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京都遊泳手帖

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京都のあれこれを思い出しながら書くエッセイ。不定期更新。
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自分自身のアーカイブ

引越し作業でパソコンが手元にないため今日はスマホから日記を打っている。 明日から産休。今日で仕事はいったん終わりだった。 いつも帰り道に寄るスーパー。毎日と言っていいほど通って、店員さんの顔も覚えて、それぞれがどんな対応をするかも分かっているのに、もう立ち寄ることはない。最後の買い物を終えて手渡されたレシートには、次の火曜に使うとお肉が2割引になるクーポンがくっついていた。レシートの内容を家計簿に入力してこれを切り取って財布にしまうのが習慣だった。でも今日は家計簿に入力した

祇園祭と京都とわたし

今年は祇園祭の山鉾巡行がなくなった。そして鉾建てもなくなった。こんなことを書くと怒る人もいるかもしれないが、残念な一方でほっとしている。それはコロナがこれ以上広がらないからとか社会全体のことを考えた末の感情ではない。 子どもがいるから今年の宵山をはじめとする行事にはもともと行けなかった。ゆえにもし行事が執り行われていたのなら、悲しさと焦りと悔しさをどこかに抱えながら7月を過ごしていたはずだからである。 祇園祭は7月のあいだずっと続く祭りで、1日の切符入に始まり、30日の疫

五月、京都で緑を追いかけた

五月の京都はさっぱりしている。桜の季節が終わり観光客も減り、鴨川沿いには床がではじめる。強くなった陽射しに、きらめく鴨川の水面。夏が始まると思う。そしてやがてやってくる祇園祭に思いを馳せる。 インバウンドが増え年がら年中どこにでも人が溢れるようになってから「さっぱりしている」と感じることもなくなったが、「そう感じていた」という記憶だけが私の中には残っていて、五月の眩しい光を感じるたび川床の連なる鴨川沿いを思い出す。私の頭の中の京都はあの頃のままであり、それは現在見ている風景