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まるごと

気づいたら、摂食障害に片足突っ込んでいた。


幼い頃から食欲が強く、年齢を重ねるごとに食に対する執着を強めていた私は、大学入学を機に1人暮らしを始めた。

実家暮らしとは異なり、自分のためにつくる食事はとてもつまらなくて、大学3年生まで気まぐれに開催した自炊生活は、もはや私の生活から消えてしまった。


兎も角も、体型が気になるお年頃ではあるから、自炊ならぬ”エサづくり”ともいうべき固定メニューは作るのだけれど、これがまあダメで。

素材そのままの蒸し鶏むね肉と玄米、もやし、ブロッコリー、乾燥わかめでほぼ完結する私の食生活では、脂質が低すぎて、時に食の大暴走を引き起こす爆弾をはらんでいた。


そして、それが爆発した。

いつもは中華料理屋で爆食したり、自宅でチューイングもどきをやったりして紛らわせられた食欲は、自分だけで歯止めを利かせられるものではなくなっていた。

財布のひもが固いことだけが取り柄の私は、近場のドラッグストアで安価なファミリーパックの菓子パンと総菜パンを買い、ただひたすらにそれらを口に運んだ。

お腹は満腹なのに、口に入れて、噛んで、飲み込まずにはいられない衝動が私を支配していた。



数日前、摂食障害の動画をYouTubeでみていた。


食欲を紛らわせるために「爆食」「暴食」と検索したワードは、いつしか「過食」に変換されて、検索履歴は摂食障害の当事者の人から医師の開設動画、そしてニュースのワンコーナーで溢れかえった。

その中で、摂食障害の人たちがつづる言葉が妙に共感できて、「私ってこんなに共感力高いんだ」と思いながら動画を見ていたが、唐突に気づかされることがあった。


そうか、私もその一人なんだ。と

あえて食べすぎるんです。こころの隙間を埋めようとするんですよ。
何かきっかけで爆発する爆弾を常に抱えているような。

死にたくてたまらないのに、生きるために必要な食でその思いを発散する矛盾


そんな言葉たちがいまの自分に当てはまって仕方なかった。

寂しくて苦しくて痛ましい。

彼らの一員に私もなってしまっているのだろうか。





夜が明けると、昨日までは学校に行きたくなくて仕方なかったのに、爆食企画を続けるYoutuberを見て自分の方がましと思うまでになっていた。




「爆食」はネタにできるのに、
一文字違うだけで病的になる「過食」。

この境目をふらふらと彷徨う私。

とりあえず今日は調整するとして、明日以降は1食好きなモノ食べよう。



そんな気軽さで、私は自分の容姿と食を肯定したい。



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