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日記

その日だけ太陽のマークを摘みとったかのように曇りのち雨の予報になっているのをわらいながら、わらいきるのが下手なじぶんのことをもうすこし大事にしてやらないといけないとおもう。あなたはもっと隙をつくったほうがいいよと言ったひとは、飲み会の席で吐いて泣きじゃくるわたしの顔を見て、めっちゃかわいいやん、と微笑んだ。たしかに河原町でおとこのひとに声をかけられるのはいつも泣いたあとだった。なにかに感動したあと、恩師の送別会のあと、すきなひとと喧嘩をしたあと。夫はわたしが泣いている夢をよくみるらしい。
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恋人は恩人となりいつのまにわたしは違う日本にいる
/雪舟えま『はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで』

結句の音数を考えると日本は、ニッポン、なのだとおもう。日本をニッポンと読んだ/呼んだときの遠さは外国からみたJapanに似ていて、同時に時間や時代の経過を感じさせる。そのせいか、恋人というのはのちの配偶者ではなく、かつて恋人だったけれどいまは恋愛関係にないひとと読んだ。歌集内のほかの歌で配偶者のことを夫と表記しているのを見ているせいでもあるとおもう。
かつて恋愛感情を抱いたひと(たち)は好意がなくなったからといっていなくなるわけではないし、ましてや関係が完全に消滅するわけでもない。なんならすきだったという感情は過去形のままこころに残りつづける。それはまるで後悔とか、懺悔とかのようだけれど、このひとのばあいは恋人が恩人となることで燃えるような恋愛感情とはまた別の温かい感情を寄せる相手となったのだろう。そうしてふとした瞬間に、恋愛感情を抱いていたころに比べるとずいぶん時の経った、離れたところにじぶんが立っていることを自覚するのだ。かつてとおなじ場所に、おなじ肉体で。
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数日ぶりにマンションから出ると、陽のひかりは眩しいし、情報が多くてくらくらする。スーパーの空いている時間のグラフ。牛丼屋のテイクアウト商品を注文するためのタッチパネル。シャッターが半分ほど閉じられたちいさなペットショップ。ひとびとが外に出ない生活をして、まえのようには買われていかなくなるであろう動物のことをおもう。人類はかつて物々交換をしていた。物はやがてお金という単位で価値がはかられるようになった。それは動物にもあてはめられて、だからといって悲しいわけでも酷いと言いだすわけでもない。実家の黒猫も動物園も水族館もだいすきだ。ただおもっただけだということを書いておきたかった。
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玄米を気に入ったとあなたがわらう生前葬を五十年やる
/雪舟えま『はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで』

これはとても、愛だとおもった。あなたの、あるいはわたしの、またはあなたとわたしの生前葬なのだとおもう。それも五十年も執り行うというのは、その長い年月のあいだあるとくべつな意識・認識・記憶(Because 玄米を気に入ったとあなたがわらう)をずっと抱いていたいという感情をはたらかせていたいということでもある。もうほとんど一生をかけての願いだ。
玄米を気に入るなんて生活のうちの、なにかのターニングポイントになるようなできごとでもないけれど、そんなあなたとのささやかなことでさえ儀式にしたい。なによりあなたのすきなたべものを捧げつづけたいし口にしつづけたい。つよい愛である。
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おねえさんどっか行かはるんですかって変じゃないですか、人間生きてたらだいたいどっか行くやろっておもうんですけど、と歌会から王将にむかう道中で先生に愚痴を言ったら、ナンパってそれしか言うことないから、と苦笑いをした。たしかに会ったこともないひとと共通の話題があったらこわい。でも、仮に本のはなしを振られたらすごく話すのだろうなと、会ったことのないひとからの電話をとっておもうのだった。大人になるなら本のはなしができる大人になろう。職場の翻訳小説読みのおとこのこともっとはなしがしたいなあとおもいつつ、おなじ仕事を担当している都合で休憩時間が入れ違いになるのでなかなか叶いそうにない。
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雪のなかソフトクリーム食べさせあう中国人の幸のはげしさ
/雪舟えま『はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで』

アイスクリームはすきだけれど、ソフトクリームって日常生活のルーティンのなかではなかなかたべない気がする。デートや観光なんかで買って食べるものという印象がつよいからかもしれない。
雪が降り積もる白い光景のなかで中国人がおたがいのソフトクリームをたべさせあっている。寒いのになんでわざわざ冷たいものをとおもうかもしれないけれど、そうじゃない、旅行という特別な時間に、旅先という特別な場所でたべるからよいのだ。同時に、その地のよいものをすべて故郷に持ち帰ろうとする中国人の幸福な意識と相まって、まさに〈幸のはげしさ〉だなとおもう。
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その日の天気から雨マークが消えて曇りの予報になりつつある。半年まえから育ててきた未来のこと、考えずにはいられないのだけれど、あなたはどうなのだろう。ショッピングモールのいい魚屋さんでちょっと上等なお刺身とお寿司を買ってきて、ふたりしてこころのなかで迷い箸をした。ホットケーキミックスはずっと品切れで、きみはひとびとをゴキゲンにすることができてほんとうにえらいよ。週末あたりからずっと切らしている卵をあした買いにゆく。チキンラーメンに卵を落としたい。実家では忌み嫌われていたたべものは、あなたをすきになってからわたしの好物になった。それくらいのゆるさで、大事な日を増やして減らして、ゲームのなかの流れ星に手をあわせる。

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