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みんな等しく物語をもっている

金曜日の夜。仕事から帰ってきて、クーラーの効いた部屋で解放感に浸っている。こういうのは久しぶりな気がする。明日から三連休だからかな。

幼い頃の名残りからか、この三連休は夏休みが始まる予感を含んでいるようで、他の三連休より少し特別な感じがする。旅行に行くのもこの連休が多い気がする。今年は鹿児島と熊本へ行く。

ツイッターにも書いたけれど、昨年は埼玉の友だちの家へ遊びに行った。

金曜日の仕事終わりに京都へ行って、鉾のあいだを歩いてから、土曜の早朝に家を出て新幹線に乗ったんだ。

さすがに今年はそんなことはできないけれど、烏丸の町では鉾が立ちお囃子が響いているのだと思うと、今すぐ阪急に乗ってあの空気に浸りにいきたくなる。

今年は巡行の日に有休をとった。七月と八月は京都でいちばん好きな季節だ。

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今週は電撃大賞の発表があった。絶対だめだと思って公開の告知をしてコラムまで作っていたのに、一次通過していた。

楽しみにしてくださっていた方には申し訳ないです。ごめんなさい…。気長に待ってくださるととても嬉しいです。

応募している作品は「恋と煙」という短編。百合文芸に応募する作品を書き終えてから書き始めて、最初はエブリスタの妄想コンテストに応募しようと思っていたのだけれど、どうも文字数が収まりきらない。でもどうせなら何かに応募したいよなあと思ったところ、締め切りや文字数がちょうどよかったのでこちらに応募した。電撃は敬愛する作家さんが受賞されている(もちろん長編だけど)ので、こうしてタイミングが合って嬉しかったのを覚えている。

この作品は初めて書き終わってからあれこれ手直しして、書き終わった後もこれでいいのだろうかと考えていたので、それにアンサーが出たようでうれしい。

小説を書きはじめた頃のように、書き始めたらとまらない、みたいな感じで書いて、書き終わった後もこれで間違いないと思えたらそれが一番いいと思う。今もそう思う。でも今はそうなれない。そうなれないことを考えても仕方がない。だから今の自分ができるやり方でやろうと思った。

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書き終えるたびに何かしらに応募しているのには理由があって、一番大きいのは、誰かに届いてほしいというところかなと思う。

私が小説を書いているのは、寂しいとか悲しいとか誰にもわかってもらえない、という気持ちを掬いたい、それが誰かひとりにでも届いて、生活に寄り添えたらいい、というところがありまして。だからこういう感想がとてもうれしい。

ただこうして一人に届くには、いろんな方に読んでもらわないといけないわけで。以下のたみふる先生のツイートみたいな感じ。

こういう考え方に似ている。

しかし私は宣伝が大変下手。自分のましてやオリジナルの小説なんて誰が読んでくれるんだろうという考えがどこかにあって、どうも開き直れない。なら公募に応募すれば審査にかかわる人は読んでくれる(審査員もいい迷惑である)、上手くいけばその過程で読んでくれる人が現れるかもしれない、万が一受賞したら誰かは読んでくれるだろう、という他力本願な考えのもと公募に応募している。

二次の結果は一ヶ月後らしい。通っていたら嬉しいし、落ちていても公開できる嬉しさがある。楽しみだね。

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金曜ロードショーで未来のミライを観る。晩御飯を食べながら何気なく観始めたけれど、涙を堪えるシーンが何度もあった。

人は長いつながりの中で奇跡のように生きている。それは親しい人たちも、目の前を通り過ぎていく見知らぬ人も同じこと。みんな等しく物語を持っているのだ。

何度もお腹をさすりながら観た。このタイミングで観れて良かった。

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それではみなさん良き三連休を。


#日記 #創作日記 #公募 #電撃大賞

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