8月15日


一日遅れ。8月15日のことを。

日本では終戦記念日、韓国では光復節。多くの人が太極旗をあげているのを目にした。今、韓国ソウルにいるが、街の街頭には旗がかかっている。

恥ずかしながら、韓国では祝日であるということを知らなかった。知らずに外に出て店が閉まっていることで気付いた。

韓国の文化を好きと言っている以上、韓国のことを学びたいとこの現地にいる以上、知っていなければならなかったのに、と思いながら過ごした。


周りは普段通り過ごしている。私はそれでいいのか。知ったフリをしたって仕方がない。

私は何も知らないんだ。12月8日、真珠湾攻撃から始まった戦争のことを。
今更ながら学ぶことになっているというのは遅いような気がして恥ずかしいが、断片的にしかない知識をつなげて自分がこれ以上繰り返したくない、と強く思えるようになるため。

私はもっと調べようと思う。「映像は怖い」と言って見なかったことがあった。違った。

怖いものを見ようとしないで生きたらまたその「恐ろしい」ことが起こるんだ。他人事でいる人が増えると、また戦争が起こる。それだけはわかっている。


私はいつも日韓の歴史を振り返るたび、どのように韓国で生きている、生きていた人と向き合ったら良いのかがわからないときがある。

日本は、アジアの多くの国や土地で戦争の名の下にあり得ないほど恐ろしい暴力行為、人権を無視した行為を行った。
授業でも、일제강점기という単語を何度も聞いて、その加害側、支配側であった「日本」からの留学生としてどうすればよいのか何度も考えた。


居づらいとか申し訳ないとか、そんな感情の起こりだけを通り過ぎるようにして体験するだけではダメだと思う。

韓国の歴史をきちんと学ぶ。できれば韓国と日本両方で。だけでなく、そもそも私は太平洋戦争を含めあらゆる戦争の歴史を知り、繰り返さないと強く決意し意見し行為する責任があると思っている。

ドキュメンタリーを見る、本を読む。私に今できることはとにかくそれくらいしかないが、やってみる。


こうしたことを友人の前で、親しい人の前で話すのが憚られるようではいけないという気がする。インターネット上にこうしてあげるのも少し怖かった。だが、とにかく自分への反省として書き残そうと思う。

8月15日は過ぎたが、戦争を記憶する、苦しい話でも見聞きし考える、自分の権利について考え行動するのは、記念日でなくても行える、行うべきことだ。だから書いた。

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