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【備忘録4】YouTube再生回数3億回に違和感を感じる

よくテレビ番組で言われるこの言い回しにとても違和感を感じている話

音楽の楽しみ方の話

私が生まれる前、両親の世代はテレビやラジオを録音して何度も再生したり、そしてその曲がよかったらCDを購入した

CD売上枚数300万枚やミリオンセラー
そんな言葉が飛び交っていただろう

そして私たちの世代
CDも買うが、サブスクリプション所謂Apple MusicやSpotifyなどで曲を聴く人が多いのではないだろうか

そして一方でミュージックFMやYouTubeでよく見る、聴く人もいるだろう

MUSICFMの違法性は一旦片隅に置いておくとして、私はこの後者の楽しみ方に違和感を感じる。
そしてそれを有名か否か、流行かどうか、もっというと売れているかどうかを計る材料としていることが気に食わない。

サブスクリプションは再生回数に応じて数円ではあるがの収入がある。アーティストもそのビジネスモデルに賛同しているからサブスクリプション内に曲があるわけだから、そこに対してはなんの違和感もない。むしろその人の収入になるならと音を出さずに曲を再生し続けていたこともある。

一方で無料で音楽を楽しめる、ただ種を撒く、プロモーションの一貫のはずがそこで完結してしまうような、そんな今の音楽の楽しみ方が良くない。むしろそれをなんの悪気もなく当たり前と思っているリスナーが多いことが本当に恐ろしく思う。無銭飲食のような、違和感、恐ろしさ。ただそんなリスナーが悪いわけではなくそんな環境が怖い。

そもそも、YouTubeに曲やミュージックビデオを上げる理由はなんだろう。
多くの人の目に留まりたい、とか手軽にアップできるからとか色々あるだろう。ではその先にある目的は?
多くの人に聴いてもらいたい、お金は山ほどあるし収入に困っているわけでもない。売り上げが欲しいわけでもなくあくまで趣味。それならなんら問題ないだろう。
一方で『その先の目的』はCDの売り上げやライブの動員数であり、YouTubeや無料のツールはあくまで入り口に過ぎないというものが一定数ある。

そこを見極めどういう楽しみ方をすべきなのか、を倫理的に判断するのがいかに大切なことか。あまりにいろんなことが手軽に発信できる今だからこそ、我々リスナーに委ねられているのだろう。
ある意味ここは信頼関係であると思う。

そこの見極めを我々が誤ると、これからいい音楽が減るだろう。何事も作るにはお金がかかる。無銭飲食ばかりしてたらその店は倒産する、原理と同じだ。単価が下がっては質も下がってしまう。

もちろん学生がお金がないのもわかるし、そりゃタダで聴けるものはタダで聴けばいいのかもしれない。ただその中で節度を持とう、という話。当たり前ではないのだという意識を持てるか否か。そして話を戻すと、それを推奨するかのようなテレビなどで目にする『YouTube再生回数』が本当にもやっとする、違和感なのだ。アーティストは広告収入で成り立つ職業ではない。

なので、発信することがあまりに手軽な現代でその発信の目指すべき処を汲み取れる人でありたい、と思う。それが、CDを買うことなのか、いいねを押すことなのか、はたまた雑誌を買うことなのか、足を運ぶことなのか。音楽に限らず製作物の全てにおいて言えること。

せっかくなら、膨大な時間をかけて曲が詞が作られて練られて大切に大切に私たちの手元に届くのだから。大好きなアーティストに最大の敬意を払い、それなりの対価を支払うべき。払う環境がなくなったから払わないのでは、もう手元に届かなくなる日も近くなる。

シングル曲を聴くのに一枚千円という単価をそういう環境下にあったがために認識することのできる私ができることは、ワンクリックで一曲聴けるのが当たり前ではないことを伝えることだと、そこにどんな意味があるかをリスナー、いち音楽ファンの考え方としてここに記しておくこと、だと感じている。

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