来世と過去

「来世に期待」

そんなワードを稀に聞く。
好転するとなぜか確信を持って死んでいく人たちもいる。

時間なんて人間が勝手に生み出した概念であり、それはまぁ重力による物理法則でもあるわけだけど、死んだ人の向かう先が未来であるとは言い切れないのではないだろうか。
不思議と生まれ変わったらもっと住みやすい世界になっていると信じて疑わない人しかいないが、なぜ時間という概念を遡る想定がなされないのだろう。
時間は連続ではあるが、魂だったり霊的なものだったり、そういうものは時間に縛られていないのではないかと思う。根拠はない。

例えば暴力を受け辛くて死を選ぶ人は次の命が奴隷制度が普通である中世に現れないと確信を持てるのだろう。

例えば病気が辛くて死を選ぶ人は次の命が病気は呪いだから隔離しろ山に捨てろと言う時代に生まれないと確信を持てるのだろう。

今が辛いのは分かるのだが、次に期待なんて簡単にして良いものなのだろうか。
気持ちはわかるよ。今が辛いから次に賭けたいという気持ち。
病気はどうにもならないもんね。
暴力による支配って簡単には覆らないもんね。

別に死を否定するわけでも、苦しむ人を否定するわけでもないけれど、ぼくはそう感じたよ、というお話。

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