わたしの不登校体験記
今まで生きてきて1番悩んだ不登校についての記録を書いておこうと思います。
学校に行けなくなったのは中学3年の後半。
行けなくなったしっかりとした原因は覚えていない。いじめられていなかったし、何かトラブルがあったわけでもなかった。甘えだったと思う。それか覚えてないくらい小さなきっかけだったんだろう。
中学1年生の頃から時々休む日はあった。でも休んでしまえばまた行けた。行けば友達がいて、先生がいて、人と関わることは好きだ。
部活にも入っていたし、そりゃ練習は大変だったけど、嫌いなことでもなかったから引退までやった。
問題はそのあとだった。
私は人と話すのは好きだった。それは今も変わらない。
ただ、一言で言うと、
失敗をこれでもかと言うほどに恐れていたように思う。
1人で発表しなければいけない授業、先生に当てられる授業、上手くできない種目のある体育。「学校は失敗していいんだよ。そこから学ぶんだよ。」そんな言葉を聞くが、私はとてもそうは思えなかった。
失敗は恥ずかしい。みんなが見ている。
(あ、こいつ今間違えたんだ。)
そう思われるのがどれだけ苦痛か。
問題一つ答えるのも私にとっては今じゃ想像できないくらい重要で、間違えられなかった。
別に成績優秀な生徒じゃなかった。中の上と下をうろうろしているような生徒だった。何か役職についていたわけでもなく、部活でいい成績を残しているわけでもない。
だからなのか。
これは自分に対してしか思わないが、
お前は中の下の人間なんだから失敗なんかしたら何も残らない。
そんなふうに思っていた。
上の人はいいんだ。頑張っているから。結果が出ているから。でも私はダメだ、結果が出ていないんだから。
下の人間が頑張っていないなんて、当たり前だがそんなことないと今ならわかる。
「でも頑張ったじゃん」
このセリフを周りにだけじゃなく、今なら自分にだって言ってあげられる。
当時の自分はそれを許せなかった。飴なんか与えたらきっとバチが当たる。
鞭だけでは成果は出ない。それに気付くのが遅すぎたんだろう。
そんな思考が私を支配して、それに耐えられなくなった私は学校を休んだ。
きっとあの時も1日だけのつもりだった。
でも失敗しなくていいんだ。おかしなやつだと思われなくて済むんだ。そんな気持ちになった。
そして次の日も休んだ。
また次の日、学校に行って、早退した。
罪悪感と安堵の気持ちで心がぐらぐらしていた。
そして不登校になった。
学校に行かない日はいつもの休みの日とは程遠い。
学校に行かない日、なだけだった。
夜はひたすら部屋で泣いていた。ばれないように。私を消してください、誰か殺してください、なんて思いながら手を合わせて願った。
今更学校行っても追いつかないしな。そんな気持ちがあった。
学校=失敗が許されない鳥籠
みたいなイメージになった。
高校受験は、受かった。
先生がとっても喜んでくれた。私なんかの合格で喜んでくれるのか。と思いながら先生と握手した。
学校の先生はいい先生ばかりだった。学校に行かない生徒に忙しい受験期間を使わせてしまっているのが申し訳なかった。親だって、理由は知りたがったけど無理矢理行かせるような人ではなかった。理由がわからない自分が情けなかった。
優しさか、諦められていたのか。
どちらにせよ、罪悪感は増える一方だった。
そして今まで支えてくれた人達に感謝しながら卒業式を迎えた。
楽しかった。嘘じゃない。けれどそれより苦しさが勝ってしまう3年間だった。
あんなに人生終わりにしたいと願っていたあの時からもう2年くらい経ちます。
今は結局通信の高校に転校しました。
なんだかんだ生きてます。
自分の記録として、というのもありますが、
同じように悩んでいた、悩んでいる人に
こんな奴もいます
というのを伝えたくて書いてみました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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