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水面

6月が終わろうとしている。かくいう私は、親の事情により入院中に知り合った友人の家に逃げ込んでいる。相変わらず定期的に親からの干渉を受けては神経がすり減り、住所がばれているかもしれない家にいつ親がやってくるのかもわからないまま、このまま独りで梅雨を乗り越える訳にはいかなかったからだ。

その友人を、私は「ねこちゃん」と呼ぶ。
入院中に知り合ったねこちゃんは、毎朝缶コーヒーを片手に項垂れていた。目をこすりながら気怠く話すさまがねこのようだと思ったので、そう呼んでいる。(偶然同じ名前の患者がいたことも理由である)

ねこちゃんとは、入院の終わり頃からよく話すようになった。私の話を聞いてもらっては「かわいそうでしょ?」「うん、かわいそ〜う!」と毎晩話した。二人で話す時間は、見透かされているような、宥めているような、宥められてもいるように穏やかだった。
私が退院する日、みんなに見送られた後一人でタクシーを呼ぼうとロビーに降りると、ねこちゃんがいた。いつものように気怠く、寂しげに私を見上げていた。あなたは才能があるから大丈夫だよと励ましてくれた。
そして次第に連絡をとり、直接会って話し、いつしかこうして一緒に生活するようになった。


ねこちゃんと一緒に生活するようになってからは、嘘みたいに毎晩眠れた。毎日優しさに包まれて、”こっち側”にしかわからないことをわかり合っては支え合う日々。

今日はねこちゃんと過ごしてから初めて眠れない夜。最近はいろいろあった。表層では何も見えぬ水面でも、奥底では言葉にできぬ感情が渦を巻いては私を巻き込もうとする。
眠るたびに、昔封をしたはずの引き出しがひらく。あっちもこっちもひらいては、まるで今起きていることのように私を苦しめる。一日中体がへばりついて、ろくにご飯も食べられなかった。何回も泣いて頓服を飲んでまた眠っては引き出しがひらき、何回目かにまた頓服を飲んでは、親へ直接電話をすることにした。
親の話は聞かず、水面の底の私の苦しみをぶつけ、訴えると告げた。二人ともろくでもない返答だった。

いつまでも引き出しがしまらない。前に行けぬ。勇気を出して外に出れば心のない人間にハラスメントやモラルのない行動をされる。私のヘルプマークは見えているのだろうか、駅前でついにうずくまってねこちゃんに慰められていたら、数人から「大丈夫ですか」と声をかけられた。
知っているのさ、見えている人には見えている。見えない人には見えない。障がいとはそういうことなのだろう。タクシーに乗り込んで目を閉じた。タクシーの料金は障害者手帳で1割引になる。それで、それが、目を瞑れということなのだろうか。

私はわからない。とにかく今日は久しぶりに元気になれたから、ねこちゃんに撮ってもらった写真をSNSにあげた。水面から顔を出して、私は元気ですよ、生きていますよ、ここにいますよ、の証。

明日は雨です。次の晴れは十日ほど先だろうか。また水中へ潜る。梅雨があけたら顔を出せるように、あんまり深くまでいかないようにするからね。ねこちゃんがいるから、私はがんばるよ。

おいしいご飯を食べるにはどうしたってお金が必要