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日記

書かない人生がわからないと言いながらも書かない日々があって、これが書かないという生きかたなのではないのかと気づきそうになる。気づきそう、ということはもう気がついているのだとわかっていて、だとしてもきょうの夕焼けの冬らしい昏さを好ましくおもうきもちは消えなかった。誰かに伝えたいというわけではないのだけれど、忘れずにいられたらいいのにとすでに諦めている。でも、そう書いたことをわたしはきっと憶えつづけている。
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(短歌を書きつけようとして、これ歌会に出したらええやんと短歌を消したスペース)
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本以外ではじぶんのためにほとんどお金を使ってないかもしれないです、と言うと、へえ、あまり物欲がないんですねえ、と脱毛サロンのおねえさんは至極妥当な返答をした(本、には文学フリマで販売する冊子をつくる費用や、読書会などに参加する費用も含んでいるからかなり広義だ)。エクセルのネイルの限定色がめちゃくちゃ可愛くて、わたし好みのラメも入っていて、それでも我慢できているきょうこのごろです。ネイルを塗る機会があまりないし、塗っても家事をすればぼろぼろにとれてしまうし、赤系はデュカートのMy Valentineを持っているし、なんて言い訳を唱えて、しかし可愛い、やはりラメが、と売り場でただじっと見ている。十一月に塗ったネイビーのペディキュアがとれてきた。エチュードハウスの偏光ラメのを上から塗っておこうとおもう。人生でほとんど履いたことがないよそ行きのヒールに刺激されてできた靴擦れはもう治っている。脱毛サロンのおねえさんは塗り絵を趣味にしようとしていて、でも色鉛筆って手がけっこう疲れるんですよね、ほらわたし、仕事がこれだもんだから、と招き猫の手のような、体毛を抜く仕草をしてみせた。水彩だったらもっと楽かなあとおもってて、今度絵具を買ってみます。よい趣味がみつかりますように。
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『この音とまれ!』をぽつぽつ読んでいて、ついに最新刊に追いついた。愛にはずっとそのままで、純粋で、不器用で、まっすぐなひとでいてほしい。そういうのは、ことばにすると口先だけにみえてしまっていけすかないことがおおいのだけど、このひとに関してはほんとうにそうおもう。いつものわたしなら、起こしにきてくれたさとわを寝ぼけて抱き寄せるなんてことできるかいな、ぜったいに意識あるやろおまえ、となじるだろうに、愛に関してはそういったわるくちを言う気になれないのだった。なんでも映像化する時代だし、音楽のはなし(箏曲部の漫画なのだ)だからこそそのほうがいいかもしれないけれど、愛やさとわに美男美女をあてがってたやすく実写映画化されたら嫌だなとおもってしまう。そう、ここの回のタイトルは「やだ」だ。ガンダムの曲で〈遠く離れてるほどに近くに感じてる〉という歌詞があるのだけど、このひとたちのばあいは逆で、近くにいすぎてほんとうは遠く離れていることに気がついていなかったという場面がある。そして、一輪の花を差しだして、その身を引き寄せる衝動に似た想像をして、じぶんの意志ではまだ触れないでいる。
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年の瀬感、のようなものをいつもなら感じる十二月がただ流れていくだけのようで、それは改元やら入籍やら節目にあたるタイミングが多かったからなのか、テレビをあまり見なくなって年末スペシャルというものに触れていないからなのか、それとも再来週に仕事を辞めるから仕事始めというものがなくて年始感のほうが行方不明なのか、わからないけれど、なんにしろ二〇一九年はおわる。ナントカ元年、という年賀状は存在しない、年賀状はナントカ二年からはじまって、春風のような色をした名前の時代が進んでいく。夫がついこのあいだ会ったばかりの友人の妊娠をLINEで知って、会ったときに聞き飛ばしていたかもしれないと謝ると、わかったのはあのあとだとおっしゃっていて、時間は急に進む。大島真寿美さんの『やがて目覚めない朝が来る』をおもいだす。原文ママで述べられない記憶力が悔しいのだけど、時間は飛んだり跳ねたりするのだ。
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「言ってへんかってんけどな」
「はい」
「わいのおにぎり( ; ; )をI氏に誤爆した」
「さよか」
「めっちゃ恥ずかしかった」
「ふうん」
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チキンライスに前日つくっておいたホワイトソースをかけて、チーズとパン粉をまぶす。チーズチェックお願いします、と夫に頼むと、四隅にもしっかりまぶしましょう、と判定される。そうして出来上がったドリアはチーズたっぷりでとても美味しかった。器にバターを塗り忘れていた。

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