全てを当たり前と思わない事

今回は、しがない一般人の生い立ちについて。

少々拗らせたアラサーの女が、どのように拗らせていったのか。
自分なりに解釈してみます。

私はよく、今の自分がなぜ存在するのかを考えます。
最近は特に、幼少期の経験を振り返ると、影響を受けた出来事を自分自身が認識していない事もあるんだろうなと思う事が増えました。

失敗も成功も、内的要因も外的要因も、全てが自分を、パーソナリティを形成していると考えると、丁寧に生きたくなりますね。

そんな今の自宅はゴミ屋敷と化しています。

丁寧とは?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は、両親の元に3人きょうだいの長女として誕生しました。

祖父母からも、初孫という事もあり、とても可愛がってもらっていたと思います。

それ自体を当たり前と思っていました。

愛を受ける事が当たり前だったのですね。

この環境がまず、
私を【勘違い野郎】に仕立て上げてしまったのでした。

幼少期は、運動神経が良く、よく褒められていました。

勉強も、そんなに頑張らなくてもほどほどにできました。


【人より優れている】

無意識に、そう感じていました。

現代では人と比べる事は愚かです。
個性で勝負できる時代ですから、競争意識はそこまで重要視されません。

しかし、ここ5,6年でその無意識は打ち砕かれ、私は苦しむ事になりました。

この話はまた別の機会にしたいと思います。


そうして、長年、人より優れていると勘違いした私は、小さな嘘をつくようになります。

”保身“に走るのです。


勘違い野郎は、プライドが無駄に高く、自分で自分の首を絞めるのですが、それに気付けません。

出来事の本質に気付こうとせず、自分で責任を取らず、保身が1番の対処法と勘違いしています。

自分が責められそうになった時、素直に謝る事ができませんでした。
どうにかして、自分の所為にならないようにしなければと感じ、咄嗟に嘘をつきました。

しかし、後々辻褄が合わなくなるのです。
頭の回転が光の速さの人はわかりませんが、私の回転速度では、後々の事まで考えられませんでした。

『あの人には何て言ったっけ?』
『この人にはNoと言ったよな?』

方々に違う事を言ってしまっているので、知らぬ間になくしていた信頼もあった事でしょう。
これは知らぬが仏なので、そっとしておきます。


このように、

1.人に愛されて当たり前
2.高層化プライド勘違い野郎が爆誕
3.ホラ吹きを合併

という、プライドは最高、人として最低な人格形成がなされてしまったのでした。

ここに、両親や親戚からの関わりも加わり、ますます拗らせは加速していきます。
こちらもまた追々綴っていきたいと思います。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

現在は、自分自身が拗らせている事に気づき、素直でいる事の大切さを知った私が書いています。

それでも長年で培われたパーソナリティなので、根本的に変わる事はないでしょう。残念です。

ただ、背景を自覚できた事で私のフィルターに変化が生まれました。

人間は見えない部分も変化していくので、どうせ変化するならよりよくなりたいものです。

あらゆる事を当たり前と思わない事が、自分を幸せにする一歩だと思います。

そんな私の夢は、
快く介護してもらえるおばあちゃんになる事です。

今回はこれにて終了。
お読み頂き、ありがとうございました。

失礼します。

この記事が参加している募集

#振り返りnote

86,494件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?