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1900年代生まれ 建築家 31名

1900年

1.大岡 實

生年月日: 1900年9月29日
没年月日: 1987年12月7日

職業: 日本の建築家・建築史学者・修理技術者

経歴
1900年: 東京に生まれる。
1926年: 東京帝国大学工学部建築学科を卒業。
1927年: 文部省宗務局嘱託となる。
1941年: 「興福寺伽藍配置ノ我伽藍制度史上ニ於ケル地位ヲ論ズ」により、工学博士(東京帝大)を取得。
1952年: 横浜国立大学工学部教授に就任。
1965年: 横浜国立大学を定年退官、日本大学工学部教授に就任。
1987年: 横浜文化賞を受賞。
1987年12月7日: 逝去。

主要作品
1958年: 浅草寺本堂(再建)
1960年: 松前城資料館(松前城本丸跡に立地)
1964年: 川崎大師平間寺本堂(再建)
1970年: 聖光寺本堂(再建)

主な著書
1932年: 『建築様式』大日本工業学会
1934年: 『高等建築学 第1巻 日本建築様式』常磐書房
1935年: 『高等建築学 第2巻 西洋東洋建築様式』常磐書房
1965年: 『日本の美術 第7 奈良の寺』平凡社
1966年: 『南都七大寺の研究』中央公論美術出版
1967年: 『日本の建築』中央公論美術出版
1971年: 『日本建築の意匠と技法』中央公論美術出版


2.大倉 三郎

生年月日: 1900年2月24日
没年月日: 1983年11月26日

職業: 建築家、教育者
活動地域: 主に京都

経歴
1900年 京都市に生まれる。
1920年 旧制同志社中学を経て旧制五高を卒業。
1923年 京都帝国大学工学部建築学科卒業
     宗建築事務所に入所。
1928年 京都帝国大学営繕勤務
     (武田五一の指導を受ける)。
1929年 京都帝国大学花山天文台を設計・竣工。
1940年 台湾総督府技師営繕課長に就任。
1946年 台湾行政長官公署留用
     国立台湾大学工学部土木学科教授に就任。
1948年 帰国。
1949年 大阪工業大学教授に就任。
1951年 京都工芸繊維大学教授に就任。
1955年 工学博士号を取得。
1957年 日本建築学会賞を受賞
    「ゴットフリート・ゼムベーの建築論的研究」
1960年 京都府建築士会会長に就任(~1973年)。
1962年 京都工芸繊維大学学長に就任。
1966年 京都工芸繊維大学を退官。
1967年 西日本工業大学学長に就任。
1977年 西日本工業大学を退職。
1983年 逝去。

主な作品
1925年 萬年社京都支社 宗建築事務所で担当
1926年 旧伊藤千太郎邸
    (旧近畿建築会館、旧ヒサヤ大黒堂玄武会館
1927年 ヴォヤージュドゥルミエール
     京都七条迎賓館
1929年 京都大学花山天文台
1930年 生駒時計店
1931年 熊本YMCA花陵会館
1931年 京都大学農学部演習林事務室
1933年 京都大学法学部・経済学部本館
1936年 龍谷大学図書館
1939年 臺北州立臺北第三高等女學校
1954年 同志社大学明徳館


3.金澤 庸治

生年月日: 1900年3月15日
没年月日: 1982年

職業: 建築家、建築教育者

経歴
1900年 東京に生まれる。
1917年 京北実業学校中学校を卒業。
1919年 東京美術学校図案科第二部予備科に入学
1924年 東京美術学校建築科の第1回生として卒業
   同年、一年志願兵として近衛輜重兵大隊に入隊。
1927年 東京美術学校の講師に就任。
1936年 東京美術学校助教授に就任。
1946年 東京美術学校を退職。

主な作品
1924年 ユートピアの倶楽部
1928年 日西墨三国交通発祥記念之碑
1930年 金澤家住宅
1931年 六角堂
1935年 正木記念館
1965年 若獅子の塔


4.土浦 信子

生年月日: 1900年9月22日
没年月日: 1998年12月11日

職業: 建築家、画家
出身地: 東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区)
旧姓: 吉野

経歴
1900年 宮城県仙台市で吉野作造の長女として誕生
1919年 東京女子高等師範学校附属高等女学校を卒業
1923年 土浦亀城と共にアメリカに渡る
     フランク・ロイド・ライトの元で働く。
1925年 アメリカ大陸を車で横断し、東京に帰国。
1926年 夫とともに建築設計を開始。
1931年 五反田の自邸を設計・完成。
1935年 目黒の自邸を設計・完成。
1937年 建築活動を断念
    「レディースカメラクラブ」の会員となる
     写真制作を開始。
戦後: 抽象絵画を描き続ける。

主な作品
1929年 斎藤会館
     ベドジフ・フォイエルシュタインと協働。
     地下鉄ビル
     朝日新聞主催「新時代の中小住宅」懸賞設計
1930年 大脇邸(Owaki House、Demolido)。
     谷井邸(Yatsui House、Demolido)。
1931年 五反田の自邸を設計・完成。
1933年 徳田ビル(東京、Demolido)。
1935年 目黒の自邸を設計・完成。
1936年 野々宮アパート(東京、Demolido)。
1938年 強羅ホテル(箱根、Demolido)。


5.山越 邦彦

生年月日: 1900年6月22日
没年月日: 1980年4月7日

職業: 建築家、建築設備設計技術者
出身地: 東京

経歴
1900年 東京に生まれる。
1920年代 東京帝国大学工学部建築学科を卒業
     戸田組に入社。
1933年 自邸ドモディナミカ(動力学の家)を発表

戦後
横浜国立大学理工学部教授に就任
1950年代 DOMO MALTANGLAを設計
1970年代 象設計集団が設計したドーモ・セラカント
1980年 逝去。

主な作品
1933年 自邸「ドモディナミカ(動力学の家)」
1950年代 DOMO MALTANGLA
1970年代 ドーモ・セラカント

現存:
耀堂ビル(現・日本穀物検定協会横浜支部、横浜市)


1901年

1.柴田 太郎

生年: 1901年
没年: 1984年

職業: 建築家
活動地域: 長野県

経歴
1901年 生まれる。
1920年代後半 遠藤新に師事
   フランク・ロイド・ライトの思想に触れる
1920年代 長野県を中心に設計活動を開始

主な作品
1930年 正木邸(長野・上諏訪、現存)。
1935年 藤原氏別邸(長野・上諏訪、現存)。
1930年代 茅野自転車店(長野・上諏訪、現存)。


2.泰井 武

生年: 1901年
没年: 1997年

職業: 建築家
出身校: 名古屋高等工業学校

経歴
1901年 生まれる。
1920年代 名古屋高等工業学校を卒業。
1926年 神奈川県庁舎懸賞設計に応募
     三等二席に入選。
1927年 東京市臨時建築局学校建設課に勤務
     第一銀行に転職
     西村好時の下で働く
     西村の独立後、西村設計事務所に移る
1934年 静岡県庁舎懸賞設計競技に当選
     実施設計は静岡県営繕課の
     中村與資平・大村巳代治らが担当。
1935年 朝鮮総督府始政25周年記念博物館の
     競技設計で佳作
1944年 西村設計事務所を離れ鹿島建設に転職
     工事管理部門を担当
1971年 鹿島建設を退職
     片山建築事務所に移り工事管理部門を担当
1997年 逝去。

主な作品
1937年 静岡県庁舎本館(静岡県、登録文化財)


1902年

1.川喜田 煉七郎

生年: 1902年2月26日
没年: 1975年6月18日

職業: 建築家、店舗デザイナー、インテリアデザイナー、デザイン教育者

経歴
1902年 東京日本橋の米問屋に生まれる。
1924年 東京高等工業学校
     附設工業教員養成所建築科を卒業
     在学中には帝国ホテルの現場に参加
     フランク・ロイド・ライト、遠藤新、
     土浦亀城らに指導を受ける
     山田耕筰に作曲を師事
     「霊楽堂の草案-別称:劇場」を発表。
1925年 神奈川県立工業学校で数学教師を1年間務める
1926年 卒業制作を発展させた
    「霊楽堂-別称:或る音楽礼拝堂」を
     分離派建築会に応募し入選。
1927年 分離派建築会展覧会で
    「ある舞台への提案
     古事記神代篇・古代篇の音楽的演出」を出品
1928年 「民衆映画館兼劇場」、「浅草改造案」、
     「東京街路改良案」を発表。
     AS会(明日の建築を考える会)を結成。
     日本交響楽協会出版部売店
     インテリアデザインやI氏の
     写房インテリアデザインを手掛ける。
1930年 ハリコフ劇場建築国際設計競技で4位入選。
     同年、芝田村町キムラヤパン店を設計。
1932年 新建築工芸研究所を東京銀座に設立。
     バウハウス的デザイン教育を目指し、
    「構成教育」に取り組む。
1935年 店舗設計依頼が増加し、
     心理学者上野陽一を顧問に
    「川喜田煉七郎店舗能率研究所」を創設。
1936年 雑誌『建築工藝アイシーオール』創刊
1942年 著作『構作技術大系』を発表。
1950年 『店舗設計陳列図解ハンドブック』を発表。
1956年 雑誌『商店建築』創刊に尽力。
1961年 日本店舗設計家協会の初代会長に就任。
1967年 著作『世界の看板-世界の造形と
        サインのソースブック』を発表。
1970年 著作『デザイン創造—精神と
        空想のデザイン』を発表。
1974年 『図解講座 店舗とディスプレー』シリーズ
1975年 逝去。

主な作品
1928年 日本交響楽協会出版部売店
     インテリアデザイン、
     I氏の写房インテリアデザイン
     (藤井五郎と共作)。
1930年 芝田村町キムラヤパン店設計。

著作
1937年  『図解式 店舗設計の實際』
1942年 『構作技術大系』
1950年 『店舗設計陳列図解ハンドブック』
1962年 『世界の旅ショーウインドー』
1967年 『世界の看板-世界の造形と
      サインのソースブック』
1968年 『世界のディスプレーテザイン』
1970年 『デザイン創造—精神と空想のデザイン』
1974年 『図解講座 店舗とディスプレー』シリーズ


2.清水 一

生年: 1902年3月13日
没年: 1972年3月17日

職業: 建築家

経歴
1902年 東京府に生まれる。
1926年 東京帝国大学工学部を卒業
     大倉土木(現・大成建設)入社
     設計部で働き始める。
1938年 大倉集古館の設計に関与。
1939年 サンフランシスコ博覧会日本館の設計を担当
1950年 大成建設取締役建築技師長に就任。
1952年 中央建築士審議会委員に任命される。
1953年 大成建設取締役に就任。
1956年 『すまいの四季』で
     日本エッセイストクラブ賞を受賞。
1959年 大成建設常務取締役に昇進。
1963年 大成建設を退任し、顧問となる。
1965年 日本大学生産工学部教授に就任。
1968年 設計事務所を開設。
1972年 逝去。

主な建築作品
1938年 大倉集古館
1939年 サンフランシスコ博覧会日本館
1963年 ホテルオークラ、
     ホテルニューオータニの設計に従事
著作
1954年 『住みよい家の建て方』
1954年 『人の子にねぐらあり すまひ読本』
1956年 『すまい』
1956年 『すまいの四季』
1957年 『窓のうちそと』
1958年 『住宅の健康法』
1960年 『家のある風景』
1963年 『日本建築と工匠たち 対談集』
1963年 『新住居入門 人間を生かすための設計』
1965年 『すまい今昔』
1967年-1969年  『清水一随筆集 その1-3』
1970年 『すまいと風土』
1972年 『私の建築事典』
1974年 『建築学入門』
1975年 『私の建築辞典』


3.東畑 謙三

生年: 1902年4月11日
没年: 1998年4月29日

職業: 建築家

経歴
1902年 三重県一志郡豊地村(現・松阪市)に誕生
     地主の家に生まれ、東畑吉之助の三男。
1923年 第三高等学校理科乙類を卒業。
1926年 京都帝国大学工学部建築学科を卒業。
1932年 東畑謙三建築事務所を設立。
1961年 建築業協会賞を受賞。
1969年 日本建築学会賞を受賞。
1970年 建築業協会賞を再度受賞。
1972年 藍綬褒章、紺綬褒章、勲三等瑞宝章を受章。
1976年 建築業協会賞を受賞。
1980年 建築業協会賞を受賞。
1981年 日本建築学会賞を再度受賞。
1990年 国際花と緑の博覧会 政府苑を設計。
1992年 千里ライフサイエンスセンターを設計。
1998年 逝去。

代表作品
1930年 旧東方文化学院京都研究所
1970年 大阪駅前第1ビル(大阪)
1983年 大阪駅前第4ビル(大阪)
1985年 インテックス大阪(大阪市)
1990年 国際花と緑の博覧会 政府苑(大阪市)
1992年 千里ライフサイエンスセンター

受賞・栄典
1961年 建築業協会賞
1969年 日本建築学会賞
1970年 建築業協会賞
1972年 藍綬褒章、紺綬褒章、勲三等瑞宝章
1976年 建築業協会賞
1981年 日本建築学会賞

家族・親族
妻: 東畑博子(岩井商店岩井勝次郎の四女)
兄: 速水敬二(哲学者)
実兄: 東畑精一(農業経済学者)
実弟: 東畑四郎(農林事務次官)


4.山口文象

近代日本建築運動のリーダーであり、モダニズム建築と和風建築の名手として知られています。以下に、彼の代表的な計画や設計を西暦で詳細にまとめました。

経歴
1902年 - 東京・浅草に生まれる。
1915年 - 府立一中(現・都立日比谷高校)入学
     翌日に退学。
     東京高等工業学校附属職工徒弟学校
     木工科大工分科入学
1918年 - 東京高等工業学校附属職工徒弟学校卒業
     清水組(現・清水建設)に入社。
1920年 - 清水組を退社し、東京に戻る。
1923年 - 分離派建築会の一員となる。
     創宇社建築会を結成
     近代建築運動に影響を与える。
1924年 - 帝都復興院を改組
     復興局橋梁課の嘱託技師となる
     震災復興の橋梁デザインに関わる。
1930年12月 - シベリア経由で渡欧。
     ヴァルター・グロピウスのアトリエで働く
     ダム関係の調査を行う。
1932年 - 山口蚊象建築設計事務所を主宰。
     帰国後モダニズム建築として一躍注目される

建築作品
1927年 - 東京朝日新聞社
1927年 - 山崎商会
1928年 - 日本橋白木屋百貨店
1933年 - 小泉八雲記念館
1934年 - 関口邸茶席・会席
1934年 - 日本歯科医学専門学校付属医院
1935年 - 西一雄男爵邸
1935年 - 山田智三郎邸
1936年 - 東電山崎発電所及び早川取水堰堤
1936年 - 小林邸
1936年 - 番町集合住宅
1936年 - 前田青邨邸・アトリエ
1936年 - 山形梅月堂
1936年 - 日本電力黒部川第二発電所・小屋平ダム
1939年 - 二見邸
1940年 - 山口文象自邸
1941年 - 林芙美子邸
1945年 - 相模湖芸術村構想
1949年 - 高松美術館
1950年 - 久が原教会
1952年 - 関東学院グレセット記念講堂
1952年 - ローコストハウス
1954年~ - 神奈川大学校舎・図書館・本館等
1954年 - 大日本製糖工場
1955年 - 聶耳記念碑
1959年 - 朝鮮大学校校舎
1962年 - 美術家会館
1964年 - 新制作座文化センター
1964年~1965年 - 千里ニュータウンC地区分譲住宅
1965年 - 茨城県下館綜合卸センター
1966年 - 新大阪繊維卸センター「センイシティ」
1967年 - 高野実邸
1968年 - 茨城県鹿島地区流通センター
1969年 - 佐藤進別邸
1969年 - 高岡問屋センター団地
1969年 - 豊岡市豊岡卸センター
1969年 - 和歌山プラクリ丁
1969年 - 石嶋清光別邸
1970年 - 佐藤別邸
1970年 - 木名瀬邸
1970年 - 佐藤茂邸
1970年 - 菊地邸
1970年 - 坂井邸
1971年 - 龍海院
1972年 - 吉祥寺FFビル
1973年 - 京都平安教会
1973年 - 町田市郷土資料館


1903年

1.内藤資忠

生涯:
1903年: 東京市目黒に生まれる。
    目黒区白金小学校卒業
    府立第四中学(現・戸山高等学校)卒業
    第三高等学校卒業。
1927年: 京都大学工学部卒業。
    朝鮮総督府の技手として赴任。
1932年: 京都大学営繕課に移る。
    旧満州国国務院「大陸科学院本館」
    コンペ当選。大連駅舎設計に参画。
1937年: 大連駅舎竣工。
1938年: 満州房産株式会社に移る。
    技術課長に就任。
1940年: 建築興業株式会社常務取締役を兼任。
1942年: 内藤建築事務所を京都市と旧満州国新京市
    (現・長春市)に同時に開設。
1947年: 終戦後、京都に事務所を再開。
1950年: 「内藤式曲面版工法」を開発。
1953年: 内藤建築事務所を株式会社に改組
    初代社長に就任。
1973年: 会長に就任。
1985年: 81歳で死去。

主な作品:
1934年: 京都大学附属病院耳鼻咽喉科学教室病舎
1935年: 大陸科学院本館
1936年: 京都大学理学部動物学及び植物学教室本館
1936年: 京都大学附属病院内科学教室病舎


2.林豪蔵

生涯:
1903年3月: 東京市麹町区に生まれる。
1927年: 東京帝国大学建築学科を卒業。
1927年: 大阪府警察部建築課勤務。
1931年4月: 横浜高等工業学校建築学科に教授に就任。
1966年: 横浜国立大学工業教員養成所の所長に就任。
1969年3月: 横浜国立大学定年退職。
1975年: 死去。

主な作品:
1935年: 横浜銀行協会の建物設計(着工)

親族:
大熊喜邦: 林豪蔵は大熊の娘婿であり、横浜銀行協会の設計者として連名になっているが、実施設計は林の手によると推測される。


3.平山 嵩

生涯:
1903年2月15日: 東京府(現・東京都)に生まれる。
1926年: 東京帝国大学工学部建築学科を卒業。
1930年: 東京帝国大学工学部講師に就任。
1931年: 東京帝国大学助教授に昇格。
    公衆衛生院建築衛生部長を兼任。
1940年: 東京帝国大学教授に就任。
1963年: 東京大学を定年退官し、名誉教授となる。
1963年: 東洋大学工学部教授として就任。
1977年: 東洋大学を定年退任し、名誉教授となる。
1986年11月20日: 死去。

学歴:
1926年: 東京帝国大学工学部建築学科を卒業。

留学:
ハーバード大学修了
マサチューセッツ工科大学大学院修了。

職歴:
大蔵省営繕管財局: 国会議事堂の室内意匠・音響設計等に従事。
東京帝国大学: 講師、助教授、教授。
東洋大学: 工学部教授、名誉教授。

受賞・栄典:
1939年: 日本建築学会賞学術賞を受賞。
1973年: 勲二等瑞宝章を受章。
1979年: 日本音響学会功績賞を受賞。
1983年: 日本建築学会大賞を受賞。

研究内容・業績:
日本における環境工学の基礎を築いた。

建築作品:
科学技術館
東洋大学
学習院大学
日立市小平会館
山王病院

著書:
『厚生住宅』
『標準住宅論』
『建築設計理論』
『建築計画汎論』

家族・親族:
父: 天文学者・平山信。
妻: 原正幹の長女。
次男: 天文学者・平山淳。
義弟: 地質学者・鉱物学者の坪井誠太郎、数学者の正田建次郎、元東洋製作所社長の佐竹義利、元東京電気保全会長の川上寿一。
甥: 化学者・坪井正道、法学者・正田彬。


4.間野 貞吉

生涯:
1903年 兵庫県神戸市に生まれる。
1926年 東京帝国大学工学部建築科を卒業。
1929年 東京帝国大学卒業。
1932年 工学博士号を授与。
1936年 港区虎ノ門に日本基督教団芝教会を設計
1941年 株式会社日立製作所営繕課に勤務。
1947年 株式会社大林組の設計部に勤務。
1960年 ゴルフ場のコース設計を行う。
1964年 相模カンツリー倶楽部の理事に就任
     グリーン委員長を務める。
1979年 死去。

業績:
耐火建築物の設計を多く手掛ける。
ゴルフ場設計者としても活躍し32コースを手掛ける。
ゴルフ場の設計理念は相模カンツリー倶楽部の設計者・赤星六郎の理念を受け継いでいる。

主な設計コース:
1960年 小山ゴルフクラブ(栃木県小山市)
1961年 戸塚カントリー倶楽部(神奈川県横浜市)
1962年 熊谷ゴルフクラブ(埼玉県熊谷市)
1963年 倉敷カントリー倶楽部(岡山県倉敷市)
     札幌国際カントリークラブ(北海道北広島)
     諏訪湖カントリークラブ(長野県諏訪市)
1964年 PGM総成ゴルフクラブ(千葉県成田市)
     鳥取ゴルフ倶楽部(鳥取県鳥取市)
1966年 朝陽カントリークラブ(山口県山陽小野田)
1967年 新沼津カントリークラブ(静岡県沼津市)
     日立ゴルフクラブ(茨城県日立市)
1971年 鈴蘭高原カントリークラブ(岐阜県高山市)
1973年 新大阪ゴルフクラブ(大阪府三島郡)

著書:
『国立公園ニ建ツ山小屋建築設計図案集』(1934年)
『面影 故桜沢堅太郎紀念』(1935年)
『久原君の思ひ出』(1939年)
『建築界』(1956年)


1904年

1.市浦 健

生涯:
1904年1月24日: 生まれる。
1928年: 東京帝国大学工学部建築学科卒業。
    大学院に籍を置く。
1932年: 新建築工芸学院で教鞭をとる。
1936年: 厚生省体力局嘱託
    同保険局技師として勤務。
1937年: 「建築生産の合理化について」を発表。
1941年: 住宅営団に入り研究部企画課長などを歴任。
1945年: 戦災復興院技師として勤務。
1948年: 鹿島建設にて取締役、企画第三部長
    沖縄支店や名古屋支店長を歴任。
1952年: 株式会社市浦建築設計事務所を創設。
1961年: 株式会社都市開発コンサルタントを設立。
1962年: 工学博士の学位を授与。
1967年: 都市計画コンサルタント協議会初代会長に就任
1968年: 市浦建築設計事務所と
    都市開発コンサルタントを合併
    市浦都市開発建築コンサルタンツを設立
1970年: 日本建築家協会会長に就任。
1973年: 財団法人住宅部品開発センター
    (現ベターリビング)初代理事長に就任。
1979年: 都市計画コンサルタント協会会長を務める。
1981年11月3日: 死去。

業績:
共同住宅の計画・設計をはじめ、団地・ニュータウン計画や既成市街地の居住環境構築に貢献。
トロッケン・バウ(乾式構法)パネル式木造組立住宅、プレファブ住宅を開発研究。
Y字形のスターハウスを考案し、1956年以降はスターハウスの高層化を構想。
千種台、赤羽桐ヶ丘、千里ニュータウン、多摩ニュータウンなどのニュータウン開発に尽力。

主な作品:
阿部邸
三井信託銀行大阪御堂筋支店
京都大谷大学図書館
霞友会館
旧日本住宅公団本社庁舎
公団万世橋アパート
日光龍頭山の家
東京都営桐ヶ丘アパートE街区とW街区

著書:
『高等平面立体図学』(1948年、船越義房と共著)
『明日の日本住宅』
『最新建築造園大観』(吉田書店)
『住宅の平面計画』(相模書房)
『建築学大系 37 建築学史 建築実務』(村松貞次郎と共著)


2.坂倉 準三

生涯:
1901年5月29日: 岐阜県羽島郡竹ヶ鼻町で生まれる。
1916年: 岐阜県立岐阜中学校に入学。
1920年: 第一高等学校文科入学。
1923年: 東京帝国大学文学部入学。
1927年: 東京帝国大学文学部美学美術史学科美術史卒業
1928年: 兵役に就く。
1929年: フランスに渡り、パリ工業大学で学ぶ。
1931年: 前川國男の紹介で
    ル・コルビュジエの建築設計事務所に入る。
1936年: 帰国
    パリ万博の日本館建設のため再度フランスへ。
1937年: パリ万国博覧会で日本館を設計
    世界的に高い評価を受ける。
1939年: コルビュジエの仕事を手伝った後、帰国。
    西村伊作の次女、坂倉ユリと結婚。
1940年: 坂倉準三建築研究所設立。
1964年: 日本建築家協会会長に就任。
1969年9月1日: 心筋梗塞により68歳で死去。
    正五位勲三等瑞宝章が贈られる。

主要作品:
1937年: パリ万博日本館(現存せず)
1941年: 飯箸邸(現・ドメイヌ・ドゥ・ミクニ)
1949年: 大阪スタヂアム(現存せず)
1951年: 神奈川県立近代美術館
    (現・鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム)
1951年: 東京日仏学院
    (現・アンスティチュ・フランセ東京)
1953年: 岡本太郎邸
    (現・岡本太郎記念館)
1954年: 関西電力丸山発電所(岐阜県八百津町)
1954年: 東急会館(東京都渋谷区、現存せず)
1955年: 国際文化会館
    (日本建築学会賞、DOCOMOMO)
1957年: 東急文化会館
    (現存せず・後に渋谷ヒカリエ)
1957年: 南海会館(大阪府大阪市中央区、現存せず)
1959年: 羽島市庁舎
    (旧本庁舎、日本建築学会賞.DOCOMOMO)
1959年: シルクセンター国際貿易観光会館
    (神奈川県横浜市)
1960年: 上野市公民館(三重県伊賀市、現存せず)
1961年: 塩野義製薬中央研究所
    (大阪府大阪市福島区、現存せず)
1961年: 西条市体育館(愛媛県西条市、現存せず)
1962年: 呉市庁舎(広島県呉市、現存せず)
1962年: 東洋レーヨン基礎研究所
    (神奈川県鎌倉市、現・東レ基礎研究所)
1963年: 中産連ビル本館
    (愛知県名古屋市、DOCOMOMO)
1963年: 羽島市勤労青少年ホーム
    (岐阜県羽島市、現存せず)
1963年: 佐賀県体育館
    (現・市村記念体育館)
1963年: 大阪府立阪南高等学校(大阪府大阪市)
1964年: 上野市庁舎
    (南庁舎のみ現存・現・伊賀市庁舎)
1964年: 三重県上野総合庁舎
    (三重県伊賀市、現存せず・後に伊賀市庁舎)
1964年: 枚岡市庁舎
    (現存せず・後に東大阪市旭町庁舎)
1964年: 芦屋市民センター 市民会館本館
    (1998年日本建築家協会25年賞)
1964年: ホテル三愛
    (北海道札幌市、現・札幌パークホテル)
1964年: 岩手放送会館
    (岩手県盛岡市、現・IBC岩手放送会館)
1964年: 天童木工東京支店(東京都港区)
1965年: 東京近鉄ビル(東京都千代田区、現存せず)
1966年: 神奈川県立近代美術館鎌倉館新館
    (神奈川県鎌倉市、現存せず)
1966年: 神奈川県庁新庁舎(神奈川県横浜市)
1966年: 新宿駅西口広場
   (日本建築学会賞・DOCOMOMO、現存せず)
1966年: 名古屋近鉄ビル(愛知県名古屋市)
1967年: 小田急電鉄新宿駅西口本屋ビル
    (現存せず・後に小田急百貨店本店)
1967年: 岐阜市民会館(岐阜県岐阜市)
1967年: 山口県立山口博物館(山口県山口市)
1967年: 旧大阪府立総合青少年野外活動センター
    (大阪府能勢町、日本建築学会賞)
1967年: 駐仏日本大使公邸(フランス・パリ)
1968年: 羽島市民会館(岐阜県羽島市)
1969年: 芦屋市民センター 市民会館ルナ・ホール
    (兵庫県芦屋市)
1969年: タイ国文部省職業教育学校・日本人学校
    (タイ王国、一部現存せず)
1969年: 近鉄賢島カンツリークラブ・クラブハウス
    (三重県志摩市)
1970年: 大阪万国博覧会電力館
    (大阪府吹田市、現存せず)
1970年: 奈良近鉄ビル
    (奈良県奈良市、外装は大幅に改修済み)
1970年: 国鉄渋谷駅西口ビル
    (現存せず・後に東急百貨店東横店南館)
1971年: 宮崎県総合博物館(宮崎県宮崎市)
1971年: ホテルパシフィック東京
    (現存せず・後にSHINAGAWA GOOS)

著書・訳書:
1941年: 『選択・伝統・創造 日本芸術との接触』
    シャルロット・ペリアンとの共著(小山書店)
1956年: ル・コルビュジエ 『輝く都市』
    (丸善、鹿島出版会「SD選書」1968年)

伝記:
2009年: 『大きな声 建築家坂倉準三の生涯』
    (鹿島出版会、新装版)
2010年: 『建築家坂倉準三 モダニズムを生きる』
    (神奈川県立近代美術館編)
2011年: 松隈洋『坂倉準三とはだれか』(王国社)
2021年: 松隈洋『建築家・坂倉準三 「輝く都市」


3.図師 嘉彦

人物・来歴
1904年: 東京に生まれる。
    父は鉄道官僚の図師民嘉
    母の佐用は江戸幕府奥医師林洞海の娘。
1929年: 早稲田大学理工学部建築学科卒業。
1929年: 大蔵省営繕課に勤務。
1931年: ドイツに留学。
1934年: 帰国
    日本共産党に資金提供したとして
    治安維持法違反で逮捕。
1935年: 独立
    「株式会社図師設計事務所」を設立。
1937年: 市浦健・土浦亀城らと新興建築家聯盟を結成。
1946年: 今泉善一、梅田穣、海老原一郎らと
    日本民主建築会を結成。
1947年: 全日本建築民主協議会を結成
    翌年新日本建築家集団(NAU)に移行。
1977年: 株式会社図師設計事務所を解散
    図師嘉彦+山並義也で図師建築研究室を設立1989年: 株式会社山並建築研究所と社名変更

主要作品
1929年: 日魯漁業ニチロビルディング1号館(現存せず
1934年: 日魯漁業ニチロビルディング2号館。
1938年: 日魯漁業函館支店3号館
1939年: 戸越保育所、東京都品川区。
1937年: 前進座演劇映画研究所及び共同住宅
1975年: プラハクアドリネール
    「Interpentrated Theater」
    共同設計者:図師嘉彦、清水裕之、草野寛、
    田中誠、土屋隆、杉本忠雄。

著書・論文等
1945年: 『工員寄宿舎』
1946年: 『厚生と建築』 (乾元叢書)。
1951年: 『住いの建て方直し方』(彰国社)。
1977年: 「劇場概論」
1947年: 『日本の劇場回顧』 (相模書房)。
1969年: 「ソ連建築初期の動向
     (ソ連建築をどううけとめたか、
      変貌するソビエト建築)」
図師嘉彦は劇場建築の先駆者として、また建築界の論争に参加し重要な建築家としての足跡を残しました。


4.谷口 吉郎

昭和期の著名な建築家
東宮御所や帝国劇場の設計者
庭園研究者
東京工業大学名誉教授としても知られています。

経歴
1904年: 石川県金沢市に生まれる。
    父は九谷焼窯元「谷口金陽堂」の主人
    母は絹子。
1928年: 東京帝国大学工学部建築学科卒業。
1929年: 東京工業大学講師に就任
    (恩師・佐野利器の勧めによる)。
1930年: 東京工業大学助教授。
1932年: 「東工大水力実験室」を設計。
1935年: 洗足に自邸を建設。
1938年: 駐独日本大使館新築の一環として
     ベルリンに出張し、日本庭園の造園を担当。
1942年: 「建造物に作用する風圧の研究」により
     日本建築学会賞学術賞を受賞。
1943年: 工学博士取得
    (学位論文「建築物の風圧に関する研究」)。
     東京工業大学教授に就任。
1947年: 藤村記念堂を設計。
    慶應義塾大学4号館・学生ホールの設計
    日本建築学会賞作品賞を受賞。
1951年: 慶應義塾大学第2研究室(新萬來舎)を設計。
1956年: 秩父セメント第2工場を設計
    日本建築学会賞作品賞を受賞。
1957年: 著書「修学院離宮」
    毎日出版文化賞を受賞。
1961年: 「東宮御所」設計その他の業績により、
    日本芸術院賞を受賞。
1965年: 東京工業大学を定年退官し、名誉教授に。
1973年: 文化功労者顕彰、文化勲章を受章。
1978年: 金沢市名誉市民第1号に選ばれる。
1979年: 死去。74歳没。
    従三位勲一等瑞宝章を追贈される。
    墓所は金沢市野田山墓地。

主な作品
1932年: 東京工業大学水力実験室、
    東京都目黒区(現存せず)。
1935年: 自邸、東京都品川区。
1935年: 慶應義塾幼稚舎、東京都渋谷区。
1938年: 慶應義塾大学日吉寄宿舎、
    神奈川県横浜市港北区。
1947年: 藤村記念堂、岐阜県中津川市
    (DOCOMOMO JAPAN 選定作品)。
1949年: 慶應義塾大学第3校舎(4号館)
    大学学生ホール、東京都港区(現存せず)。
    日本建築学会賞作品賞受賞。
1951年: 慶應義塾大学第2研究室(新萬來舎)、
    東京都港区。
1952年: 石川県繊維会館、
    石川県金沢市(現・西町教育研修館)。
1956年: 秩父セメント第2工場、
    埼玉県秩父市
    (現・秩父太平洋セメント秩父工場)。
    日本建築学会賞作品賞受賞。
1958年: 東京工業大学創立70周年記念講堂、
    東京都目黒区
    (DOCOMOMO JAPAN 選定作品)。
1958年: 藤村記念館、長野県小諸市。
1958年: 原敬記念館、岩手県盛岡市。
1959年: 石川県美術館、石川県金沢市
    (現・石川県立伝統産業工芸館)。
1959年: 千鳥ヶ淵戦没者墓苑、東京都千代田区。
1960年: 東宮御所、東京都港区。
1961年: 青森県庁、青森県青森市。
1962年: 文京区立鴎外記念本郷図書館、東京都文京区。
1962年: ホテルオークラ東京本館メインロビー、
    東京都港区(現存せず)。
1964年: 名古屋大学古川図書館、
    愛知県名古屋市千種区
    (現・名古屋大学古川記念館)。
1965年: 乗泉寺、東京都渋谷区。
1965年: 良寛記念館、新潟県出雲崎町。
1966年: 帝国劇場(ロビー・客席)、東京都千代田区。
1966年: 山種美術館、東京都中央区(現存せず)。
1966年: 出光美術館、東京都千代田区。
1967年: 斎藤茂吉記念館、山形県上山市。
1967年: 名鉄バスターミナルビル、
    愛知県名古屋市中村区。
1968年: 東京国立博物館東洋館、東京都台東区。
1969年: 東宝ツインタワービル、
    東京都千代田区(現存せず)。
1969年: 東京国立近代美術館、東京都千代田区。
1971年: 八王子乗泉寺霊園、東京都八王子市。
1974年: 迎賓館和風別館、東京都港区。
1974年: 日本学士院会館、東京都台東区。
1974年: 国立飛鳥資料館、奈良県明日香村。
1976年: 吉川英治記念館、東京都青梅市。
1978年: 栗本図書館、長野県諏訪郡富士見町。
1978年: 愛知県陶磁資料館、愛知県瀬戸市。
1979年: 沖縄戦没者慰霊碑、沖縄県糸満市。
1979年: 金沢市立玉川図書館、
    石川県金沢市
    (子・谷口吉生と共同設計)。

余談
博物館明治村の構想につながるきっかけは鹿鳴館が取り壊される様子を山手線の車中から見て残念に思ったこと。

著作・文献
1974年: 「雪あかり日記」、中央公論美術出版。
1983年: 「せせらぎ日記」、中央公論美術出版。
2015年: 「雪あかり日記 せせらぎ日記」、中公文庫。
1981年: 「谷口吉郎著作集」全5巻、淡交社。
1998年: 「谷口吉郎の世界 モダニズム相対化がひらいた地平」、彰国社。
2022年: 「生活・詩情建築家 谷口吉郎」、萌文社(松野高久・仙田満監修)。


1905年

1.海老原 一郎

日本の著名な建築家で、日本芸術院会員としても知られています。

略歴
1905年: 東京府に生まれる。
1924年: 東京美術学校
    (後の東京芸術大学美術学部)建築科に入学。
1929年: 創宇社第6回展・第7回展に、労働診療所、
    労働者アパートメント、
    消費組合食堂などの作品を出品。
1930年3月: 東京美術学校を卒業後、
    石本建築事務所に勤務。
1938年: 独立し、海老原建築事務所を設立。
1950年代: 尾崎記念館(後の憲政記念館)を設計。
1960年代: 日本最初の超高層ビル「ディックビル」
     (18階建)を設計。
1971年: 日本芸術院賞を受賞。
1976年 - 1980年: 日本建築家協会会長を務める。
1980年: 日本芸術院会員に選出。
1990年: 死去。

主な作品
1958年: 憲政記念館(東京都千代田区永田町)
    建築設計コンペ当選作。
1959年: 新世界ビルディング(東京都台東区浅草)
    地上7階(塔屋除く)
    地下2階建の複合娯楽ビル。
1967年: ディック(DIC)ビル(東京都中央区日本橋)
    2013年に取り壊し。
1990年: 川村記念美術館(佐倉市)


2.白井晟一

日本の建築家で、昭和期の住宅建築において和風のデザインで知られています。
彼は村野藤吾、吉田五十八、堀口捨巳、谷口吉郎らと並んで、和風建築の代表的な建築家とされています。

生い立ちと教育
生誕:
1905年2月5日、京都市三条大宮で生まれる。

家族:
父は銅延業者
母は白井成一
兄姉には7歳上の姉清子と弟の隆吉がいる。

教育:
1924年4月に京都高等工芸学校図案科に入学。
1930年にドイツのハイデルベルク大学
1931年にベルリン大学に留学し哲学や美術史を学ぶ。

初期の建築活動
1935年: 近藤浩一路の自宅兼アトリエを設計
    (初めての建築作品)。
1936年: 静岡県伊豆長岡の《歓帰荘》を設計。

戦前・戦中の活動
1940年: 豊島区北大塚に近藤浩一路の
    自邸兼アトリエを設計。《近藤浩一路邸》。
1941年: 嶋中雄作からの依頼で、
    長野県に《嶋中山荘》を設計。

戦後の活動
1946年: 東京大森に移住
    光音劇場計画や三里塚農場計画の計画を残す
1948年: 秋田県での活動を開始。
    最初の作品《羽後病院》を完成。

代表的な作品
1952年: 群馬県前橋市の書店《煥乎堂》を設計。
1954年: 稲住温泉の《浮雲》を設計。都会的な要素と郷土的な要素を兼ね備えた建築。
1967年: 長崎県佐世保市の《親和銀行本店第1期》を設計。

晩年
1969年: 《親和銀行本店》で日本建築学会賞を受賞。前川國男との交友が深まる。
1970年: 新しい自邸《虚白庵》に転居。

その他
1955年: 『原爆堂計画』を発表。原爆の図を常設展示する美術館の構想を提案。
1956年: 「縄文的なるもの」を発表し、「伝統論争」の論客として知られる。
白井晟一は、日本の伝統的な建築様式を取り入れながらも、独自の哲学的視点を反映させた建築を行ったことで高く評価されています。彼の建築作品は、日本の住宅建築や公共施設の中でも、特に和風建築の代表作として知られています。


3.前川國男

教育と初期の影響:
ル・コルビュジエ、アントニン・レーモンドのもとで学び、モダニズム建築の旗手として日本建築界をリードしました。彼は近代建築を日本に根付かせる使命を自らに課し、技術的な課題を克服するための「テクニカル・アプローチ」を示しました。

建築的プロムナード:
ル・コルビュジエの影響を受けた建築的プロムナードを重視し、後期の作品では「一筆書き」のプランや水平方向の運動を取り入れ、日本的空間把握に基づく独自のスタイルを完成させました。

経歴
1905年:新潟県新潟市に生まれる。父は内務省土木技師、母は旧弘前藩士の家系。
1928年:東京帝国大学工学部建築学科卒業後、フランスに渡り、ル・コルビュジエの事務所に入所。
1930年:帰国し、東京レーモンド建築事務所に勤務。
1951年:CIAM第8回大会に参加し、ル・コルビュジエと再会。
1954年:MIDビル完成。自邸から事務所を移転。
1960年代半ば以降:産業社会と合理主義に批判的になるも、近代運動の理想を放棄せず。
受賞歴
1953年:日本建築学会賞作品賞(日本相互銀行本店)
1968年:日本建築学会賞大賞(近代建築の発展への貢献)
1978年:フランス国家功労勲章

主な作品
木村産業研究所(1932年、青森県弘前市)
東京文化会館(1961年、東京都台東区)
埼玉県立博物館(1971年、埼玉県さいたま市)

エピソード
東京海上ビルディング本館:生涯で唯一の高層建築で、美観論争を巻き起こしました。最終的には高さ99.7メートルの設計に変更されました。

弘前市:
母の生家が弘前藩士だったこともあり、弘前市に多くの建築物を手がけました。
前川國男はその生涯を通じて建築の職能と職業倫理の確立に努め、日本の建築界に多大な影響を与えました。


4.水谷 正男

略歴:
1926年
京都高等工芸学校を卒業。
同年、内匠寮に入所し、昭和大礼の布設に携わる。
1944年
内匠寮技師に任命される。
朝香宮邸(1933年完成)と済寧館(1933年完成)の照明器具を担当。
1968年
現宮殿造営に再任官され、家具調度を担当。


5.山本 勝巳

来歴・人物:
1905年12月9日 東京府に生まれる。
1923年 旧制愛媛県立松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)を卒業。
1930年 東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業。
岡田建築事務所(岡田信一郎の事務所)や大林組で経験を積む。
1950年 独立し、建築家として活動を開始。

作品:
1954年 富山市郷土博物館(富山城)登録文化財
1966年 天山文庫(川内村)
1970年 竹風堂(小布施町)現在は「自在屋」
1975年 会津武家屋敷(会津若松市)
1976年 菊の湯(松本市)
1977年 木暮山荘(渋川市伊香保町)現「木暮茶寮」
1987年 日新館(会津若松市)

著作:
1971年『関東地方の民家』(共著)
1979年『現代の民家造り』(住宅・店舗等の作品集)

資料:
金沢工業大学建築アーカイヴス研究所に設計図面が寄贈されている


1906年

1.中村 外二

京都の数奇屋大工棟梁。

略歴:
1906年12月 富山県小矢部市(旧石動町)に生まれる
1918年 12歳の時に伯父で高名な大工、水田常次郎に弟子入りし、大工としての修行を始める。
1920年代 江戸時代からの文化の発祥地である遊郭屋の『貸座敷』で、清水組(現・清水建設)の仕事で初仕事を経験。
1945年 大東亜戦争終戦により、戦後の住宅などの小型物件の需要が急務となる。
1946年 40歳の時に嫡男義明が誕生し、大工として独立。
1953年 亡くなった岡田永斎に代わって、茶道御家元御用達の数寄屋建築師(作事方)となる。
1966年 松下幸之助の社会貢献事業である茶室を多数完成させ、評価を得る。
1986年 現代の名工として表彰される。
1988年 勲六等瑞宝章を受章。
1992年 京都市文化功労者に認定される。
1997年 没。

作品:
瑠璃光院(旧・喜鶴亭、京都市左京区)
伊勢神宮茶室
関連著作:

『中村外二数寄屋建築施工集』
『匠技 - 大工・中村外二の仕事』
中村外二さんは、数寄屋建築の伝統を守り続けるとともに、数多くの重要な建築物を手がけた名工として評価されています。


2.村田 政真

日本の建築家。代表作に駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場がある。

年譜:
1906年 三重県に生まれる。
1929年 東京美術学校(現・東京芸術大学)建築科を卒業。同年、岡田信一郎の岡田建築事務所に勤務。
1931年 宮内省内匠寮臨時帝室博物館造営課に配属。
1934年 国立公園ニ建ツ山小屋建築設計コンペで佳作二席。
1937年 ヨーロッパ、アメリカに出張。
1940年 土浦亀城建築事務所に勤務。
1946年 村田政真建築設計事務所を開設。

主な作品:
1954年 四日市市立図書館
1961年 駐日イタリア大使館改築(ピエール=フランチェスコ・ボルゲーゼと)
1964年 東京国際貿易センター
1964年 東京国際貿易センター展示館
1964年 東京体育館屋内水泳場
1964年 駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場(芦原義信と)
1966年 新宿区立新宿文化センター
1970年 板橋区立美術館
1970年 明治座改築
1970年代 霧島高原ホテル・ヒュッテ、霧島高原ホテル別館・えびのレストセンター
1980年 宮崎観光ホテル
1981年 埼玉銀行軽井沢寮
1984年 板橋区立少年自然の家 八ヶ岳荘

住宅:
1960年代~1970年代
村田政眞氏邸、鍵富正作邸、浜口陽三氏の住宅、江の島の見える家
村田政真さんは、様々な公共施設や商業施設の設計に携わり、特に駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場など、大規模なプロジェクトで広く知られています。


1908年

1.千賀 恒夫

日本の建築家。

年譜:
1908年 生まれる。
1932年 横浜高等工業学校(現・横浜国立大学)卒業
1933年 宮内省に入省。
1933年 内匠寮匠生に採用。
1937年 宮内技手に昇進。
1945年 宮内省を退官。

主な業績:
二代目宮内省庁舎(現・宮内庁庁舎)設計に携わる。
楽部庁舎設計に携わる。


2.成田 春人

日本の建築家。宮城県仙台市出身。

年譜:
1908年3月31日 生まれる。
1931年 東京帝国大学工学部建築学科を卒業
     外務省文化事業部に勤務。
1933年 東京帝国大学営繕課に勤務。
1938年 陸軍航空本部技師に任命。
1945年 運輸省に入省
1946年 東京鉄道局営繕課長に就任。
1950年 日本国有鉄道(国鉄)施設局建築課長に昇進
     鉄道建築の総締めの地位につく。
1952年 日本建築学会総務理事に就任。
1957年 東京建築研究所所長に就任。
1961年 東京建築研究所が普通法人化し社長に就任。
1962年 工学博士の学位を取得。
1970年 日本建築学会財務運営委員会委員長に就任。
     東京理科大学講師を兼任。
1976年 鉄道建築協会会長に就任。
1979年 勲四等瑞宝章を受章。
1982年 東京建築研究所会長に就任。
1988年 東京建築研究所相談役に就任。
1992年3月17日 死去。


3.吉村 順三

日本の建築家。東京藝術大学名誉教授。

年譜:
1908年9月7日 東京市本所区緑町で生まれる。
1931年 東京美術学校(現東京藝術大学)建築科卒業
     アントニン・レーモンドに師事
     モダニズム建築を体得
     日本建築をレーモンドに伝える。
1941年 吉村順三設計事務所を開設。
1945年 東京美術学校助教授に就任。
1962年 東京藝術大学教授に就任。
1970年 東京藝術大学名誉教授に任命される。
1990年 日本芸術院会員に選ばれる。
1997年4月11日 死去。

主要な作品:
1952年 明和紡績工場(静岡県藤枝市)
1953年 佐倉厚生園サナトリウム(千葉県佐倉市)
     東山魁夷邸(千葉県市川市)
1954年 三里塚教会(千葉県成田市)
     共立蒲原病院(静岡県蒲原市)
1955年 国際文化会館(東京都港区)
    (前川國男、坂倉準三と共同設計)
1956年 ニューヨーク日航事務所(ニューヨーク)
     モテル・オン・ザ・マウンテン
     (ニューヨーク)
1957年 南台の家(東京都中野区)
     葉山海の家(神奈川県葉山町)
1959年 箱根ホテル小涌園(神奈川県箱根町)
     河庄(福岡市中央区)
1961年 京都国際ホテル(京都市中京区)
     東京都立竹早高等学校竹早山荘
     セミナーハウス
    (山梨県北杜市)
1962年 ソニー研究所(神奈川県横浜市)
     軽井沢の山荘(吉村山壮 長野県軽井沢町)
     NCRビル(東京都港区)
1964年 東京クラブ(東京都港区)
1965年 池田山の家(東京都品川区)
     浜田山の家(東京都杉並区)
     俵屋旅館(京都市左京区)
     久我山の家(東京都杉並区)
1966年 日本アメリカーナ大阪ビル(大阪府)
     御蔵山の家(京都府宇治市)
     愛知県立芸術大学(愛知県長久手市)
     文殊荘新館(京都府宮津市)
1968年 湘南茅ヶ崎の家(神奈川県茅ヶ崎市)
     皇居新宮殿基本設計(東京都千代田区)
     途中で宮内庁と意見が対立し辞任
1969年 青山タワービル・タワーホール 東京都港区
1970年 ホテルフジタ京都(京都市中京区)
    山中湖の山荘 A(亀倉山荘 山梨県山中湖村)
    軽井沢の山荘 B(脇田山荘 長野県軽井沢町)
    井の頭の家(東京都三鷹市)
1971年 ジャパンハウス(ニューヨーク)
     田園調布の家・猪熊邸(東京都大田区)
1972年 奈良国立博物館新館(奈良県奈良市)
     高野パール(奈良県奈良市)
1974年 山脇ビル(東京都千代田区)
     ポカンティコヒルの家
     (アメリカ、ロックフェラー3世の家)
     嬉野温泉旅館 大正屋(佐賀県嬉野市)
     仙石芙蓉荘(神奈川県箱根町)
1986年 ホテルジャパン下田
    (静岡県下田市、会員制リゾートクラブ)
1988年 八ヶ岳高原音楽堂(長野県南牧村)
     茨城県近代美術館(茨城県水戸市)

受賞・栄典:
1956年 日本建築学会賞作品賞
1972年 ニューヨーク建築家協会デザイン優秀賞、パーソン賞
1975年 日本芸術院賞
1982年 勲三等旭日章
1989年 毎日芸術賞
1994年 文化功労者
1997年 勲二等瑞宝章

吉村順三に師事した人物:
奥村昭雄 金壽根(キム・スグン) 中村好文 益子義弘 松村勝男
宮脇檀 平尾寛 張忠信 手嶋保 永田昌民 板垣弥也

著書:
『現代日本建築家全集8 吉村順三』
『吉村順三作品集 1 1941-1978』
『吉村順三のディテール 住宅を矩計で考える』
『新建築別冊 日本現代建築家シリーズ 7 吉村順三』
『吉村順三建築図集』
『吉村順三住宅作法』
『吉村順三作品集 2 1978-1991』
『吉村順三を囲んで』
『小さな森の家 軽井沢山荘物語』
『吉村順三設計図集』
『建築家 吉村順三のことば100 建築は詩』
『火と水と木の詩 私はなぜ建築家になったか』


1909年

1.浦辺 鎮太郎

日本の建築家。

年譜:
1909年3月31日 岡山県児島郡粒江村
        (現・倉敷市)に生まれる。
1934年 京都帝国大学工学部建築学科を卒業
     倉敷レイヨン(現・クラレ)に入社
     営繕関連部門に勤務。
1962年 倉敷レイヨン内に倉敷建築研究所
    (現・浦辺設計の前身)を設立。
1964年 倉敷レイヨンを退社
     倉敷建築事務所として独立。
1966年 倉敷建築事務所を浦辺建築設計事務所に改称
1968年 大原総一郎死去後も大原家や倉敷に関連する
     建築を手がける。
1991年6月8日 死去。

主要な作品:
1957年 倉敷考古館増築
     旅館くらしき改造
1960年 日本工芸館
1961年 倉敷レイヨン岡山第二工場
     大原美術館分館
     石井記念愛染園女子単身者住宅
1962年 愛染橋保育所
1963年 倉敷国際ホテル
1965年 倉敷ユースホステル
     愛染橋病院
1966年 浜幸ビル
1967年 東京女子大学研究本館
1968年 倉敷レイヨン中央研究所
     黒住教新霊地神道山大教殿
1969年 倉敷文化センター(現・倉敷公民館)
1970年 西鉄グランドホテル
1971年 千里阪急ホテル
1972年 紀伊風土記の丘・松下記念資料館
1974年 倉敷市民会館
     倉敷アイビースクエア
1975年 和歌山県埋蔵文化財収蔵庫
1978年 倉敷中央病院増改築第1期
    (中央病棟・手術棟等)
1980年 大佛次郎記念館
     ホテル日航成田
     倉敷市庁舎
1981年 倉敷中央病院増改築第2期(中央診療棟)
1984年 横浜開港資料館
     日本女子大学成瀬記念館
     神奈川近代文学館

主な受賞:
1965年 日本建築学会賞作品賞(倉敷国際ホテル)
1975年 日本建築学会賞作品賞
    (倉敷アイビースクエア)


2.多田 正信

日本の建築家。

年譜:
1931年 高松官邸の御研究所の写図を担当。
1933年 朝香宮邸を担当。
1938年 現宮殿造営の設計係長として参加。
1940年 退官。
後年 住宅改良会主催の中流住宅懸賞設計で佳作第二席に入選。
2002年 死去。


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