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精一杯の愛をこめて。 高橋優 LIVE TOUR 2021-2022「THIS IS MY PERSONALITY」感想


「ライブは非日常だから楽しい」
なんてことを言っていたのは日常がちゃんと日常だったから。数年前から突然その日常が非日常になり私の大好きな非日常のそれは不要不急の日常となってしまった。どんなことをどれほど考えたのかすら思い出せないくらい沢山考えたし、現に今も考えている。答えがないのはわかっているのに。少し前の私は考えて考えて、考えていたらいつの間にか無になってしまっていた。こんな状態で高橋優のライブに行っても何も感じなかったらどうしよう、自分の唯一好きな”感性”が死んでしまっていたらどうしよう。そんな重めの不安の中、わたしは非日常の日常を取り戻しに行った。

マスク、ソーシャルディスタンス、消毒、検温、味気ないチケット、スマホ画面に映る味気ないスタンプ、座席番号を何度も確認してゆっくりと着席、心地よい緊張感、そして暗転、胸に置いた掌から伝わる煩い心臓の鼓動、全部がもう愛おしいくらいの”非”日常だった。

光の中に現れた見慣れた眼鏡のその人は、アコースティックギターでは無くエレキギターを弾き鳴らしながら身体の中で響いて揺れる程の声量と熱量で歌い上げる。右手を突き上げる仕草が最高に格好良くて、この世の中の暗雲を消し飛ばしてくれそうだ…なんて思うくらいに力強かった。圧倒されている合間に時間はどんどん過ぎてしまう。「この景色を目と記憶に焼き付けなくちゃ」視力の悪い目を酷使しながら一生懸命見つめるけれど、毎曲毎曲涙が溜まってきてしまって視界がとにかく悪い。この曲は泣くような曲じゃないぞと思いながら勝手に出てくる理由もない涙を何度も何度も拭った。

曲目の中でひとつだけ書き残しておくとすれば、八卦良の「名前も顔も伏せたまんまの引き金で」で自分の顬に銃を模した右手を宛てがってから流れる様に心臓を撃ち抜く高橋優を見て息が詰まるほど苦しくなった。ずっと他者が放つ”言葉”という銃弾で事切れると思って聞いていたけれど、他者は自らの手を汚さず、最期は自分で自分を殺してるんだと解釈してしまってさらに苦しくなった。彼が”殺したい”のは、一体誰なのか。


「今日会場で本当に会えてよかった」このツアーは本当の意味での”再開”と”再会”だったと思える。ファンとの再会こんなにも思っていてくれてたんだと、今日という日を信じて疑いもせずこの瞬間をずっと思い描いててくれたんだこの人は、と思ったらめそめそぐずぐずしてた自分が情けなくなったし、その気持ちにたまらなくなった。ここから始まる新しい世界のライブの形を向こう側とこちら側で必死に模索し合っているようにも見えた。


「世の中がどんなになっても何が禁止されてもどんな規制がかけられても変わらないものもあります。それは僕、”高橋優は死ぬまで歌い続ける”っていうことです。なので、また、必ず、ライブで会いましょう」この人の言葉に嘘はないと信じられるから、尚更泣けてしまう。この世界で生きるこちら側の人間に対して貴方のその言葉がどんなに心強くて嬉しいものなのか、本人はちゃんと分かってくれているのだろうか。

「 明日からまたお互い色んな事があると思うけど、これから何があっても、負けないで、負けないで、負けないで…! 」もう、この先でどんな事があっても何がダメになっても、負けないように生きたい。強くなりたい。ならなくちゃいけない、マイクを通さずに直接何度も何度も伝えてくれたその言葉でそう思えた。この人みたいに…なれないからこそ惹かれるのだろうけど強くありたい。

光と希望の人が創り出す濃くて深い影が大好きで。その逆もまた然り。眩し過ぎて、暗過ぎて、よく見えなくて。必死に手探りで探す先でその手をギュッと強く握って引き寄せてくれる熱いくらいの優しさがあるような、そんな希望の歌と絶望の歌が大好きなんだと再確認出来るようなセットリストだった。

今この、掌に残るじんわりとした痛みも、瞼の裏の残像も、耳の奥に残る音の残響も、全部忘れたくない。でも忘れちゃうんだろうな。消えないで欲しい。でも消えちゃうんだろうな、なんて思いながら終演後の薄暗くなったステージをぼーっと見つめていた。…あぁ、これは大変だ。自分が気付かないうちに高橋優という存在と概念が自分の中でとてつもなく大きなものになっていて、他の何にも代えられない、無くてはならないものになってしまったみたいだ。





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