C.Stockhausen ピアノ作品Ⅺ

まさかのベートーヴェンからシュトックハウゼン。
私の受けてた音楽美学の授業で「開かれた作品」として紹介されたもの。


楽譜が見ての通りなぞ。
断片が沢山書かれてる。
ページもばらばらのまま。

というのも、この作品は、演奏者自身がこの断片を好きな順番に好きなように繋ぎ合わせてつくる作品。作曲者が全部決めるんじゃなくて演奏者が演奏することで音楽が完成する。

せっかく作品を作り上げたのに、演奏者の解釈が入ったら、それは作曲された作品とは変わっちゃうんじゃない?っていうもやもやから、作品の完成を作曲者にするんじゃなくてその先(演奏者)にまで"開いた"ということ、らしい。

しょーーーじき言って、音の作品としての良さはピンとこない。
でも演奏をみてると、音一つひとつが性格を持って生きてるみたいだなあ、と思う。

だよね、って思うけどもちろん現代音楽の枠の作品。現代音楽ってムズカシイけど作者のテツガクは面白いなあ。
絵画でいう、デュシャンのトイレみたいな作品なのかな?
どうなんでしょう…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?