A.Honegger 交響曲第3番《典礼風》



オネゲル(1825-1955)
6人組でひとり方向が変。逆張りしてそう。硬い。ワインよりビールが好きそう。お酒は永遠にちびちび飲んでそう。シンプルにいうと、すごい好きです。

ドビュッシーとワーグナー足して2で割ったみたいだなあと思ったらわりと正しかったみたい。
以下ざっくりバイオグラフィ。

小さい頃からヴァイオリンと和声を学ぶ。最初チューリッヒ音楽院にいて、その時にワーグナー、シュトラウス、レーガーを受容。あとめちゃめちゃバッハをここで受け入れていく。
そのあとパリ音楽院に。タイユフェール、オーリック、ミヨー、イベールに出会う。イベールはコラボ演奏するほどの仲!ドビュッシーやラヴェルも崇めてたけど、でもやがてもっと新しいとこにすすみはじめる。
結婚したヴォラブール(Vaurabourg)はピアニストで和声対位法フーガの有名な先生(弟子の一人にブーレーズ)。あんまり一緒に生活してなかったみたいだけど、作曲の時に相談してたりしていい仲だったみたい。
大きい作品を好んでて交響曲もほかの人と違ってたくさん。ラジオや映画音楽の同時代パイオニアでもある。普通にすごい。
その後エコールノルマル音楽院で先生してるくらいからWW2に。実は地元がスイスで、この辺からスイス意識した音楽も書くようになる。あとオペラはあんまりだけどオペレッタは評判が良くてビゼーとコラボなんてこともしてたり。


小さいからずっと和声だとかでテクニックを身につけてるから、めちゃめちゃ構造的にずば抜けてる。対位法はお手の物。調性に基づいてるけど同時に古典派前期ロマン派的なものからはがっつり距離を置いてる感じ。Ⅴ→ Ⅰ に頼らない和声。無限旋律的な意味でワーグナーみ。

https://music.apple.com/jp/album/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2-%E7%AC%AC3%E7%95%AA-%E5%85%B8%E7%A4%BC%E9%A2%A8-%E6%80%92%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%97%A5-allegro-marcato/647803155?i=647803164

そんなわけで本日の一曲。
同時代の野蛮さや馬鹿らしさや機械化みたいな風潮へのカウンター的な立ち位置の作品で、もっと心の中の対立やそこからの平和とか愛に目を向けたいジャン!という意気込みで書かれてる。
第二楽章はいままでに出てきた旋律を動かす法則や書法(和声だとか)なしにつくったらどうなるかなって試したもの。古典派のちからっていつからなくなったのか知りたかったから、らしい。
でも最後はちゃんと愛に終わる。やさしい。


前回までのフランス感、まっっっったくない。無骨。特にオーリックなんかは音の響きや聴き心地から入っていく感じが強かったけど、オネゲルはもうなんかすごく構造構造してて建築物みたいな音楽してる。でもそんななかで各々の旋律がすごい綺麗だからいい意味ですごく引き立ってるし記憶に残る。《典礼風》はその内容もあるかもだけど全体にものがたりがあるような進行。他の人たちはものがたりってより詩的だった感じがする。
たしかに、ベートーヴェン的わかりやすさではないんだけども。
ワーグナーみたいなずるずる進む(ワグネリアン様殺さないでください)ところにさらにドビュッシー的和声が重なるみたいな。2で割ってないな。足し算だこれ。
なので最後のパーチェムの救われ感とか到達感とか恍惚感がすごい。うれしい。(このうれしいは、数学の先生とかがいう「この公式がわかるとなにがうれしいかというと…」っていうときのうれしさ。伝われ。)

やっぱり私はドイツ真ん中の音楽が好きなのかな〜ドビュッシーも大好きなんだけどな〜。おわり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?