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みんなそれぞれ違う人なのだから




大切にしたいものや、考え方、性格や価値観。本当にみんな違う。似ていることはあっても、まるっきり同じことなんてない。それは、当たり前のことなんだけど、意外とわからないことなんだと思った。物事に裏表があって、それぞれ、その側から見える景色が違うような感覚。



最近「私もこうやって乗り越えてきたから、あなたもできる」という言葉は、一見すると良く聞こえても、言われた本人からすると世界一信用ならない自信だなあと感じたことがあった。

花束を渡しているようで、ナイフを突き刺しているような感じ。言っている側からすると、その言葉は相手を勇気づけられる最善の言葉だと思っている。実際それで励まされたり、勇気が湧いてきたりする人もいると思う。

でも私はなかなか返す言葉が見つからなかった。例え何か言い返したとしても、向こうからしたらただの言い訳にしか聞こえないし、きっとまた向こうの考えを上乗せされてしまうんだろう。「自分ができるんだから、あなたもできるでしょう」という考えを押しつけられているかのような、お節介をされているような、そんな気分になった。

その直前、毎週楽しみにしていた韓ドラ「ウヨンウ弁護士は天才肌」の最終回を観ていて、そこで主人公が上司に仕事の相談をする場面があった。その上司は、自分は今までどんな風にしてきたかを伝えた上で、「僕とあなたは違う。だから君の判断を知りたい。」と諭していた。私はその言葉に物凄く感動した。

あなたと私は全く違う人間なのだから、あなたが決めたことを尊重する。私ももし誰かの上司になった時に、そんなことが言えるのだろうか。その言葉を聞いて、なぜか私が勇気づけられてしまった。これは自分の人生だし、自分で決めて良いのだと。

自分の考えを整理するために、夜通し電話に付き合ってくれた親友にも「たった一度きりの人生、何したっていい。自分の人生だもん、自分のために生きなくちゃ」と言われて、物凄く救われた気持ちになった。




「ウヨンウ弁護士は天才肌」を観たことで、物事の裏と表を感じ取るきっかけになった。法律の奥深さも知ったし、同時に難しさも知った。正しさとは優しさとは何かを考える時間にもなった。

最終話で主人公が「私の人生はおかしくて風変わりだけど、価値があって美しいです。」と言っていた。どんな人の人生も価値があって美しい。だからこそ、自分の人生、自分らしく生きて良いのだ。誰かの意見にとらわれることなく、好きなものを追いかけていいし、居たい人と一緒にいるべきだし。だから、私も誰かの「こうあるべき」に縛られたくないし、誰かを「こうあるべき」と縛りたくないなと思った。


私は最近言われた「私はこうやって乗り越えてきたから、あなたもできる」というような言葉を素直に飲み込むことができなかった。言っていることが正しいかとか、間違っているかとか、そんなことはないと思う。誰かにとっては正しく、誰かにとっては間違っている、それだけだ。でも、私はそれでやっと目が覚めた。新しい道に進もうと。そう決心させてくれたことには感謝したい。





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