感情は〜ジェットコ〜スタ〜
気がついたら、全く記事を書いていませんでした。書きたくなかった訳ではなくて、noteを書くには感情の収集がつかずでした。
溢れ出る感情が止まらず、思わずつぶやきましたが、もう、介護のことで、行政や施設に対して、私の感情ジェットコースターでございました。
先日、立て続けにこんなつぶやきやあんなつぶやきをしましたが、、、
◇困り事は人によって異なる
介護施設の方は、本当にとてもよく気が利き、母のことを大事に接してくれるのは本当にありがたいのです。
「困り事を見逃さない」が正義の世界では、スタッフの皆さんは考えるよりも先に体が動いているようです。
そこまで入居者さんへの配慮が徹底されている事自体、素晴らしいんです。ただ、タイミングで「困り事」は違います。
車椅子を1人で動かしている状況は同じでも、「トイレに行きたいのに、なかなか動けない」場合は困りごとでしょう。ただ、自分で動きたいから、1人で動かしている時は、困っていないんです。だから見守っているだけで良かったりします。
◇手をかける事が優しさじゃ無い
人の意欲やエネルギーは、筋肉を動貸す事で生成されると言われています。だから自分でやれる事があるって素晴らしいんです。
母が1人でやっている事、やろうとしている事に手を貸されてしまうのは、母の筋力が落ち、何かやってみたいと言う意欲も下がってしまいます。
実際そうでした。
10月末、実家に入るまでの階段を昇れていた母は、1ヶ月後、昇れなくなっていました。自力で実家戻る事はできなく、目の前にドアがあるのに施設に引き返しました。
何度も、母ができる事はやらないでくださいと伝えていましたが、そもそも前述した困っているの認識が異なるので、噛み合いません。
そのため、私は違う手に出ることにしました。それは別の機会に。
◇介助をしたい家族もいる
前述、母との外出の後、施設に戻った時に、私が母を車椅子に乗せようと、車のドアを開けたり、車から車椅子を出したり、トランクを閉めたりしていた時のことです。
気づけば、スタッフの方が車椅子を持ち、母に声をかけ、解除をしていました。何も言わずサッと、スマートに。
もちろんスタッフの方は、良かれと思ってやってくださっているのは理解しています。ただ、私がやりたかったんです。
母と居られる少ない時間、母との時間を奪われたような気がしました。
そして、なんだかその場に私はいないような気がして、施設のことは施設でやるんで手を出さないでと言われているような、家族はもうそこに入れないような気持ちになってしまいました。
家族も、全てが全て、介護をスタッフにお任せしたいと思っている訳では無いんです。ただ一方で、全部やって欲しいと思っているご家族もいると思うので、スタッフもその塩梅は難しいと思います。
困り事は違うこと、手をかける事が優しさでは無いことは、介護をする家族にも言えることだなと思います。
◇最後に
翌日、施設のケアマネさんにこの日のことをお話ししました。
きっとその時のその場で伝えたら、感情的と事実がごっちゃになっちまい、建設的な会話にならなかったかもしれません。
ただ、私が本気で哀しいと感じたから、あえて「1日置く」を選び、冷静に「事実と感情を分ける」作業をし、ケアマネさんに「事実と感情を伝える」をしてみました。
本気の哀しさは変わりないので、話をしている最中、思わず涙がぶわっと溢れてくるほどでしたが、相手を責めるような言葉にはならなくて、それは良かった。
スタッフの皆さんには感謝していますし、皆さんが居ないと私たちは生活ができません。
私は感情的に不満をぶつけたいのではありません。ただ、ただ、お互いをわかり合いたい、それだけなんです。
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