだち」相手に本音を打ち明けるみかげの様子が描かれる。私の想像だが、「ともだち」はイマジナリーフレンドではないかと思う。空想上の友達でないと本音を話せないみかげの心は、どれだけ孤独で寂しくて、張り裂けそうだろうか考えると心が痛い。

音について

初めてこの曲を聴いたとき、焦燥感と迷宮入りした諦めの感情が感じられると思った。その第一印象を生み出すのが、巧みに重ねられた音と音の魔法なのだろう。

よく聴いていると、本作では随所に音の一部がふっと消える瞬間があることに気づかないだろうか。特に、2番サビ直後の「影よ 影よ」の辺り。なんだか、自分自身に中身を感じられなくて虚しい、というような感情が伝わってこないだろうか。もしくは「その代わりじゃないけど その代わりじゃないけど」の部分もそうだ。その音が空白になった部分に、言いたかった本音を隠しているような気がする。
それでいて総じてさらさらと流れるようなメロディーをしているから、みかげの心というのは結局、本人にも周りの誰にも掴めないまま消えてしまいそうで怖いのだ。

流れるメロディーとふいに消えて立ち止まるような音の空白を混ぜ合わせることで、はっとするような緩急が生まれている。
この曲の緩急はそのままみかげの心の複雑さを表現している。そのトリックに気づくことで、少しでもみかげの心の本音に触れられたらと願ってしまうのだ。

さいごに

個人的に、みかげの抱える感情について、ものすごく共感できる感情が多い。上手に世界と自分を切り離せたら良いのだけれど、知らず知らずのうちに自分を世界の外側から見る癖がついてしまった以上、自分の感情を最優先するのはとても難しい。
大人を迎える前、子どもであるうちに自分の感情は自分のために存在しているか。この曲を聴いている全ての子どもたちに、一足早く大人の年齢になってしまった私から人生の先輩として問いかけたい。

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