武満徹 フォー・アウェイ

現代音楽、日本では?
ということで。

ノヴェステで邦楽器で日本らしさだした人でしょ?
と思ってたけどだいぶ違った。むしろショパンみたく西洋音楽のながれに位置付けられてるらしい。武満さんごめん。

武満徹はなんかこう、やばい人で、当時の芸大の"西洋の流れにある"みたいな音楽の勉強が嫌いで無調に走ってる。厨二病。
でも実はこの曲のあたりから、やっぱり調性使うのもちょっとよくね?って可愛くなってるらしい。たとえば伸ばしてる音たちにはちゃんと関連があるとか。3度の響きを積み重ねながら次から次へとハーモニーが変わっていっている(らしい)。

さらに厨二病なことに、当時ガムランとか和楽器とかの音が新しい音素材だ!!ってもてはやされてた潮流にも、いやいや新しいっていうか前からあったやん?俺らが見てなかっただけやん?という冷めた目線を持ってて。
邦楽はいっこの音を彫って彫って形作っていくけど、ガムランはむしろ音階のすごさをみせるやつだよね〜というナナメな視点を得てこの作品を作ってるらしい。

邦楽の音もガムランの音もぜんぶ「素材」として使ってるだけで、ロシアの民謡の使用みたいなアイデンティティを打ち出すためのものじゃなかった、ってのがびっくり。

音を音の響きとして捉えてるって意味ではドビュッシーの延長線でもあるのか…?

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