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日記

不器用だからといってつい書きことばに頼ってしまうけれど、だからといってそれに甘えていてはいけないのではないかとおもうことがある。それでおもったことをすべて言えた気になっていやしないかとか、話すのが苦手だからといってぞんざいに書きちらかしていやしないかとか、不安になるのだった。元来、書きことばというのはのちに過去になる現在を未来に撃ち放つ記憶のはずで、けれど、他者がすぐに読むことのできる媒体で、見せなくてもいいのではないかと感じてしまうような至極個人的な悪意や怒りや生きづらさを現在進行形でいともかんたんに書き連ねられるようになったというのがここさいきんの書きことばの有り様となってしまっている。それにも利点があるのはわかっているけれど、ひとの感情にあてられることが苦手なわたしにとっては、息がしにくくて、ふじゆうで、とても戸惑う。もちろんあなたにもあなたの書きことばのポリシーがあるのだと信じて、わたしはわたしでしゃんと立っていようとおもう。そういうものだ、と言ってわたしの考えもあなたの考えも殺さないように、祈っている。
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ゆ・も・れ・す・く(旧作)

不自由な自由をほどく夕闇にベルトの穴は左に縒れて
こひびとの瞳に映ればわたしすら優しいひとになれるでたらめ
話すべきことの多くて曖昧にしてゆくのだらう鰤のカツ丼
陽溜まりのにほひのやうに不確かな愛の仕方がいいよ、泣かうよ
左手のシャープペンシルばきばきと折る不器用な暴力を抱く
云ひたくて云へないことの過呼吸を精子のやうに吹きこぼす真夜
生煮えの筑前煮の日わたしたちふたりでふたりひとりだつたね
会ひたいは淋しいの略いまここでふやけてゆけよ水ごしのキス
てきたうな歌をうたつて明日また溶けあふほどにこひびとを知る
いつまでもいつまでも眠るこひびとの輪郭ゆるく弾くゆ・も・れ・す・く
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Q.筑前煮に味が沁みません。
A.筑前煮は沸騰の泡の対流で煮るのがコツ。先に具材を炒めて油でコーティングすれば、ずっと強火にかけても煮崩れしません。
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わたしが短歌をつくるのは淋しいときだった。正確には、当時毎週日曜日の午前三時にブログを更新するために無我夢中でつくっていて、完成した十首連作を見てわたしは淋しかったのだと気がつくのだった。そのひとは冷たいわけではないのだけれど、ひとりでも生きてゆけるようなひとだ。わたしだってそうで、ひとりならそれはそれでひとりで生きていたとおもう。ひとり用の鍋を買ってひとりぶんの料理をつくったり、卵をふわふわにつくれるようになるまでまいにちオムライスをたべたり、したかもしれない。けれど、いろいろな場所や日時に散りばめられたセーブポイントが星座のように結ばれて、運命が整えられていって、そのひとは夫になった。これからもこのひとと生きてゆけるのだろうか、見捨てられやしないだろうかという不安は消えて、けして悩みがまったくないというわけではないけれど、ある程度は安心することができる日常をいまは手にしている。そうしてわたしが書くものや書く方法は変化していく。むかしのほうがすきだった、と言ってくださるひとがもしかしたらいらっしゃるかもしれなくて、だとすれば置いてけぼりにしてしまう。申し訳ないなと、よくおもう。だから名前を脱ぎ捨てて、違う顔がほしくなる。最果タヒさんの『十代に共感する奴はみんな嘘つき』のあとがきで、十代のころのじぶんというのは間違いなく存在していたけれどいまのじぶんとは異なるしおなじじぶんとしてひとつながりに捉えなくてもいい、個の存在として認識すればいい、といったことが書かれていて(これはわたしが記憶をもとに言語化したものなので正しい文章は本書で確認してほしい、最果タヒさんのことば遣いはもっと軽やかでもっと的確だ)、あのときはあのときのじぶんがいて、いまはいまのじぶんがいるのだという考えかたをしてもいいのだなと驚いた。そういうのは他者に対しても、かつてのじぶんに対しても無責任なんじゃないかと勝手におもっていたから。これから、うたわなくなる歌がどんどん増えていく。書かなくなる物語も、しなくなる表情も、愛の質感も、生きていくほどに変化していく。だから、変化ごと好ましくおもうような持続的なつよい愛でなくても、ある段階にいたわたしのことをすこしでも好いてくれるひとがいるのであれば、きちんと答えたい。あなたがわたしを・わたしがあなたを見失うときまで、笑いあっていたいのだ。
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うたはなくなる歌きみは幸福にゐてほし秋の天がふくらむ
ちやんと味がする筑前煮わたしたちふたりでひとつ海にこぼれる
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つまり里芋の煮っころがしも泡の対流なのだと気がついて、余った里芋を煮ようとしたらレシピの半分の量しかなく、そうすると調味料も少なくしないといけなくて、強火のまま見守っているうちに里芋は焦げて里芋の焼いたんを発明してしまった。雪平鍋の焦げつきがとれない。毎朝コーヒーを飲むのに雪平鍋でお湯をわかすたびに、雪平鍋にかわいそうなことをしたと反省する。
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『WE ARE LITTLE ZOMBIES』のイクコのこと。〈だって現像したら思い出になっちゃうでしょ〉。無意識のうちに周囲の男を狂わせる、カリスマ性やファム・ファタールに似たそのさまを無差別恋愛だと母親に罵られて、けれど男の欲求からなにかを手に入れることはないのだということ。さいきん、小説や映画や漫画でつらい状況にいるとおもわれる人物を目にすると、抱きしめたい、という感情が湧く/感覚にとらわれるのだけれど、それは苦境への同情で同調で、よくないことなんじゃないかと、見下しているんじゃないかと、不用意に触れてしまうまえに一歩下がって考える。答えはわからない。きっと、ずっとわからないし、わからないまま触れてだれかを傷つけることを恐れつづける。だれかを傷つけるのはわたしにとっても架空の肉が裂けてとうめいな血が滲むくらいに痛いことだから。なるべくわかっていたい。これも祈りで、星に三回唱えるだけでは叶わない、じぶんでどうにかしないといけない願いだった。

#日記 #nikki

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