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桂のかたち、町屋の時間 ーー石元泰博「桂」展(各務文歌)

メンバーによる展覧会や映画などのレビューを掲載する企画。第5回は各務文歌による石元泰博「桂」展のレビューです。石元は、「ニュー・バウハウス」とも呼ばれるシカゴ・インスティテュート・オブ・デザインで教育を受け、日本を代表するモダニズム建築を撮影したことで知られています。そんな石本は、桂離宮という日本庭園の傑作をどのように写真に収めたのでしょうか。本レビューは、石本の作品から浮かびあがってくる人工と自然の均衡、ならびに静止と流れる時間のせめぎ合いを丁寧にすくいあげています。(編集部より)

​​ 「石元泰博 桂」。
薄曇りの空からさす風光にひるがえる布地が、この五つの文字を波立たせている。白布に黒の明朝体で印字されたフォントがぱきりと美しい。​

タカ・イシイギャラリー京都 入口

​​ 麻地だろうか、いくぶん目の粗い、けれど凛とすずやかなのれんをくぐり引き戸を開ける。と、ぽっかりとした広い土間、開け放たれた障子がふちどる見通しの良い座敷、奥まで突き抜けるひとすじの通り庭と火袋の木組みが特徴的な京町家に抱き込まれる。年月を経て古色蒼然と育った建具や土壁、柱などの材がかっちりとした「枠」を感じさせるのに対し、奥にきらめく坪庭の緑と水の流れが今この時のうつろう自然を無心に表し、ふきわたる風に踊るような自由さが共存する。このような空間構成が生み出す独特の開放感は、町屋建築ならではと言ってよいだろう。​

入口側から奥を見る

​​ 視線を戻し、入ってすぐ右を見ると、庭園の飛び石数点と周りを囲む苔を真上から切り取った1点のモノクロ写真。作品正面には堂々たる体躯の鞍馬石が3点組まれ、まるで古代の石室のような厳かさを醸し出していた。ざらりとした手ざわりを彷彿とさせる表皮に、白・グレー・赤茶の階調でまだらに彩られた重量感ある石のリアリティが、写真と妙に呼応する。いわゆる生活空間にこのようなしつらいは珍しいと思いスタッフに尋ねてみると、ギャラリーとして町屋を改装するにあたり持ってきたものだという。鞍馬石は日本庭園によく用いられる材でもあり、今回「桂」展をこの空間で開催することの必然性が、明快に伝わってくるように思われた。​

​​ マテリアルとしての材、自然現象を、人の手であやつり制御して作り出す建築と作庭。建築は風景を作る。渋谷のビル群も、茅葺き屋根の里も、そのようにして作られた景色にほかならない。そこには当然、あるがままの自然と人の手という力の拮抗関係で成立する、共存のかたちが隠れている。この事実の究極が、自然との調和のうちに洗練された「日本的」機能美を見せる桂離宮の一連でもありはしないか。作家はどのようにしてこれをフラットな写真作品に落とし込んだのだろう。彼の思考とまなざしの在りどころを、作品を取り巻く空間とモチーフの造形というフォーマット、作品内に流れる時間の表現という観点から考えてみたい。​

​​ 会場の展示作品は全部で11点。モノクロが7点に、カラーが4点だ。石元は生涯で桂離宮を二度撮影しているが、一度目、1953年から54年にかけ撮影されたものと、約30年後、昭和の大改修を経た当地と再び向き合った1981〜82年のものとがあり、展示はこれらが混在した構成となっている。カラーは基本的にすべて後年の撮影作品で、モノクロの中にも数点この時期のものが混ざる。
はじめの部屋に1点、残り3点が展示空間の最奥、庭に面した土蔵の壁にまとまって掛けられたカラー作品に対し、モノクロ作品は奥に到るまでの二部屋に均等に点在する。床の間の掛物として飾られたもの、壁面に掛けられたもの、あるいは坪庭をのぞむガラス障子に立てかけられるように置かれた作品たちは、それぞれがギャラリーの風景や建築と響き合うように配置されていた。​

石元泰博《園林堂横飛石》
1953‐1954/1980s ゼラチンシルバープリント 

​​ ここで気付くのがまず額装の違いだ。モノクロプリントは茶色い木を互い違いに組んだ組み木細工のような額におさめられ、カラーは白木のすっきりとした額に入れられている。組み木の方はジョージナカシマデザインの特注品だそうで、わざわざそのようにモノクロとカラーで額にも変化をつけているのは興味深かった。町屋の風情に合わせるというだけならば、どちらか一方で統一しても良いはずで、そこまでの気配りは両者の違いをより強調する。
​​ 次に一点一点を見てゆくと、そこに写るモチーフは高精細で引き込まれるような表情がある。特に50年代に撮影されたモノクロ写真群からは、画面の隅々にまで行き渡る緊張感に心がヒリヒリさせられた。大判カメラで撮影されたそれらはどれも全体にフォーカスが合い、歪みが少なく整然とした造形美が際立つ。そのため被写体のどこにも「抜け」が無く、結果としてモチーフすべてが同じ強度で迫ってくる。白と黒の階調のみで表されるモノクロプリントにこれは顕著で、さらに石元の作品に見られる、極度に抽象化された飛び石などの細部の造形とそこに写るつぶさなテクスチャには、徹底したリアリズムに基づき対象を射抜く作家の隙の無いまなざし[1]が感じられる。ここに現れる異常ともいえる存在感。作家独自の視点というフィルタにより、日本庭園のまとう情趣あふれる風景は、あくまで人が自然へ介入することで作り上げた造形物であることを暴き出しているようにも思われる。​

​​ 時間の側面はどうか。一部屋目に展示されてあった、庭園の一隅、延段と飛び石の道を近距離から俯瞰で切り取ったモノクロ写真には、左上のグレーの水面に雨の波紋がいくつも弧を描き写り込み、撮影時の気象がわかる。雨に濡れた石の表面はつやつやとし、石同士の隙間にたまる水が白く光り際立って、焼き込まれた影をより濃く個々の石を立体的に見せている。入り口すぐに掛けられた飛び石のコンポジションと比べると、これはよりはっきりする。自然現象としての雨が加わることで、庭の表情はこれほどに変わるということを、このモノクロ写真は端的に伝えている。
 もうひとつはモノクロの展示作品内で唯一建築を写したもの。楽器の間広縁と中書院の高床の一角を、床を支える細い柱と下の地面が構図の半分を占めるようにしてフレーミングする。ここでは柱の細い影が足元の礎石から斜めに伸び、そこに陽が射していることがわかる。これら撮影時の気象が写り込むモノクロ写真は、少なくともこの展示内では後年の作品のみがセレクトされており、50年代の作品には見られない傾向だった。​

石元泰博《御殿東側の延段と飛石道》 
1981‐1982/1980s ゼラチンシルバープリント
石元泰博《南庭から楽器の間広縁と中書院を見る》 
1981‐1982/1980s ゼラチンシルバープリント

​​ このように一様に見える庭にも自然現象が作用し、都度表情を変える姿からは、モチーフの造形のみならず、その前提にある環境との関係性が前景化してくるようにも思われる。さらに大きく分ければ撮影年にも二期の時間経過がある。今回の展示では、作家自身が同じ建築と対峙した時の流れも内包し、そのまなざしの変化を提示している。​

​​ さらにもうひとつ。モチーフ自体に流れるマテリアル固有の時間がある。展示の導線でははじめの部屋に1点、小枝のような竹を編み重ねた軒裏をごく近距離から切り取ったカラー作品があり、そこからは構成物である材それぞれが持つ時間の違いが見えてくる。黄、茶、橙と、引きで見ていては捉えきれないような色の違いや細かな斑点……整然と並びながらもひとつとして同じ模様の枝は無く、節には固有の時間が刻まれる。入口すぐの部屋に1点だけ掛けられたこの作品が象徴するものは、このまなざしなのではないか。
 瞬間を凍結させる写真作品を通して、石元が桂で撮りたかったもの。再撮影までの時間を経てより明確になったまなざしの変化と思考の理路。モノ自体に宿る自然本来の自由な時間と、人の手で作り出された造形に宿る、秩序立った構成美。そのせめぎ合いから生まれる抑制された人工の美の空間。桂から町屋に受け継がれる人の文化の営みを、この展示では二種の時間のレイヤーと、対象を物質として捉え配置する作家の冷静なまなざしとで浮かび上がらせているようだ。​

石元泰博《中門の軒裏細部》 部分 
1981‐1982/2002-2003 Cプリント 

​​ 展示の終わり、庭に面した土蔵に掛けられたカラー作品3点に対峙すると、文字通り風が抜けるような安心感を覚えた。展示構成全体としての「抜け」がそこにあるような。ふ、とひと息つくようなささやかな風情に、心は一気に「今」に戻される。

土蔵内のカラー写真3点

3点の中央、奥に向かって狭まる矩形の月見台から見た池と周囲の木々を捉えた作品に目がゆく。池には茂みが映り込み、その影をゆらめかせる水面と月見台が、ちょうど半分ずつの構図で分けられている。上部からひたすらに造形を射抜くようなモノクロ作品には無かった「空」を、池の水面は映していただろう。すると、ここまでの道のりで通り過ぎた坪庭の手水鉢にも、雲間を縫う青い空がきらりと光っていたことを思い出す。作品の景色と交錯する町屋のリニアな導線に導かれながら、それらを超えうつろい続ける自然の景色を感じるひとときだった。​

[1]石元はそのキャリアの初期、戦後1948年に、バウハウスの流れを汲むシカゴのインスティテュート・オブ・デザイン(通称ニュー・バウハウス)に学び造形感覚の訓練を積んだ。この基礎のもとに撮影された桂離宮の姿は当時の日本写真界および芸術に、大きなインパクトを与えたという。
「日本的な情緒の介入を許さない冷徹な目で空間や対象を凝視し、それを捉える造形感覚および思考は、ものの本質を見極めた上で成立していることを示している。こうした感性は、日本での制作活動においても如何なく発揮され、写真界で異色の存在となる。」(横江文憲「記憶へのいざない」、『平成24年度市町村立美術館活性化事業 第13回共同巡回展 高知県美術館所蔵 写真家 石元泰博--時代を超える静かなまなざし』展図録所収、2012年、p8、第13回共同巡回展実行委員会©2012)

展覧会情報

タカ・イシイギャラリー京都
石元泰博「桂」
2024年5月30日(木)-6月29日(土)

https://www.takaishiigallery.com/jp/archives/32336/

執筆者プロフィール

各務文歌
岐阜県出身。あいちトリエンナーレ2010サポーターズクラブでの活動をきっかけに、美術作品のレビューを書き始める。
美術をかたわらに細々と仕事してます。

散文と批評『5.17.32.93.203.204』

各務文歌による「響き合う対話の空間――京都市京セラ美術館コレクションルーム」が収録されているZINEは、下記リンクからご購入いただけます。

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