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ふらり旅#11(名古屋)

久しぶりに潜る新幹線の改札に、テンションが上がった。お弁当は何にしよう、お土産は何を買って行こう。あれこれ迷うには、新幹線の出発時間が迫っていたため、結局お弁当ではなくコンビニのおにぎりを握りしめ、五個入りのもみじ饅頭を買った。

よく旅をしていた頃とは新幹線の車両も変わり、乗り込んでみると以前より車内が明るい気がした、まだ新しい鮮やかな青色のシート。適度に固くスリムになった座席。コンセントは窓側の壁ではなく、肘掛けの下。20代の頃に何度も乗った新幹線の記憶も、だんだんと薄らいできていた。

広島へ越してきて随分経ったが、新幹線が東京方面へと走り出すと「トンネルばっかりだなあ」と毎回思う。トンネルにつぐトンネル。電波が通ったと思ったらまたトンネル。本を読めばいいのに、ついついパソコンを開けて作業を済ませたくなるのだ。

岡山を超えたあたりから、トンネルも少なくなり、急に都会を意識するようになる。開けた田畑が多いが、それでも通り抜けてきた山陽よりも賑わいを感じてしまう。(これは大変個人的な印象です)

ビルも一気に増えた大阪、京都を通り過ぎれば、久しぶりの名古屋だ。

11月の名古屋はもう肌寒くなり始めていて、降り立ったホームが少し肌寒くて、ジャケットが欲しくなった。慣れた道を通ってホームから階段を下り、新幹線の改札を目指すと、改札の向こう側には多くのが行き交っているのがわかった。一昔前は、向こう側の広場に佇む銀時計も見えていたのに、最近では人に覆われていることが増えた。

改札を通り抜けると、迷うことなく人の流れに乗って歩みを進めた。名古屋駅を東西へ抜ける道は混み合っているのに、東京のように秩序立った流れはなく、各々が進みたい道へ歩みを進めるものだから、いつも周りの人が進む方向へ注意を向けて、避けては自分が最適な道筋を通って目的地を目指すことを気にしている。ある種のゲームなのかもしれない。

前までよく行っていたJRのゲートモールタワーのプロントへ入って、少し作業を進めようか。でも、名古屋駅からすぐの場所だし、人通りも多い。平日の午後といっても席は埋まっているかもしれない。コーワキングスペースなどもいくつか調べて、結局大名古屋ビルヂング5階のタリーズへ向かった。商業階とオフィス階の境目に位置していたそこは、思ったよりも人で溢れていた。外のテラスにも出られるようになっていたが、そこも見たかぎり空いている机はなさそうだった。店内を見渡して、照明も暗く、作業している人しか座っていなさそうな角の席に荷物を置いて、飲み物を買いにいった。

それにしても、都会のカフェのスタッフさんはすごい。長いわけではないが、途切れることのない人の列を、ずっと捌いている。レジが一人とキッチンが一人、笑顔も忘れず対応してくれるその姿に、感心した。お昼過ぎからずっとお客さんに追われているかもしれないのに、たった一人のフリーターにも優しい。自分にできる最高のトーンで「ありがとうございます」を言って、飲み物を受け取った。

夕方まで仕事を一通り進めて、少し自分の文章を書き溜めたら、待ちに待ったBUSTEDのコンサートだ。

私が、英語を続けてこれた理由の一つに、間違いなくBUSTEDが関係していると思う。知識をつければつけるほど、歌詞の内容が若すぎて気になるところも出てくるが、まあ、あの頃は自分も若かった!

岐阜の田舎で、一人BUSTEDを聴いていた私は、数人の友だちに布教して、一人で英語を勉強して、カラオケで歌えるようになって、私の高校生活には間違いなくBUSTEDがいた。

30歳も半ばに差し掛かって、やっと初めて生の音が聞けるのだ。彼らは間違いなく、存在していて、私を私たらしめる大切なかけらだ。

一人で臨んだライブ、小さな場所だったが、想像よりも多くの人がそこにいた。縁あって、お隣にいた見知らぬ方々とお話しし、当時について三人で振り返った。

誰も聴いてる人いなかった。
布教したよね。
ライブも人は少ないのかと思ってた。
思ったより人がいて驚いてる。
みんな一体どこにいたんだ。

私も少ない友人へ布教して、BUSTEDを知ってくれてる人がいたが、それとはまた違った。20年経って、初めて同志たちと出会った気がした。

初めて生で見た彼らは、ちゃんとおじさんになっていて、やっぱり20年の時は流れてるんだと思ったけれど、それは自分も同じだ。30半ばの何もない女だ。けれど、ステージに立つ彼らには当時を感じさせる輝きが、端端で煌めいていた。

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