「演劇」だから
とあるツイートを読んで考えたことです。
私は、宝塚を好きになってから"ジェンダー"やそれに関する演出について考えるようになりました。
以下自論を展開しますが、私はただの学生で専門家ではないのでお手柔らかにお願いします🙇🏻♀️
【異性装について】
日本には昔から異性装の芸術が存在しています。平安時代末期から「白拍子」という女性が男装で舞を踊る芸能があり、「能」や「歌舞伎」では男性が女性の役を演じることがあります。「宝塚歌劇」もその一部で、女性だけの劇団で"男役"が生徒の半数を占めています。
私が感じる異性装の魅力は、
《異性へのリスペクトがあること》です!
女らしさや男らしさといったステレオタイプを誇張するのは時代にそぐわないという声もあるかもしれませんが、そこにリスペクトがあれば私は良いと思います。異性をより美しく表現しようとする姿は素敵です。(ドラァグクイーンという女装のパフォーマーと宝塚の男役は特にこれに当てはまると感じます!)
というかこんな昔から異性装の芸術は存在しているのだから今を生きる私たちが好きになるのも当然じゃな〜い?!と思います😌
【時代に沿わない演出?】
宝塚の演出や脚本は度々問題視されることがあります。具体的に作品を名指しはしませんが、私自身もマイノリティへの配慮がなされていないなと感じるときもあります。
でも、"それが演劇"なんです。
これはあくまでも私の解釈ですが、演劇をはじめとした芸術は「人間の思想を保存するもの」で、むしろ「時代に取り残されていくもの」だと思うのです。
ある時代を生きた人々の"当時の価値観"を今を生きる役者たちが"再現"してくれているだけであって、それが自分と相容れないものであることは仕方ないと思います。
そういう時代があったことは事実で、例えば暴力やセクハラ・モラハラ、マイノリティを軽視する表現が残っているのは"それが演劇"だから。「思想の保存」で「時代に流されない」からだと思います。作り上げられた虚構で、過去で。
"今"の現実ではないですからね!
そういった演出に嫌悪感を抱く人に対してどんな表現も許容すべきだとは言いません。ただ、闇雲に批判するのも違うとは思います。
宝塚はみんな女性だから、その安心安全な状況だからこそ許せるといった演出もたくさんあります。時代に沿わないセリフに違和を感じたり、ジェンダーをネタにするのが面白くないなって思ったり。
それを、ここはおかしかったよね?今では許されないよね?って思える時代が来ていることは何よりです。観客がものすごいスピードで価値観をアップデートしている分、演劇が置いていかれているというか。作品が追いついてない部分もある、というのが現状だと思います。(もちろん配慮された作品もたくさん生まれてます!あくまでも該当する作品についてです)
でもだからって気に入らない場面やセリフだけを切り取って作品全体を貶すのは違うと思います。
自分の目で見て感じたことは、そのまま受け止めていいはず。だけど、それを演目を貶すだけで消化してしまうのは間違いだと思うのです。
※追記 (10/24)※
広義に「演劇」とまとめたことで一種の諦念のような文章になっているとご指摘頂きました。
私自身、むしろ「演劇」だからこそ伝えられるメッセージや価値観はたしかに存在していると思っていますし、そのために今芸術を必死で学んでいる最中です。
あまりの反響に驚きを隠せませんが、様々な意見に触れられたこと学びになりました。
誹謗中傷はよくない!とだけ言いたかったわけではなく、それが「演劇」だ仕方ない!とだけ言いたかったわけでもないのです。
私の知識不足と言葉足らずで誤解を招く表現を用いてしまったことお詫び申し上げます。
ここまでお読みいただきありがとうございました🙇🏻♀️
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