見出し画像

あと22時間後に課題が終わっていればオッケー

深夜3時に夢中で食べるヨーグルトの味があまりにも「夏」で、課題が終わっていないことに落ち込む。今日はいろいろなことに気を取られ、春琴抄を読むのに一日かかってしまい、落ち込む。まだ見ていない講義が4つあり、明日の午前二時までの課題が2つあり、落ち込む。夜通しおきていて、友人と会うまでに終わらせられたらいい。

スマホ依存がとまらん

スマホ依存症は深刻だ。無意識にスマホを開くモードに入ってしまっていると、なかなか抜け出せない。解決方法は「一旦寝る」以外にほぼなく、しかし「一旦寝」てしまうと、次は目を覚ますためにブルーライトを浴びようと枕元のスマホに手が伸びるのだから救いようがない。スマホ依存を解消するためにGoogle先生に解決を求めたこともあるが、よくある「アプリをアンインストールする」という方法や、「スイッチング」も全く効果がない。特に後者。「スイッチング」とは、元々スマホで行っていた動作を同じ機能を持つ他のもので代用することでスマホの使用頻度を減らすといったものだが、「SNSを見たい」という欲求が根本の原因なので、仮にPCに置き換えたとしても、だらだらと目的もないネットサーフィンへの欲求が湧き上がるのは抑えようがないのである。SNSを禁止すればいいのだが、もはやSNSへの欲求は半ば生理的なものへと変化しているので、「見たいのに見られない」という状況そのものが、かなり精神的負荷をかけてくる。三大欲求ならぬ四大欲求、食欲・睡眠欲・性欲・SNS欲である。これを一段階下の欲求に押し下げるにはどうすればよいのかもはやわからなくなっている。だれか教えてほしい。(マズロー的には「上に押し上げる」が正解かもしれない)

ギリギリ星に住む健康体の生き方

そして、課題の締切から逆算し、これ以上遊んでいるとまずいかもしれないというところまで遊び、結局最速の遂行時間でおわらせる癖がこの半期で身についてしまったように思う。(今、「遂行時間」という単語は普通につかうよな?と思って検索をかけたら、時間的切迫が課題遂行時間のなんとやら、みたいなタイトルの論文が出てきて笑ってしまいました)このとき、睡眠時間は勘定に入れない。入れないのではなく、入れられないのだ。音大生アイドルの小林萌花さんは「徹夜するくらいなら次の日の試験は諦める」的なことを前に語っていのだけれど、私はまったくそういう風には生きられない。マインドは既に「睡眠しなければ、あと○○時間もある!」というものですらなくなっている。寝ないで締切まで完走することが、もはや当たり前になっているのだ。

しかし、私は「寝なくても大丈夫」党の人間ではないので、そんなにずっとは起きていられない。前に規則正しい生活を送ることに熱中していたときに発見したのだが、私の適正睡眠時間は7時間ジャストである。それ以下だと次の日になんらかの寝不足の症状が出るし、それ以上眠ると脳のシワがどんどん伸びてしまうような感覚に陥るので注意が必要だ。宵っ張りを好むならせめて身体も宵っ張りに適応してほしいものである。

スローモーな人間のありかた

締切は嫌いだが、自主的に学ぶのは好きだ。せっかく8月になり、本格的な夏を迎えたのだし、今日から夏休みだと思って課題に取り組めば少しは締切を意識せずに済むのかもしれない。

未来の社会人として致命的だが、おそらくなんでも時間をかけたい人間なんだと思う。幼少期はよく母に怒られていたし、今でも同じような小言は止まない。朝の身支度をするのも、宿題をやるのも、お風呂に入るのも、歯を磨くのも、母に言わせればなんでも時間がかかり過ぎなのだという。でも、セルフケアに時間がかけられるって良いことでは?面倒くさがりだけど、いざ手を付けたらすごく丁寧に全部やり遂げるのだから許してほしい。

私が本来なら社会人であるような歳になったからか、徐々に気の緩みを見せてきてはいるが、母も父も基本的になんでも時間内にちゃきちゃき済ませる性格なので、根本的に生活スタイルが合わない。家には味方は誰ひとりいない。しかし、自分のスタイルを曲げる気もない。このように生活スタイルは受け継ぐことなく頑固な性格だけ遺伝し、小言から怒号までやり過ごすくせがついたので、かなりメンタルが強くなった。しかし、裏を返せば人の身振りや潜在的な怒り・苛立ちに無関心なままでも平気なメンタルになってしまったということでもある。

こんな風にスローモーなのは昔からの習慣なので、基本的には「遂行的に刷り込まれた性質であり今更治らないもの」として開き直っている。どうしたらこういう性質と世の中のリズムが心地よく擦り合うのか、模索の日々は続いていく。

画像1

4年前に行った、由比ヶ浜らへんの風景。

課題をやりたくない気持ちを気が済むまで打ち込んでいたら、外で鳥が鳴き始めた。しかし、今ひとつだけ気づいたことがある。私は文章が書きたくてSNSを触るらしい。そのため、ある一定量の文章を書くことでその気持ちは収まるのである。気がのらないこともあるだろうが、もしまただらだらと何かしそうになったらひとまず文を打ってみるのも手かもしれない。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?