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紫陽花を枯らした

こんにちは、 広野です。

八月が終わってしまいました。
今年も外で飲酒することなく、
夏が終わってしまいました。

九月に入った途端、気候が激しく変わり、
「はい、もう秋ですよ。秋の支度をしてください」
と天照大神に言われているようです。

そうさっぱりと夏が終わり、
呆気に取られています。

それでも今年の夏は大変暑くて、
ベランダで大切に育てていた紫陽花の木を
焼き尽くしてしまうほどでした。

もうカラッカラに干からびて、
完全焼け落ちてしまった枝葉からは、
可憐なホワイトグリーンの見る影もない。

枯らしてしまった。
その事実が大変ショックで、
未だに干からびた鉢を片付けられないでいる。

ベランダに目を向けるたびに
悲壮感と懺悔が押し寄せてくる。

「私が枯らしたのだよ」と。


草木に声や感情がなくても、
生死があることに変わりはない。

私は脈々と枝を伸ばす植物を見ているし、
葉が反る程勢いよく水を吸って、新しい芽を生み出すところを幾度となく見ている。

殊に、今回枯らしてしまった紫陽花も、
葉を間引いて、陽の光をたくさん浴び、
すくすく育つよう、大事にお手入れしてきた。

越冬に成功し、小さな青葉を出した三月頃。
ひとつ、またひとつと逞しく葉を増やし、
小さな紫陽花を1つだけ付けた。

来年は更に枝が伸びるであろうと思っていた矢先、
酷暑は、今春の紫陽花の努力を
むざむざと焼き払った。

そりゃ、「たくさん光と酸素を吸って、
大きくなってね」とお外に出したわけだが、
しかし、お天道様。
焼くまで陽射しを浴びせろとは、私は言っていないぞ。

八月の酷暑にどうしようもない憤りを
このようにぶつけている私だが、
とは言っても屋内へ退避さなかった私の過失。

そう、間違いなく私が紫陽花を枯らした。

一番、大切にしていた私が紫陽花を枯らした。


こんなに残酷で、悲惨で、逃れられない事実。

つらい、つらすぎる。
紫陽花にも申し訳がない。
私か天の恵みだけが頼りだったろうに。

もう出頭しようかな、というくらいには
落ち込んでいる。


つらつらと懺悔の言葉を記してきたが、
私はまた懲りず紫陽花を購入するだろう。

わたしは紫陽花が大好きなので。

今回失ってしまった紫陽花のクロスを一生背負い、
私は紫陽花を育てていく。
きっと、引っ越しをしても、庭を持っても、
四畳半になっても、紫陽花を買う、私は。

ああ、悲しい。
もう夏はベランダに植物出さない・・・。
東京の暑さを嘗めない。

絶対・・・・。

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