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自分の本音を無視する癖

4月1日。社会人になって1年が経ちました。
久々に自分のことを考える時間を作れて、気づいたことがあったので残したくて書きます。

今回の思考での一番大きな気付きは、社会人になって1年で自分の意志を大切に生きることをすっかり忘れてしまっていたことです。
大学でのほとんどの時間をかけて、自分の本心に気付き答えてあげる訓練を重ね、卒業する頃にはずいぶん進歩できていたのに。

気付くことになった発端は、年度末の飲み会に参加して自己評価がドン底に落ちたことです。
私にとって社会人1年目はこれまで気が乗らなくてやってこなかったこともある程度トライしてみる一年でした。
その中の一つが大人数の飲み会に参加することで、また今回の飲み会はお世話になった上司の送別会ということもあって比較的乗り気で参加してました。

食事も好きなジャンルで、私がなついてる(笑)先輩とも同卓で、楽しい時間もあったのですが、
帰路で「あのときもう少し気の利いたことを言えれば、、」「私はいろんな人に気を使わせているな、、」「今日も2件目に行く元気をだせなかったな」「せっかく楽しいはずの会なのにこんなに反省してるんだ」と
自己否定が止まらなくなり、部屋についたとたん涙が抑えられなくなりました。

その弱音のひとつをツイートしたら、理解してくれている友人が
周りに流されて無理する必要ない!」と声をかけてくれて
心も頭もスーっと軽くなる感じがしました。
そして、最近の自分の行動は人に流されるばかりだったことを思い出してハッとしました。

これではいけないと、大学の時にお世話になったバイブルを久々に読み返し、当時の思考メモを引っ張り出し、
どれだけ自分の本音を無視する生活をしていたか反省しました。
(これは、自己否定スパイラルの反省とは違い、考えれば考えるほど気持ちが明るくなるものです。)

・自分が人より経験が偏っている(遊びの幅や、恋愛経験、いろんなタイプとの会話など)ことを治さなきゃ
・真面目なやつはウケなくて、ユーモアがないと人は評価しない
・みんなと同じようにならなきゃ

振り返ってみると、この3つは特にこの一年でかなり自己否定の要素としてむくむく膨らんでいて、慢性的に自己否定を引き起こしていました。

でも、これって「べき」「しなきゃ」という他人の考えに飲み込まれているたけであって、自分の本音はもっと違うところにあったんですよね。
いつから沼っていたかは分からないけど、新しい環境で何もかも不安定な中で訳が分からなくなっていたんだろうなと思います。

あーーー、ごめんね、私のこころ。
他にも気づかないうちにたくさん無茶をさせていたんだろうね。

私は私のペースで、本音で「良い!」と思うことに従おうと改めて思いました。
どん底気分の夜は何しても気が紛れないくらいつらかったけど、
大切なことを思い出すきっかけにできたから、自分えらい!と、早速一つ自分を褒めました。

ここからの一年も辛いこと、向いてないことがたくさんあるだろうけど
「自分の本音を大事にする」という基礎だけは何度も思い出していこうと思います。



ついでに大事な決断もしました。
社員旅行に行かないことです。

今年私の勤める会社は周年で、夏に数泊の海外旅行が企画されているそうです。
最初は「ここでの人脈が今後の仕事にも活きるかも」「もしかしたら思わぬ嬉しい出会いがあるかも」「同僚ともっとくだけて仲良くなれるかも」「同期に一緒に行こうと誘われたし」と思って出席で回答してました。

でも正直「疎外感感じるかも」「自由行動でぼっちになったらどうしよ」「きっとホテルでは一人になれたことに安心して泣くんだろうな」「ホテル以外逃げ場がないのは苦しいな」と、不安要素も強かったです。

そんなときに今回の「考える時間」があったので、私は早速自分の本音は何か自分に問いました。
そしたら「大人数は避けたい」など理由はたくさんありますが、やっぱり行きたくないとのことだったので、今朝欠席を伝えました。

言えてよかった!きちんと考えて決断して偉い!
おそらく同僚はほとんど参加だと思うので、その間博多座のSHOCKでも一人で行くのもいいなぁなどと、すっかりわくわくしております。
(欠席者にはちょっとだけでもお祝い金が送られないかななどと淡い期待も笑)



本音を無視しない訓練、再スタートです!!✨


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