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日記

おもうことが贅沢な時間、なのではなく、おもったことをこころにとめておく行為が贅沢な時間なのではないか、といったことを考える。やはり池田澄子さんの『思ってます』のことを考えていて、仕事から帰宅して買いもの袋をおろす瞬間に、(おもってません)、(ていうかおもえません)、というきもちになることが多々あって、別になにも考えずに生きているわけではないのだけれど、ふっとおもってきたことばが飛んでいってしまうタイミングが恐ろしくなる。ことばごと、そのことばがあった時間が無に消えてゆくようで。
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ずっと真夜中でいいのに。の「サターン」にゆるゆるとはまりつつある。〈私といるより楽しまないで/心に傷を負った君がいい〉というはじまりかたをするから嫉妬に近い恋の病みの闇を感じてただ重たいなあとおもっていた。でもこれは、おたがいに照らしあえる関係だった・あるいは「私」を照らしてばかりでいる「君(彼・あなた)」への、言えないけれど、言わないから届かない祈りの歌だ。形容詞をそのまま使うと平べったくなってしまいそうで嫌だけれど、苦しい、でも優しい、と素直におもう。でなきゃ〈少しだけ あなたの住む世界/まわりまわって近づけたときは〉なんてもしものこと、言えないんじゃないか。相手とはおなじ世界にいないことを前提にして、じぶんではどうすることもできない公転によってもたらされる距離を願い、口ずさむ歌。わたしたちの人生が交差しますように、という英語圏の別れのことばを想い起こした。
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半年のあいだ週に一度のペースで書いていたブログの最後の記事にすきなことばのはなしを書いていて、そういえば「世界」を書き忘れていたなあとおもう。わたしにとってはパワーワードのようで、胸のなかがぎゅっとしめつけられたり、あたまのなかがすっきりとしてすべてのことがわかったようなきもちになる。そして、誰かの世界に触れるだとか、あなたとわたしで世界になっていくだとか、そういったモチーフにめっぽう弱いのだった。たとえば、と列記しようとするといつもおなじはなしをしてしまうので割愛する。
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「ううんと……」
「これは七味唐辛子。これはつまようじ」
「なるほどね」
「わたしもかける。……間違えた、これはつまようじ」
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「サターン」からの流れで、ずっと真夜中でいいのに。のアルバムについて考えていて、もしかしたら楽曲をただ寄せ集めたのではなくてストーリーがあるのかなという気がしてきた。相手に必要とされたくてじぶんを誤魔化し誤魔化し生きて、離れる・離れられないのあいだを彷徨うような関係のはなし。『正しい偽りからの起床』というタイトルもそうおもえばしっくりくるし、嘘であることはよくないこととされがちだけれど、じぶんにとってはその偽りは正しいものであるという感覚にもはっとさせられる。
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洗濯機に洗濯ものを入れても容量オーバーになってしまって何度もエラーがでる夢をみた。夢占いによると、洗濯機は後悔や罪の意識をあらわしていて、忘れたいことや消し去りたいことがこころのなかにあるのだと示しているらしい。改めたい、やり直したいというきもちのことでもあって、そこにエラーがでるなんて縁起がわるい。もっとも、洗おうとしていたのは料理本なのだけれど。そんなものを洗濯機にぶちこむからいけないのに、夢のなかのわたしはどうしても洗いたかったようで何度も何度も料理本を洗濯機に放りこんでは電源を入れてエラーをだしていたのだった。
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書くためのまとまった時間をすべて創作にあててしまって、ほんのすこしの空き時間にとろとろと書いた日記、というよりこれは、千切れて丸くない波紋のこと。

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