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砂丘の遠近 植田正治写真美術館と鳥取砂丘の記録(谷川哲哉)

メンバーによる展覧会や映画などのレビューを掲載する企画。第3回は谷川哲哉による植田正治論です。植田は鳥取県に生まれ70年程活動した写真家。空・地平線・砂丘を背景として、被写体をオブジェのように配置する「UEDA-CHO」(植田調)で知られています。彼の出身地である鳥取県西伯郡には植田正治写真美術館があり、彼の膨大な作品を鑑賞できます。筆者は写真美術館での鑑賞、鳥取砂丘への旅を通じて植田の写真の「遠近感」について考察します。(編集部より)

鳥取砂丘を歩いている。そこで気がついたのは、植田正治の写真とは幾分印象が違うということだった。足元の砂は質感までよく見える。そこから視線を遠くに移すほど、霞んで平坦になっていく。端的に言って、現実の砂丘には奥行きがある。

植田正治がフレームに収めた砂丘は、どこかもっと平面的な感覚があった。砂丘に親しい人々を配置した初期の作品群や、後年の《砂丘モード》(1983-96)のシリーズにしても、しばしば、画面のかなりの面積を砂が埋めている。そこでは前景と後景の質感の差異が乏しく、遠近感が失われる。鳥取砂丘に特有の傾斜のきつさも、そうした効果に一役買っているだろうか。写真スタジオの背景ように砂丘を使ったと本人が語る通り、フラットな砂の面。

植田正治 砂丘人物 1950年頃


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鳥取砂丘を歩き続けていると、やがて濃紺の海が、砂丘の合間から少しだけ姿をのぞかせる。波の質感は遠すぎて分からない。淡白な色をした空と砂の隙間にあって存在感がある。海は、手前にあるはずの砂丘を押しのけて、迫り出してくるように感じられる。

鳥取砂丘(筆者撮影)


この感覚には既視感があった。砂丘の写真に限らず、植田の写真はしばしば後景が迫り出し、遠近の距離感を狂わせる[1]。 例えば《風景の光景》(1979-83)シリーズの一枚。画面を斜めに横切って空と丘で二分されるシンプルな構図に、一機の飛行機が飛んでいる。丘と飛行機は黒く塗りつぶされシルエットになり、そのために同じレイヤーにあって、今にも衝突しそうな雰囲気を醸し出す。

植田正治 シリーズ〈風景の光景〉より 1978-83年
北瀬和世編『SHOJI UEDA.1913-2000 植田正治 
イメージの軌跡』図版から


あるいは、砂浜に立つ少年と、遠くに小さく見える島を写した一枚。海も砂も空も白い背景に、少年と島だけが黒いシルエットで、同じ平面上にあるような錯覚をもたらす。島は頭上に浮かんだ帽子のようにも見えてくる。

植田正治 シリーズ〈風景の光景〉より 1979-83年


SNSでも見かける植田正治写真美術館のフォトスポットは、ガラスの壁面に黒いシルクハットが印刷されており、来場者はそこに立って植田風の写真を撮ることができる。それが可能なのも、被写体が逆光で真っ暗になるからで、ゆえに後ろのシルクハットと同化して同じ平面上にあるように映る訳だ。

植田正治写真美術館フォトスポット(筆者撮影)


《松江》(1964-68)シリーズにも同様の遠近感の狂いが散見された。例えば、川と橋を挟んで奥の家屋を写した、一見何でもないような風景。しかし黒基調の画面で奥の看板…染物店とある…だけがビビットに白く迫ってくる。フレームによって看板の上部が寸断されるので、余計にその位置関係が曖昧になる。

フレームによる寸断も、しばしば用いられているようだ。初期作《茶谷老人とその娘》(1940)の上部。位置関係としては奥にあるはずの誰かの足が寸断され、奇妙な距離感を醸している。植田は初め画家志望だったというが、マネやドガなどを思い出させるところがある。《松江》の家屋の写真群も、窓や入り口の奥はフラットに黒く塗りつぶされており、奥行きが否定される。モダニズムの歴史になぞらえるなら他にも、波や雪の起伏を至近距離で写した、もっと抽象的な平面構成も散見された。


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もちろん写真の平面的な構成というのは、モード写真をはじめ一般に広く指摘されることだろう。ただ、植田正治がしばしばシュルレアリスムの文脈で言及されることを思えば、いささか奇妙な事態だと思わなくもない。シュルレアリスムが頻繁に描く砂漠は、平面性と基本的に相容れないように思われるからだ。


砂丘を舞台に、不可思議なオブジェや人体が配置された植田調の写真。その異化効果は当然、タンギーやダリを思い出させるし、《砂丘モード》の紳士もマグリット風だ。しかし彼らの「シュルレアリスム絵画」は、あくまで遠近法を手放さなかった。とりわけダリなどは、遠近法のお手本のように消失点に収束する直線をよく描く。こうした舞台を設定すれば観者は、遠近法の習慣に従って「現実の対象を再現して描いている」と認識する。しかし、そこに奇妙な事物が描かれているために、それも現実に存在した対象だったのか?という不思議な感覚がもたらされることになる。いわば、遠近法のルールを逆手に取ることで「超現実」をもたらすのであり、そこにアメリカ型モダニズムの二次元平面と異なる効果があったとも言われる[2]。

ここで仮に「三次元空間の遠近法の設定」と「二次元の平面性」を両極に取ってみるなら、植田の写真はそのどちらとも異なり、「遠近法的な空間の後景を、手前に迫り出させ平面に近づけることで、超現実的な感覚をもたらす」とでも言えそうだ。


例えば《砂丘モード》のある一枚は、手前に大きくシルクハットを写し、後景に小さく人が写っている。どちらも黒のシルエットになり、同レイヤーにあるかのように、平面へと近づいていく。

植田正治 シリーズ〈砂丘モード〉より 1983年

もっと顕著に平面に近づく例として、砂丘自体を黒一面でフラットに写し、ピン留めしたかのように複数の人体を配置しているようなものもあった。

ここで遠近法に代わって「逆手に取られているルール」は写真のインデックス性だろうか。遠近法と同じく、写真に撮られた事物もまた「現実に存在したものの痕跡」として観者は見るからだ。その写真の遠近感が奇妙であれば、遡って「現実の空間ってこんな風だったっけ?」といった不可思議な感覚を持つことになる[3]。

また《砂丘モード》の一枚、宙に浮いたシルクハットと紳士。これも平面的な砂丘の上に、人体はピン留めされたような雰囲気だ。だがあくまで完全な平面ではなくて、フラットな影と紳士を繋ぐ足元の砂は、確かな三次元空間の質感を残している。それもまた、この写真がかつて現実の空間であったことを示す明確なインデックスになるだろう。二次元平面と三次元空間の間を揺れるような特異な魅力があった。

植田正治 シリーズ〈砂丘モード〉より 1983年
北瀬和世編『SHOJI UEDA.1913-2000 植田正治 
イメージの軌跡』図版から


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鳥取砂丘を歩いている。足跡が続いている。砂の上に連なる物理的痕跡は、少し経てば風紋に上書きされて消えていく。それは無意識のように再浮上してくる事はない。なんとなくそれを残しておきたくて写真に撮った。

鳥取砂丘(筆者撮影)



[1]同様の指摘は以下にもみられた 
飯沢耕太郎「オブジェとしての世界」北瀬和世編『SHOJI UEDA.1913-2000 植田正治 イメージの軌跡』所収 p9

[2]以下を参考とした 
鈴木雅雄+林道郎『シュルレアリスム美術を語るために』水声社、2011年

[3]以下を参考とした 
「シュルレアリスムの写真的条件」ロザリンド・クラウス『アヴァンギャルドのオリジナリティ モダニズムの神話』所収 谷川渥/小西信之訳、月曜社、2021年。

画像出典
植田正治写真美術館ホームページ WORKS(作品紹介)
北瀬和世編『SHOJI UEDA.1913-2000 植田正治 イメージの軌跡』図版

展覧会情報

植田正治写真美術館
【企画展】私風景:植田正治のまなざし
2024年3月1日(金)― 6月9日(日)

【企画展】私風景:植田正治のまなざし

執筆者プロフィール

谷川哲哉
1995年生まれ。
会社員。シュルレアリスム、60〜70年代くらいの美術に特に関心があります。

散文と批評『5.17.32.93.203.204』

谷川哲哉による論考
「視覚的アラカワ+ギンズ」
が収録されているZINEは、下記リンクからご購入いただけます。

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