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娘と、夏のはじまり

※今回のnoteには虫の名前が出てきます。
苦手な方はスルーでお願いします!🙇
大丈夫!という方は、下に進んで読んでみてください☺










娘がある日、クワガタムシを連れて帰ってきた。
保育園の隣の林で捕まえたという、ツヤツヤした小さなオスのクワガタだ。
寒い日とそこそこ暖かい日が交互に来ているこの時期に、もうクワガタが出てきているんだ~と驚く。
そういえば、日に日に日差しが強くなっている。もう夏なんだなあ。

名前はすぐに「クワちゃん」と決まった。
娘がストレートすぎる名前をつけるのは珍しい。
恐竜のフィギュアに「エチメリくん」という名前をつけるくらいネーミングセンスが不思議な娘。
覚えやすいから助かる。(エチメリくんは何度か忘れて娘に怒られた)

クワちゃんはすぐに、家にあった虫かごにいれられた。
小さな虫かごの中に、保育園からもらってきた昆虫ゼリーと、クワちゃん。
ぽつんと寂しそうだ。

私が言いかけたとき、そこで動き出したのが夫だった。

「よし、今から土とゼリーを買いに行こう」

なんでも様子を見がちな、慎重派な夫にしては今回は行動力あるんじゃない!?
自分の少年時代の経験から思うことがあったんだろうな、と隣でニヤニヤしながら、ホームセンターで土とゼリーを買った。

クワちゃんは嬉しそう(?)に土に潜った。
家の裏で拾ってきた小枝も入れてあげた。
同じく嬉しそうにクワちゃんを見つめる娘。

私は以前から、娘になにかを育てる経験をしてほしかった。
まだ4歳なのですべて自分ではできないだろう。
でも、小さい頃に色々な生き物たちと触れあい、その命が尽きるときまで見守る経験をしてほしいと思っていた。
私も同じようにして育ってきたからだ。

「命」について、言葉で伝えるのは本当に難しい。
その意味のすべてを理解していないのだろうけど、娘はどこで覚えてきたのか「かーちゃん(私をこう呼ぶ)が○○してくれないなら、娘ちゃんしんじゃうよ?!」と話すことがある。

そのたびに悲しくなって、膝に娘を乗せて「娘ちゃんがいなくなったら、かーちゃん寂しくてつらくて泣いちゃうよ、だからそんな悲しいこと言わないでね」って話してはいるものの。
やっぱり「死=存在しなくなる」の想像がつかないのだろう。

つらいけれど。
たくさん可愛がっていた生き物が突然いなくなってしまう経験をいくつも重ねていくことで、少しずつわかっていくものなのだろう。
私はそれを隣で見て、一緒に悲しんで「しんじゃうって、こういうことなんだよ」と声かけをしていく役割なのだと思っている。

今年の夏はどんな夏になるのかな。
できることが毎日増える娘。
誰よりも繊細な娘。
母として、「守る」ではなく「見守る」ことの難しさを感じている。

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