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人間のフリして生きている

「〇〇ってふてぶてしいネコみたい」

そう中学時代に言われてから10年弱。

私の思考回路はあの頃からそれほど変わらず、ふてぶてしい顔もそのままである。

変わったことといえば、より一層諦観を強め、人間関係にクヨクヨしなくなったことだろうか。

ある程度他人に期待するのをやめたあたりから、私はライトな人付き合いを心地よく感じ始めた。



かれこれひとり暮らしを始めて5年。

1人での過ごし方なんて慣れる慣れないという問題ではないけど、大学1年の頃のワクワク感と寂しさを感じることはもうない。

ただ、今年大学を卒業して、昼夜問わず出かけられる自由と友人はいなくなったせいか、社会人になってから虚無感はたまに感じるようになった。そんな空虚を埋めるべく、私は仕事以外の空白時間を人との連絡に費やす。
そうでないと食に走ってしまうから。

平日の夜と土日はとりあえず大学時代の友人か、マッチングアプリで適当に会えそうな人とご飯を食べに行っている。アプリで2度会う人なんてそうそういなくて、1回目会った時点で目的の不一致でフェードアウトすることが多い。
だから、今週末に2度目のご飯に行く人がいるのは私にとって未曾有の出来事である(恋愛感情はさておき)。
問題は私がまだ配属前で地方に飛ぶ可能性を残していること、1回目に感じた彼への違和感を拭えないこと等沢山あるが、とりあえず寂しさを埋めに行くつもりだ。

私はなんやかんやマッチングアプリというものに魅了されている気がする。

大学までに「男女の空気感」から遠ざかっていたせいか、初対面でもその空気感を演出することを許される環境に手を合わせずにはいられない。

たとえそれが下心丸出しだったとしても、同期やチームメンバーと「人間として」接することを暗に求められてきた私にとって、「1人の女として」振る舞っていい許可を得られている気がしてならないのだ。



最近、久しぶりに本を読んだ。

https://a.co/6SugUD7


本書は、2016年春に豊島区巣鴨で、東京大学の男子学生が5人、逮捕された。5人で1人の女子大学生を輪姦した(ように伝わった)事件をもとにしたフィクションとされている。

これからこのできごとについて綴るが、まず言っておく。この先には、卑猥な好奇を満たす話はいっさいない。  
5人の男たちが1人の女を輪姦しようとしたかのように伝わっているのはまちがいである、と綴るのであるから。
(中略)
できごとは、数年かかっておきたといえる。

こんな書き出しで始まる物語は、事件の当事者たちの中学時代〜事件当日までを記している。

学歴、男と女、下心といった文言が随所に散りばめられ、被害者の女子大生にも加害者の東大生にも自分に似た価値観を垣間見るのは面白くも苦しくもあった。
普段は各人の無意識下に押し込まれた驕りや僻み、妬みなどの黒黒しい感情を彼らの心情とともに辿るのは新鮮で、その人間らしさを愛おしく感じてしまうほどである。


下心があるのは女のほうなんだよ。

このワタシに釣り合う』ってのが偏差値の高い大学の女子。『これをゲットしなくちゃ』ってのが偏差値の低い大学の女子。差はこれだけ。  どっちも下心で東大男子に接近してくる。結婚というものがそもそも下心による結びつきじゃん。

p225


マッチングアプリは条件で人を選ぶところから始まる。

顔が好みか、大学を出ているか、身長は170を超えているか、一人暮らしか、共通の趣味はあるか…

減点方式で人を捌き、自らが「選択する側」であるという傲慢さを振りかざす姿は本当に滑稽だと思う。まあ何人も同時で話すの大変だし、選別は不可避なんだけど。

そんなこんなで、私はもらったいいねで自らの女としての市場価値を確かめつつ、暇つぶしにやりとりして多種多様なヒトがいるアプリで人間観察を楽しんでいる。

そして男女の関係性にスポットをあてた本をよんでひとり苦しんだり開き直ったり。
我ながらおもしろい日々を送っている。



社会人になってからは出会いの機会が減るというのは古くから言われてきたことだが、出会いの場として社内婚にマッチングアプリが台頭してきたことはいまや多くの人の知るところだ。
かくいう弊社もそのひとつで、人事副部長が研修中に「マッチングアプリいいよね〜俺も若かったら絶対やってた」と嘯くほどには一般的になっている(研修中にする話か?)。

ただ、私はアプリ使ったことない人からあたかも”私はアプリ肯定派ですよ”と声高らかに言われたり、大袈裟に振る舞われたりすることにひどく嫌悪感を感じる。
「寛容で多様性を認める俺(私)ってすごくない?」って感じが気に食わないのだ。

たしかに私が捻くれてるのは重々承知。
アプリの目的なんてもはや恋愛でもなんでもなくて、ただ誰かからメッセージや電話その他諸々で求められていたいだけ、という重度の症状を抱えている。だからってさ、、研修中にマッチングアプリとか言う文言を出すなよ!(心の声)

そんな私だから、研修で長時間”無駄話”している上司をみると反吐が出るし、それに対して「いい話しかしなくてすごい!」と目を輝かせている同期を見ると辟易してしまう。
今更全国転勤を煽ったって、それありきでここに入社してるんだし。
いままで東京でずっと暮らしてきたから(実家にいたから)地方が怖いなんて、何様ですかと。


あーーーーーこんな感情無駄すぎる。
他人のことなんて気にしなきゃいいのに。


結局は人間界で人間のフリしてる妖怪のような生き方だから、「ふつうの人」を心の中で罵って自分を肯定することでしか保てないんだ。醜い。


とりあえずはやく配属されて彼ら彼女らから離れて、だれとも比較する必要のない環境で仕事に集中したい。


なんてうそ。
心がきれいな同期をみてると、彼らとは真逆の自分の黒さがより際立って自家中毒を起こしてしまうんだ。


私もそっち側に行きたいよ。

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