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不登校生の中に身を置いていても馴染めなかった不登校生時代

高校生の頃の話。

東京・神戸にあったフリースクールが派生して、その名前を看板にした広域通信制の高校が地元に出来た。
小5から学校を休みがちになり、中3になってからは1日も登校しなかった私だが、父親から「せめて高校だけは出てくれ」と言われ探した結果、唯一”ここだ”と思ったのがこの高校だった。

広域通信制と謳っていたが、通学のコースもあって、ただ、在学している学生の殆どは元々東京か神戸のフリースクールに通っていた人達がそのままこちらにやってきたという形で、根っからの新規で通学コースを選ぶ人は稀だった。

”不登校生は赤飯もの”それがこの学校の考え方であり、理事長の考え方だった。そして、当時〈スターシード〉や〈ライトワーカー〉という言葉こそ出てはこなかったが、”赤飯もの”にはそういう意味合いが込められていたのではないかと今となっては思っているし、これまで生きてきた学歴主義・出世主義のような利益追求型社会(地の時代)には適応できなかった不登校生は理念やビジョンを中心に結び付いていく人格的共同体社会(風の時代)を先取りしている存在なのだ、という考えだった。実際、不登校生はスターシードやライトワーカーだと私自身も思う。

しかし、その中でさえも生き辛かった。

ここに集まっている人はあたたかくて、世間は冷たくて。
ここに集まっている人は共生を好んで、世間は競争を好んでいて。
ここに集まっている人は裏表がなくて、世間は裏表があって。
ここに集まっている人は慈愛に満ちていて、世間は利己的で。
ここに集まっている人は丸ごと受け入れてくれて、世間は異質を排除しようとする。

他にも挙げ出したらキリがない。私はこの、”何かを上げる為に何かを下げる”数々の発言に違和感を持ち始めた。

私は当時、既にバンドが好きでかなりの影響を受けていた。私がこの学校を選んだ最大の理由は、好きなバンドの曲の歌詞と理事長のおっしゃることの内容や周波数がぴったりと合っていると感じたからである。だからこそ、私はどちらも大切にしたいし、これまで同じように生き辛さを感じ、ただ、この場所には出会わなかったバンドマン達の声が、教育という全く別の方向から切り込みが入るのであればこんなに素晴らしいことはないと思っていた。そしてそれは逆の視点から見ても同じように言えると思っていたのだ。

現実は違った。

「男なのに化粧して気持ち悪い(笑)」
「そんなにそのバンドがいいならそっちに行けば」

これが現実だった。

同じようにバンドが好きな男の子がいた。休日のイベントで理事長や先生方、学生、親を交えてカラオケをする機会があったのだが、その子はいつも十八番の歌を歌って、周りからはネタ担当のように扱われ、彼自身もそこに染まろうとしていた。彼は私のようなご新規とは違い、学生の中でも中心を担うような立場だった。その立場に在るからこそ、好きなものを好きと胸を張って公言することが出来ない葛藤が見えた時、本当に残念な気持ちになった。

何が、ここに集まっている人は丸ごと受け入れてくれて、世間は異質を排除しようとする、だ。結局、学歴信仰に付いて行けず、信仰先を理事長に変えただけの、君たちが嫌悪している世間様と何ら変わらないじゃないか。そう思った。
理事長が本当に求めている・目指している学生像はこういうことではないはずなのに、実情として、そういう主張をしている学生が”元気”とされ、その学校の中心人物のような、その学校で言う”エリート”のような、そんな縮図が出来上がっていた。

しかしそんな縮図の中で、理事長のおっしゃることには傾聴するが、この場所(取り巻き)に同調するのはやめた。私は私の正義で生きていく。そう決めた。

改めて、感情で繋がり一つになることを望む水星座の性質が圧倒的に少なく、”私は私”の視点を持つ牡牛座と、どちらにも傾倒せず己の正義で見極める天秤座を持つ女だわね~~~と思うし、今思うと、本当~~~~~~~にカイロン11ハウスが効いた人生を過ごしてきたなと思う。

11ハウスのカイロン(キロン)の特徴

カイロンは魂の傷を表し、11ハウスのカイロンは社会や集団に中々馴染めないという魂の傷、伝統的な社集団に馴染めない傾向を持つ。社会から疎外された孤独感から同じような志や境遇を持つ仲間と集い、新しい思想や改革を実践しようとするが、新しい集団にも居心地の良さを感じられない。自分の考えが社会や集団にそぐわなくても動じない心を持つことが大切。他者との違いを認められる度量の深さを身に付けることで自分自身を見失うことがなくなる。社会や集団の中で自分の良さを発揮することが癒しに繋がる。

あんなに大好きで、私の生きる意味になっていたバンド界隈ですら馴染めなかったな~と思っているのだから生粋である。
誰もが好きなものを好きと自信を持って公言できる世界であってほしい。それが、私が今の仕事を10年続けてきた理由の一つでもあった。私自身が心底格好良いと思うバンドに埋もれていてほしくないという気持ちと、界隈への恩返しの気持ちが何より大きかったけれど。

しかし、育った家庭にも安心できず、学校にも居場所はなく、同じものや人を好きな人達の中でさえ息が詰まり、10年やってきた仕事環境にすら落ち着けなかった。私の居場所が何処にあるのか分からなかった。よくここまで生きてきたね~~~そりゃ生まれてくること自体を拒みたくもなるわよってね。

同調するのはやめた。でも、あの頃の彼女達は多様性を受け入れる余裕はなく、表面上は元気な学生を装っていても本当は物凄く不安で、縋るものが必要だったのだとも思う。だから恨んでなんかいないし、元気に幸せに、今を生きていてくれたらいいなと思う。彼女達も、彼も。

中学校を卒業し、高校に入学した年は冥王星が射手座から山羊座に移動した年でもある。牡牛座にとって山羊座はトラインの角度。ソフトアスペクト・調和的な角度ではあるけれど、冥王星なので強い決意や覚悟を求めてくる関係性。
決して楽しくて仕方がないと言えるような時間ではなかったけれど、今の私を形作ってくれている大切な時間だった。



現在、保育園児~高校生に当たる世代は冥王星山羊座時代に生まれた子供達が多くを占めているわけなのだが、山羊座という実力主義・結果主義・縦社会・物質や肩書きにステータスを感じる側面を持っているサインの時代に生まれながらも、現実としてはそんな時代を拒否するような不登校生が増えているという事実が非常に面白いなと思う(面白いと言うと怒られるかもしれないけれど)。
ただ、構造を創ったり、理想を目に見える形で現実化させるというカラーも持っているのが山羊座なので、ここからの水瓶座の時代(風の時代)で古い価値観が壊され、山羊座世代が社会に出て先頭切って時代を歩いていく頃には新たな価値観で新たな社会の構造を創るという役割を実際に担っているのかもしれないなと思ったりもしている。

山羊座というのは土星が支配星にある星座。そして、水瓶座というのは土星も支配星にありながら天王星も支配星にある星座。
古い時代、まだ天王星が発見される前は土星がこの宇宙の果て・枠組みだと思われていた。しかし、天王星が見つかったことにより、果てだと思われていた宇宙には更に先があるのだということが分かったのである。制限を超える、限界を超える、枠組みを超える、そんな時代の変容が今起きている(しかも木星双子座期という風パワー全開の今年、本格的に冥王星が水瓶座に移動するという強ムーブ!!)。

不登校生は、そんな風の時代を先取りした存在。
めちゃくちゃ辛かったからこそ言わせてほしい。やっと時代が追い付いてくる。だから、希望を持っていてね。

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