Hotel World/Ali Smithを読んで

 私にとってしてみれば、「Woooooooo-hooooooo」で始まり、絶叫の言葉が繰り返される小説というのは未経験だった。

 確かに、例えば宮沢賢治みたく、独特の言い回しや擬態語が多用される文学作品はあるけれども、このアリ・スミスの小説『ホテルワールド』は英文で読むにはなかなか主旨が掴み切れない。

 しかし、そこにある活力の大きさは、私のように様々な意味で未熟な読み手でも分かった。それを実現させたのはその生き生きとした文章力なのだろう。

 特に、ストーリーの冒頭で主人公が転落し叫び声をあげるのだが、ゴーストとなった彼女は感覚と記憶の一部を失っていて例えば痒みを求めたり、物語の語り口には死に面した熱狂のようなものさえ感じた。まるで愉快といっても問題ないくらいであった。

 小説は6つの短編から構成されていて、そのストーリーをざっくり説明すると、以下のようになる。

past
 少女の幽霊の話。彼女は転落死していて、一部の記憶がない。勤務していたホテルの周辺を彷徨い、その死を受けた彼女の家族や彼女が関わりを持った人に接近する。少女の一人称視点で書かれ、幽霊ながら冗談めいた語り口もあり、特定の言葉を繰り返したりする。なぜか文章の途中に空白のスペースがままある。
 
present historic
 ホームレスの話。これ以降の小説は『future in the past』を除き三人称で書かれる。物語では住民から罵倒を受けながらホテルの側で路上生活をする女性が主人公となっている。彼女はある日、ホテルの受付係の女性に、寒くなるので部屋を使用してもいい、お金は取らない、と言われ、悩みながらもその好意を受けることとする。
 
future conditional
 病気で寝込む女性の話。前の短編の受付係の女性であり、病気になって横になる以外に何もできないくらいの状態でいる。転落死した同僚のこと、気になっていた男性の同僚がその死に関わっているのではと噂されていること、そして広告制作の仕事をしていた母親の思い出など、意識が巡っていく。
 
perfect
 ホテルに宿泊する女性客。ホテルで記事を書く仕事をしている。作中でジャーナリストだと分かり、また一人の従業員に助けを求められ、成り行きでホームレスの女性と言葉を交わす。少し傲慢な感じの雰囲気がある。文体も少しアイロニックなところがある。
 
future in the past
 転落死した少女の妹の話。一人称視点で語られなぜか句読点がない。彼女は姉が自殺したと考えられていたことから、本当は何故死んだのか原因究明しようとする。妹は水泳の得意な姉と比べ嫉妬しながらも愛している。
 
present
 ゴーストたちとジュエリーショップで働く少女の話。転落死した少女が想いを寄せていた少女。物語を締め括る。

 

 さて、この作品を語る上で最初に気になる点はやはり幽霊の存在だと思う。

 彼女の作品は、例えば『グローバル化』だとか『業務中の死』だとか『失業』だとか『ホームレス』だとか『エリート層』だとか現代を色濃く反映する反面、いわゆるスーパーナチュラル的な要素を作品に取り入れている。それは物語において重要なものとなっていて、ただの現代劇足らしめなくしている。

 

 アリ・スミスはスコットランドの作家である。そしてその作品はスコットランド文学の伝統に強く影響を受けている。スピリチュアルな存在への言及やオノマトペと多用する文体は、そういった彼女のバックグランドも大きく起因するところらしい。

 しかしながら、彼女のこの小説は、いわゆるリアリズムの分野に分類される。確かにファンタジックと言えばそうだが、その要素を分かりやすく言えば村上春樹のような使い方をしている。個人的な分析としてはスピリチュアルな要素を物語を繋ぐ軸のように捉えていると考える。その軸が物語においてより直感的に作用する効果となっているのである。

 私がそう考えた理由としては、幽霊が普通に存在している世界観において、最初の短編の主人公『サラ』の死というものへの悲しみが、とても薄らいでいることにある。死が当たり前で、死後の世界がある前提で、なおかつその死への悲しみを表現するのに、どういう道を辿っていくのか。それがテーマであるように感じたのだ。

 つまり死そのものは普遍的なものであり、しかしながらその死が単なる現象ではないことを、現実を超えてより感覚的に理解していくようなもの、とでも言えばいいのだろうか。

 一筋縄ではいかない表現をしているのである。

 

 また彼女の小説は文章のスタイルも重要になってくる。如何せん表現の難しいテーマであるが故に読者を引き付けるためのギミックがそういった文体にあった。ときに主観的に、ときに客観的に、ときにファンタジックに、ときにミステリアスに物語を構成していくのである。それが読者の興味を引き付け、理解を深めるのに一役買っている。

 彼女はこの作品の執筆に当たり、ミュリエル・スパークの『メメントモリ』を強く意識していたと言われている。おそらく既に気になっている方もいるだろうが、各短編のタイトルが時制に深く関わっているのは明らかである。作品も時系列は入り乱れているし、最初の短編の主人公に纏わる話が各タイトルで少しずつ明らかになる。

 毎回違った角度からリピートされる様々な要素がヒントとなり、物語は全容を見せるのだがこの繰り返しも一種のフラッシュバックや伏線となり、読者を迷わせない仕組みが整えられている。

 

 その他のテーマとして、セクシュアリティについても暗示的なものがある。日本の女性作家もときにテーマに掲げるような同性愛の要素が『サラ』と『ジュエリーショップで働く少女』にあったりする。私はまだ彼女の他の小説を読んだことがないので調べたところによるが、彼女の小説には毎回この要素が絡んでくるらしい。

 私としては超自然的なもの、人と人との縁や幽霊の存在のような、言い方が悪いかもしれないが物質的と言うより精神的な繋がりという救いと言うか、そういうものを感じる話であった。それはこういったセクシャリティの観点においても重要な意味を成していると思われる。

 つまりは目に見えているものが全てではない、という事実を感覚的に捉えられる話でもあった。

 

 私が読めたのはそこまでで、より深い理解をするためにはより長い時間を掛けての精読や英語が堪能な方の翻訳本が必要になってしまう。この『ホテルワールド』は丸洋子さんによって翻訳もされているようだが、現在ではなかなか手に入らないようだ。

 いずれ時間がある時に私はこの小説について再考したい。正直に言えばまだ理解が少し甘い気がしてこれを書くにも迷ってしまった部分が多かった。しかしなかなか興味深い読書体験で、他の作品なども読んでみたいものである。先に他の翻訳本を読んでみようと考えている。

 私感として、アリ・スミスの小説は日本の文学との親和性が高いように思う。少しファンタジックでスピリチュアルな要素が現実と絡んでくるというのは、八百万の神々という観念に近しい私たちには割と理解しやすいのではないだろうか。そういった背景の共通性や現在様々な方が彼女の本を翻訳しているところを見れば、そう遠くない時期にこの小説も日本語訳版がアクセスしやすい環境が整うかもしれない。

 なお、この感想文を書くのに読み終えてから少し時間が掛かってしまい、記憶が曖昧になってしまった部分がある。もし作品についての説明文や私の解釈において多少の齟齬があった場合にはお許しいただきたい。

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