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床屋のおばちゃんのこと


こんばんは、広野です。

ちょっとずつ書くペースが戻ってきました。

体調はだいぶ治ってきた。もう起き上がって家事をしたり、ごはんを作ることもできる。すごい。私。

もう少し体調が戻ったら、散歩も復活していきたい。

でも散歩をすると物欲が目覚めてしまう。

金がなくなってきて、本と花の購入を控えているのに困ったもんだ。ほしい本がいっぱいあるんです。

ネットで見つけたらスクショしている。お酒の本とか、服の本だ。単価2,000円弱だから頑張れば買える。そうだけれども何冊も購入すると破産する。恐ろしい。

それなら一冊だけ選んで買ったら良いとか思うかもしれないが、本というのは気付くと購入しているものです。本屋で1冊ならと思ってレジに並ぶとあら不思議。手には大体もう2冊持っている。5,000円超え必死である。

だからレジに並んではいけない。ネットで買うのも同様。


花もつい買ってしまう。花こそ、一本だけ購入するというのはなかなか無理な話で、結局アソートしてしまう。花は生活必需品ではないと思う方も多いかもしれないが、花があるだけで気分が変わる人も居るのは事実。逆にないと、すごく閉塞感が生まれる。そこからネガティブが蔓延る。

私にとっては花の需要は高いのだ。

広野が花を買うようになったのはここ3年くらいだ。それまで花は庭から取ってくるか、土に埋まっているものだと思っていた。田舎は良いでしょう。近所の人は皆、除草作業で刈った草花をでっかい花瓶にぶっ刺していた。

それだけじゃなくて、庭に咲いてる紫陽花や桜、ミヤマツツジにさくらんぼ、百日紅なんかよく切って生けていた。大人になってから花屋で枝ものがほしいなあと見ていると、案外高価でびっくりする。

ドウダンツツジは安くて1,000円。長く持ってくれるから良いけれど、それでも庭の枝なら0円。放っておけば来年には新しい枝が伸びる。

もちろん雑草も伸びるから困ったもんだけど。土日は草刈り機の音が聞こえないことはない。お勤めの家庭も庭の雑草に手を焼く。特に梅雨が長い今年は雑草の勢いが留まらず、呆然としている方も多いのではないか。

ちなみにそのひとりが母である。

うちの実家は元々祖父の土地で、梅畑があったところを埋め立てて家を建てた。家は小規模だが、残った梅畑と未開墾の土地、竹林、畑が2箇所と庭が広い。母は園芸が好きなので、家の周りは手入れが行き届いているが、さっき上げたところは基本的になにかしら植物が生い茂っている。

野鳥や虫の良い住まいだ。

じいさん、ばあさんは畑があるから曜日は関係ない。曜日を感じるのは、テレビ番組表を見ている時、新聞が少ない時(日曜は夕刊がなかった)、スーパーに行く時(曜日ごとに特売品が変わる)くらいだろう。日の出とともに起床し、種木とともに眠りにつく。

私はとても好き。豊かな暮らしだ。


と、突然田舎のことを思い出した。

しかもコロナのせいで田舎に帰省できないので、ノスタルジーに思いを馳せている。加えて私が小学生の時に発売され、大流行した『ぼくのなつやすみ2』のゲーム実況を見た影響で、エモーショナルな心情なのだ。

だから、今日は広野の小さな頃の周りのじいさん、ばあさんについて書きます。

「ひろ野のなつやすみ」ってかんじに。

でも話の内容は全然夏じゃない。季節なんか結構忘れているし、大体小学生の頃に仲が良かった近所のひとについて書く。


小学校の頃、広野家は共働きで、小学校の横にある祖父母の家に鍵を取りに行くのがルーティーンであった。いつも玄関先で「ばあば、ただいま~!」と大きな声を出すと、祖母が出てきて、「はい、おかえり~」と鍵を渡してくれる。

でも時々来客があったり、電話をしてたりする。

玄関先で、床屋のおばさんとおしゃべりしていることが多かったな。


祖母の家の向かいに床屋がある。祖母は床屋のおばちゃんと仲が良かった。床屋のおばちゃんは孫が居ないから、広野のことを大変可愛がってくれた。

みかんや大根といったとれたて農産物をおすそ分けしてくれた。床屋のおばちゃんは手芸が得意だったので、折り紙を教えてもらったり、タオルで犬の人形を作ってくれたり、美しい千代紙の小箱をくれたりした。地元のお祭の時に婦人部の展示があったんだけど、床屋のおばちゃんはいつもそれに出展していた。お菓子もよくもらっていた。

床屋のおばちゃんは、アニーのような赤茶くるくるパーマ。シルバーのフレームに紫がかったレンズの眼鏡をしている。個性的だよね。

家が近所なことと、広野の父と同い年のおじさんが居て、広野家との親交が多かった。田舎の床屋は暇なので、基本的にはテレビを観てたり、店内から登下校する小学生を見守ったりしている。

広野は帰り道、祖父母の家に寄ると、家に帰る途中、床屋のおばちゃんに毎日のように手を振っていた。

おばちゃんはいつも広野たちの帰りを見守ってくれていた。

小学校4年の時、妹が小学校に入学した。妹のほうが帰りが早い。妹はマイペースなので、祖母が心配して、祖母が家まで付き添うようになったらしい。

それでもひとりで帰る時もあって、そういうときは決まって床屋のおばちゃんに手を振って帰っていたそうだ。さすが姉妹。

二人で帰るときは、たまに店から出てきて折り紙をくれる。

うちに溜まっていく折り紙のうさぎや蝶々、栗とか犬とかを母が迷惑そうに見ていた。まあ、気持ちはわからんでもないが、母のそういうところは嫌だったな~。

中学に上がると、通学路の関係で床屋のおばちゃんに合う機会が格段に減った。会わないうちに、おばちゃんの旦那さんが病床に伏し、亡くなった。

広野が高校の時に床屋のおばちゃんは大好きなゲートボールの最中に足の骨を折った。入院してしまった。おばちゃんは半年ほど店に戻らなかった。

それから時が経て、広野が社会人2年目のお盆。久しぶりに帰省した広野は祖母の家にお土産を置きに伺った。祖父の仏壇に線香をあげて、猫をなでた。

祖父が亡くなってから祖母とよく晩御飯を食べていたので、今晩も一緒に食べようと誘い、10分ほどで帰宅した。

すると、向かいの床屋からおばちゃんがこちらをそっと見ていた。

退院後も体調が優れず、だいぶ衰えていた。奇抜だった髪は殆ど白髪になって潤いがなく、頬のシワが深くなり、目はすっかり瞼に飲まれてしまっている。それでも優しい立ち姿はそのままだった。

私は床屋のおばちゃんに手を振った。

するとおばちゃんは表情は変えず、扉を開けて広野に声を掛けた。

「ちょっと広野ちゃん。こっち来てみ。」

おばちゃんに呼ばれたので、そそくさと道を渡る。

「広野ちゃん帰ってきてただね。柿あるだけん、食べる?いるなら持ってくるで。」

「えっ、柿好き!食べる!」 

広野が即答すると、おばちゃんはよっこいしょと玄関を越え、台所へ入っていった。おばちゃんは例の骨折で足が悪いので時間がかかるだろうと、玄関に腰をかけて待った。

玄関には中国っぽい柄の入った壺(たしか亡くなった旦那さんの趣味)が置いてあり、その隣にぽつん、と小さな傘があった。

手のひらサイズで、可愛い傘。

季節感のある紺地にかき氷の柄の傘は、小さな頃おばちゃんに教わっていた折り紙でできたものだった。


「かわいい」

広野が呟くと、おばちゃんはすぐ近くまで戻ってきていた。ビニール袋いっぱいの柿を携えて。


「でしょう~。しばらくいるなら好きな柄で作ってあげようか?」

「いや、これ。おばちゃんが作ったこれがいい。」

「え~もっとかわいい柄あるのに。」

「いや、これ。これがかわいいよ。」

「まあいいけん」

半ば強引ではあったけど、おばちゃんから小さな傘と大量の柿をもらった。


「じゃあまたくるで!ありがとうね!」


広野は床屋のおばちゃんに笑顔で挨拶して、やっと帰宅した。


家に帰ると、母がちょうど草刈りに庭に出る前で、長靴を履いていた。

「床屋のおばちゃんに柿とちっちゃい傘もらっただよ。」

母は柿は喜んで受け取ったが、傘にはまた嫌な顔をしてみていた。

「これだこれ。」と一瞬で小学生の思い出がフラッシュバックした。母の嫌そうな顔も今になればなんだか面白い。

最近は床屋のおばちゃんに会う機会は随分減ってしまったが、あまり無理はせず、穏やかに過ごしてほしい。次会うのが葬式っていうのはやめてね。



本当はもっといろんなじいさんばあさんを紹介する予定だったのに、床屋のおばさんが強すぎて、おばさんで終わってしまったわ。

まだタダオさんのこととか、物見のばあさんのこととか、庭園のじいさんのこととか、畑のおじさんのこととか、ていうか私のじいじのこととか、じいじの弟の強烈奥さんのこととか、母方のばあばこととか、ていうか義理のおじいちゃんができたこととか話したいことがめちゃくちゃあるんだけど。

まだまだ紹介したい人が多すぎるので、明日以降いつか書きます。

みなさんも田舎の追体験、楽しみにしててください。




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