もう帰らない、は帰る場所があるからこそ。


結婚願望がないタイプだよね。と周りから言葉をかけられることが昔から多く私もそうだね、とよく答えていました。一人の時間を好むことが多く、イメージで近寄ってきた人にはよく冷めていると言われ、男性の事を嫌いな時期が長くもありました。


また、結婚願望はきっとあるけれど「家族」という形を自分が最後まで作れる自信もありませんでした。

家族仲。
私にとっては酸っぱい言葉で、
なるべく触れられたくないワードでした。

「年末年始、岡山の実家へは帰るの?」という問いかけに帰ると言って帰らず1人東京で新年を迎えたり、上京して2年半ほど1度も帰らず。

家族仲が露骨に悪くなってきた、21歳頃。
実家に住んでいた私は母に「私と弟は家を出るから貴方もどうするか考えた方が良いよ」と言われたことをきっかけに当時の職場の広島転勤に手を挙げ、マンスリーを借りて広島に一人暮らしをする事に。その時に父と母が岡山から車で広島まで荷物を運んで引越しを手伝ってくれて。夕方になって父と母が帰るねと玄関が閉じられ、一人暮らしが寂しくてなのか、この光景が見られない気がしたからなのか閉まった扉の前で涙が溢れる私は思っていたよりも家族のことを好きなんだな、と悲しくなったのを覚えています。


その後広島での期間を終え、23歳の時に当時の私にとって憧れだった「東京」に転勤できる職業に就き、上京。もうどこに帰れば良いか分からない岡山には帰らない!と自分なりに気を引き締めました。

そうしたら、上京している間に両親が熟年離婚をして、家族がバラバラになってしまい帰る場所が無くなって。もうここへは帰らない が思わぬ形で帰る場所がちゃんとなくなるという形で成立してしまった。(と感じた)
その時初めて、もう帰らないは帰る場所があるからこそ出てくる言葉なんだな、と身勝手に寂しくなったのを思い出しました。


家族一人一人に愛はあるけれど、うちの家族のようにはなりたくないという思いが昔からあり、自転車に乗って学校へ行き、自転車を押して歩いて帰る通学路、食卓が凍っていて席を立ちたい思いで姉弟で急いでご飯をかきこんだり、新しい一軒家はリビングを通って階段を作ることで思春期になっても皆が顔を合わせるようにと作っていたはずなのに誰もリビングに揃うことがなかったり。


まだ実家にいた時、職場の本社研修があり私は地方から来た名の知れない社員だから、と周りにやる気を見せたくて1番前に座って、研修後にサプライズで家族から手紙を貰うというイベントがありました。私はそれが本当はすごく嫌で。その時家で誰かが会話をしているのを見ない日々が続いていて、この手紙が父から届くのか、母から届くのか、そもそも私に届くのか。不安になりながら開けたら普段こういう行事には全く関わってくることの無い父からで。

母がきっと読むことのなかった知らせ。
昔ならいつも母に頼んでいたのに、今回はとうとう頼むことのなかった父。

家ではなかなか見ることの無い笑顔で、頑張ってください。と書いてあり、周りが家族からの手紙に感動の涙を流して、鼻水をすすっている音がする時に、私は傷ついていて1番前の席でどんな顔をすればこの場所に馴染むのかばかりを考えて、研修女性に声をかけられないように手紙をぼんやりと眺めて、終了後のレポートにはとっても素敵な研修でした、と書いたのを思い出しました。

私の家系は祖母も母も熟年離婚をしていて、離婚後の方が清々しい顔をしてもう結婚は懲り懲りだ、と1人の人生を謳歌しているような気がします。もちろんこれに正解も不正解もありません。女性が離婚後も、変わらず普通に生活できること、自立している事は素晴らしいことだと思います。

祖母は最後まで私に彼がいるのか、結婚はいつするのかをずっと気がかりにし、私の結婚式を見ることを心から楽しみにしていました。 小さい頃から私が成人しても腕を組んで歩くほど大好きな祖母にいつかウェディングドレス姿を見せたい思いとはうらはらに、その時の私には結婚は懲り懲りだといっていた祖母が私に結婚を願う気持ちが分かりきれませんでした。それでもやはりウェディングドレス姿を見せたかった、とも思っています。

私は、私は結婚をしない方が幸せなんじゃないだろうかとどこかで強く感じていて、どんな時も自分を見失わないようにと藻掻き、もし自分が好きな人と結婚をした時に同じ選択肢が過ぎりやすくなるのではないか、ととても怖い。こうなりたくない、という思いはなりたい、よりも遥かに強く執着だと気づいているから。

そういった意味でも、メキシコの旅では自分の結婚観についてまっさらな気持ちで真剣に考えたい、という思いが常にありました。語る事は難しいですが、私なりの本気の婚活期間だったかと思います。

結局いまだに答えは出ていないけれど、全ては人それぞれで、深く考えすぎないことも大切だと言い聞かせる日々です。前例に執着する事が良くない事ももちろん理解していて、幸せの形はそれぞれだとも。でも私もまた、大切な人と何度も季節を楽しみ最後までいられる幸せを知りたい、とも思っています。

纏まりどころが分からなくなってきたので
唐突に終わろうと思います。
noteはいつも独り言なので🌙

ちなみに私にとって憧れだった東京はまだ、ちゃんと憧れを保っています🌃 憧れのキラキラに向かって歩いていく私も、根は悲観的で一人好きなインドアな私も、仲良く共存しています。


(昨年の10月末に書いて溜めていたら新年になってしまいました)





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