人生観

私がコロナという存在を知ってから約一年が経った。
集団でいることを避けるためにほとんどの学校が休みになり、仕事もテレワークという形に移行し、家で過ごすことが増えた人が多いと思う。

私は大学に行くことができなくなり、家でやることも限りがあったため非常に多くの暇な時間が存在した。しかし、その暇な時間のほとんどを何もしないことに費やした。今更何を思っても時間は返ってこないし、そんなことを考えることで今現在も時間を浪費してしまっている。

そんな何もしない時間を過ごしたためか、この一年間は非常に短く感じた。確かに一年間の月日は流れているのに、自分に残ったものが何もないために今まで過ごしてきた一年間と同じ時間とは思えない。

しかしこの暇な時間で独りの時間が長かったこともあったのか、何か疲れていたのか、「生きる」ということについて考えていた。人は何のために生きているのだろう。仕事とは何だろう。大人とは何だろう。

こんな問いの答えは人それぞれであり、正解なんてない。考えたって答えなんて見つからないのかもしれない。仕事をしていなくても生活できる環境であり、自分の周りに子どもがいなければ大人になる必要だってない。というより大人というのは子どもに対する比較対象であり、独りでいれば大人も子どももないただの人間である。

こんな答えの見つからない状態をしばらく繰り返した。そんな時この曲のこの歌詞が妙に頭に入ってきた。

湯木慧『狭間』
「正しい事がないのなら 間違いだってないのにな」

改めて聞くと当たり前のことであるが、これを聞いたときになんだかすっきりとした。今まで考えていたことはすべて間違いではない。そう思えるだけで勝手に背負っていた心の荷が軽くなった。

それからいくらか時間が経ったが、何となく人生の目標らしきものが浮かんできた。


「自分の人生を意味のあるものにすること」

かなり大雑把であり具体性など全くないが、現在の自分に何も意味を感じれなかったことから考えると、自分に合っている目標に感じる。
意味のある人生なんて人それぞれであるが、今思っているのは自分の存在を他人が必要とすることが人生の意味のような気がしている。
これを正解と思うかどうかは人によって違う。何をするのも自分の自由。人に何を言われようが正解がないのだから間違いなどない。迷っていくその過程が人生である。

人生の大枠を定めた。これからはこのことを信念として生きていこうと思う。

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