つまらない毎日を楽しくなさそうに生きている、住宅介護を通して出会った彼のこと

ここには何の教訓もないし、届けたいメッセージもない。
約3ヶ月間の僕と彼の出会いと別れのただの記録だ。
彼のことを忘れないでおきたいだけだ。



介護をするとどんな気持ちになるのか、それを経験してみたかった。

タウンワークから住宅介護に応募して、小屋みたいな事務所へ面接に行った。事務所の人間に案内されると、机を挟んだ向こう側に、車椅子に乗った男がいた。足を悪くしたボスみたいだった。こいつは事務所の社長的な奴だなと思っていたら、彼が介護相手 本人だった。よく見ると彼にボスらしさは無かった。大したことは何もなく、僕は採用された。

彼の身体状況はというと、バイクで事故って首から下が麻痺し、その腕は何とか90度くらい上がるが、繊細には動かない。肘に長い棒がくっついてるような感じである。彼のことは ジコさん と呼んでおく。

介護が始まった。ジコさんは上体を起こせる電動ベッドにいつもいて、そこからあれやってくれ、これやってくれと指示を出す。僕はときどき質問を挟みながら、出された指示をこなしていく。そのときはたしか、模様替えをしたいからと言って、棚や物を移動させたり掃除させたり。仕事内容はその後もずっと日常の雑務だけだった。当時の僕にとって、彼の生活は驚くほどに下らなくて、暇なじじいのそれより退屈だった。そんな彼の介護をしていると、僕はどこか居心地が悪く、小さなイライラが生まれて、物に八つ当たりしたい気分になっていた。そしてそのイライラは、どうでもいいことをやらされることに由来するのだ、と解釈していた。

それから少し経って、このイライラの原因は、自宅にまで行ってこんなに距離が近いのに、僕が心を閉ざしていることにあるのではないかと思った。

心の開きと物理的な距離はつながっている。
心を開くほど近づきたい、閉じるほどに離れたい。
これが崩れて、開いているのに遠い、閉じているのに近いとストレスを受ける。気持ち悪い。

介護は絶対に近づかなければならない。僕は心を開いているつもりだったが、素直に言うと、近付きたくなかった。距離をとるとリラックスできた。つまり心は閉じていたのだ。なのに彼の隣にいた。このイライラ、気持ち悪さを解消するには心を開くしかない。そう頭では分かっていても体が拒否していた。

心を開いて自分を解放するとは同時に、無防備になり、相手を受け入れることでもあると思う。

僕はジコさんの一面に、どうしても受け入れられない嫌いなところがあった。いつもなら、
「この人のこういうところが嫌いだな」って思っても、
「俺は嫌いだけどそのままで良い」と許せていた。
「そんなお前は早く死んでしまえ」と、その存在を許さないとまでは思わなかった。

でも今回は思った。ジコさんは楽しくなさそうにつまらない毎日を過ごしている。さらに体の動かない人であった。僕の嫌悪と彼の障害は関係無いかもしれないが、僕から見える、そんなジコさんが嫌いだった。つまらない毎日をどうにかしたいけど、勇気がない。それなら分かる。しかし彼は、何にも楽しくないけどそれで良い、もうなんにもする気はない。そう言う彼を、僕は肯定できなかった。「そんなお前は早く死んでしまえ」と、どうしても思った。頭ではこんな人がいても良い、こういう風に生きていても良いと考えているが、しかし、もはや生気が無く、ただ死期を待っている彼のために介護をすると、やっぱり心が(死んでしまえよ)と反発した。介護中はなるべく爽やかな顔を張り付けていたが、何となく嫌な空気が伝わっていたかもしれない。

それから介護を重ねるにつれて、少しずつイライラの気持ちは減っていった。特に何も思わない日もあったし、少し楽しさを感じることもあった。それでもやっぱり心は閉じていた。自分でどうにかこじ開けることは不可能だった。

それから数週間ぐらい、今日はなんともないかも、やっぱり嫌かも、を繰り返して
ある日の夜。僕はそのころ朝晩に瞑想をしていて、その時もしていた。瞑想を始めたら、ジコさんやNewバイト先の店主との会話が頭に浮かんできた。振りほどかずに少し想っていたら、なぜだか涙が流れてきて、
お前らのおかげで生きてられるよ
って思った。口にまで出ていたかもしれない。なぜこの思いが出てきたのかは分からない。ただ変になっただけで、何のきっかけでもなかったかもしれない。だけどこの後日に介護をしたとき、僕の体はリラックスしていたし、僕は心をひらけていた。この時すでにバイトを辞めると伝えてあり、介護は残り3回の予定だった。この残りの介護でも、今までのような嫌悪感は無く、心も開いていた。彼のことはそんなに好きじゃないし、つまらない人だと思ったまま、普通にそれなりに楽しく話して帰ってきた。
もう早く死んでくれとは思わない。生きていてくれとも思わないが、たまにちょっとした事が起こるくらいの、ほとんどがつまらない毎日を生きて、適当なタイミングで死んでくれ、と、こう思っている。



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