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[PS5] FF14 黄金のレガシー(7.0) 感想メモ🌈

いつも感想note系は内容ごとに整理して書いているけどFF14はそういうのはいいかなと思い7.0のメインクエストを終えて感じたことをそのまま書きなぐっていきます。
紀行録で振り返ったりしていないので、記憶違いがあるかも。
つまり以下の感想が初見で受けた印象や気持ちそのままなので、どう理解した上でこういう解釈をしているのかバレてしまうと思うと緊張してきたな…

サブクエはこれからやっていくので、サブクエで語られる設定もあるかも。
これ以降は黄金のネタバレもそれ以前のネタバレもぽんぽん出ます。
古のネタバレ防止策、大量改行後にはじまります。




















7.0はウクラマトの成長を通して「他を理解し、他と生きる」物語だなと。
FGO第2部が好きでFF14未プレイの人、今が始め時です。
ハイデリン・ゾディアーク編は「人(自分・我々)が生きるとは」がテーマだと感じていて、"己"=内から飛び出して"他"=外に向かった印象。

先にハイデリン・ゾディアーク編は自分はこう感じましたって話をすると、ざっくり大きな視点だと古代人から分かたれた者達への世界の継承であり、(ほぼ)永遠の命を生きる古代人と違い有限の人生である今を生きる世界のヒトたちがその代わりに備えた伝えていく力で連綿と伝えてきた文化・歴史の承継と積み重ねであり、生きるとは過去から未来へ繋ぐ大いなる流れなのである。みたいなアレで、個々の命においてはラハくんの

生きていく……それが人の答えだとして……
あんたは自分の旅路に、何を見つけるんだろう。
それまで、好きに歩いてみればいい。

FINAL FANTASY XIV グ・ラハ・ティア

と、このあたりから生き抜いた結果としての評価より生きてきた過程を振り返った時に価値、重きを置くみたいな、そんな感じ。

別のゲームだけどFGOだと

ボクらは意味の為に生きるんじゃない。
生きた事に、意味を見いだす為に生きているんだ

Fate/Grand Order ロマニ・アーキマン

みたいな。FF14で自分だけの哲学を築き上げろ。

本題に戻って黄金のレガシーの感想を思いつくままに。

トライヨラ昼BGM、ドラムのイントロだけじゃなくその後のフレージングやら細部までしっかりしていて芸が細かくてシング・シング・シングへのリスペクトを感じる。
多種族の坩堝感をジャズで表現みたいな事をインタビューに書いてあった気もするけど、シング・シング・シング自体のスリリングさをベースにトラル大陸に感じるエキゾチックな雰囲気も乗っていて良い。
そして夜BGMのミディアムテンポでスムースなジャズ、性癖に刺さりますありがとうございます!!昼夜どちらも好きなので長居しがち。
見たところオーケストリオン譜は昼しかなかったの悲しい、宝物庫実装で夜も増えますように。

中盤までは冒頭に書いた通り"理解"の物語で、全体を通して味わう感じだったから特定のエピソードを取り出してどうこうと書くことがあまり思いつかない。彼女の進む道を軸に丁寧に書かれたのが序盤〜中盤の印象なんですよね(褒めてる)、樹海前半の父親とウクラマトの邂逅とかもちろん良いシーンもあるんだけども!
うろ覚えだけど、手出ししないから安心しろよビビリ野郎と口が汚くなるウチの冒険者が最高の盛り上がりポイント。かわいい顔してこういう一面あるのよいよね (増えるうちのコ設定)

4つ目のエリアで早撃ち対決が始まる時に風が吹いてタンブルウィードが回ってきたりしてきたの、あまりにもお約束に忠実すぎてわらった。
ここらへんの街とかのBGM、FF16を感じません?

ストーリー後半は前半の延長で、序盤の知らないまま恐怖・拒絶を抱える話から中盤以降の知った上でそれを受け入れなくてもいい自由がある話への展開。やっぱりこれ、"理解"の物語なのでは??

ゾラージャ戦、戦闘中は必死すぎてちゃんと見えていなかったけど変化後は双頭になりきれなかった姿だった。
周りからの盲目的期待=重圧に隠された父あるいは力への憧れ。ゲーム序盤で女王たれと自己を縛っていたけど何のために王になりたいのかを自覚しある種自由になったウクラマトと、最後まで自己に課せられてしまった「奇跡の子」たれと「奇跡」の実現に縋るゾラージャの対比だなこれって書いていて思った。なんなら「祝福の兄弟」「奇跡の子」のラベルを貼られ重荷になった2人と王族ではあるけどそういうのがない(なくなった)2人の対照ともいえそう。
理解の面でいうと、(最後に闘うことは避けられないとしても)知ることが大事だと考えるようになったウクラマトと理解の素振りも見せなかったゾラージャの対比でもあるかもしれない。
そういえば見逃しただけかもしれないけど、グルージャくんはゾラージャと誰の子なんだろう…?

発売前、巷ではコーナくんがかませと言われていたらしく、いやいやバクージャジャくんの方やろ〜〜と思っていましたが中盤以降いいキャラすぎた。役割としてのかませはあったけどキャラとして皆しっかり魅力がある。
ただアルフィノくん(だったかな)が、改心しても過去の行いが消えるわけではなく、むしろ今後の言動で真価が問われるみたいなこと言っていたのでほんとそうやぞ。タコスのおじさんにはちゃんと謝っておいてな!!!

FF9のネタや着想を得たものが後半増えてくる。
宝石の名前を冠した女王。スフェーンの石言葉は永久不変。
後半の軸である「永遠」・「記憶」。
ヘリテージファウンド西側の旧市街の見覚えのある広場。
記憶幻想アレクサンドリアの最初の飛空艇が到着するシーン。
最終エリア、絶対エリア名は「記憶の場所」でしょ!!!と思ったらそうではなかった。暁月のラグナロクは絶対そうだと思ったらそうだったので今回もまさかと思ったけどさすがに安直すぎたか…
9といえば永遠の闇って結局なんだったんだっけと調べていて思い出したけど、9本編もある星が別の星を取り込もうとする思惑があったので14本編の展開にしっかりオマージュされていた。9だと発達した文明を持つ星を取り込もうの流れだったけど、14だと発達した文明をもつ世界が逆に取り込もうの流れ。見れば見るほど9ネタが程よく融合している…匠か…

FF4はやっていなかったので暁月の時はあまり実感なかったけど、FF14は過去作のプレイヤーがニヤリとするネタの塩梅がちょうどよい気がする。
たとえばNPCからイーファの樹とかブリ虫の話が聞けたりするけど関係あるわけではなく、未プレイの人も置いてけぼりにならずに普通にFF14の話として楽しめるというか。知らないとマイナスになるのではなく、知っていればプラスになるけど知らなくても特に影響がないみたいな作り方がちゃんとしている。これがFFのテーマパーク。
まんまと9がやりたくなったので術中にハマっている。黄金の間は乗るマウントもデミオズマにする所存、と決めたところでBAの最後がオズマだから今回クルルさんだしFF9にしようみたいな流れかもしかして…??と思い始めた。

最終エリア、それぞれがそれぞれの近しい関係である永久人と触れ合いながら最後は自らの手で消していくのは身体的な死を迎えても誰かの記憶に残っている限り本当の死ではないというヨカフイ族の教えの流れを汲んで原初世界の生命の巡りと自分たちの価値観の再確認なのかも。
また実際に永久人と触れ合ってその恩恵を受けたけど、相手の文化を理解した上で拒否する姿勢を見せたようにも見える。

あとエリアBGMとそのモチーフのアレンジであるラストダンジョンBGMが鬼の泣きメロすぎて情緒にクリティカル+ダイレクトヒット。

暁月で世界の危機は救ったし、今後は拡張ごとに何人かずつ一緒にいるけどしばらくは暁が全員揃うこともないかなと思ったら今回も世界の危機(鏡像世界のだけど)になってしまいやはり暁の面々が結局集まらざるを得ないので過労死してしまう。7.xで休暇を取ってくれ。
今回は先達としてアルフィノくん達がウクラマトと共にあるけど、蒼天の頃から考えると泣ける。
あとやっぱりヤ・シュトラさんとラハくんが最大の問題を解決しがちである。あっ鏡像世界に乗り込む前のNPC会話のヤ・シュトラさんがよいので要チェック。
そしてこの展開、鍵をヤ・シュトラさんが解読して7.x以降でルナルくんと再会の布石ができたか…?

Twitter(現X)で見た、フェイスというシステム面の縛りがシナリオにも影響しているのではっていうの、たしかにそうかも。
でもシナリオ上でキャラごとに明確な出番の差があったらファンから色々言われそうだし、このへんはバランス取るのが難しそう。

終盤の方のテキストで「小さいこと」が「小さこと」になっていたのを急に思い出した。本とかでも脱字を見つけても写真やスクリーンショット撮って報告しよう!より脳内補完して読み進めたい気持ちの方が勝っちゃうので終わった後にでどこだっけ…ってなりがち。

こんな感じでとても楽しんだ7.0でした!
他に書くことないかなと思い出しながら書き殴ったけど続けているとずっと書き終わらなそうなので一旦このへんで。他の方の感想も聞いてなるほど〜となりたいのでお待ちしております。

以降のパッチもたのしみだ〜〜

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