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満たされなかったもの

 怒りについて。

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 なんだか最近この「怒り」ということに関していくつか同時発生というか、よく見聞きしているようにおもって気になりだした。友人たちのラジオの主題、私自身の関係性での会話、それから怒っている人を目の当たりにした件、だいたいこういうところから書いてみたい。

 私は人生のほとんどにおいて、怒りに関するあれこれをすごく苦手としていた。自分の怒りを表現することがうまくできなかったし、怒っている人だったり喧嘩している様子を見るのも、恐怖心や嫌悪感を感じるという具合だった。そこで私がとっていた行動というのは、なるべく波風たたないようにすることだった。人と争わないように、誰かの怒りを買わないように。これはいま思えばあらゆるものを閉じていく行為だったと言える。心を動かすこと、感じること、感情をおもてに出すこと、人と関わること、そういったことすべて。

 20代の入り口で、色彩言語(オーラソーマです)を学んだときにそんなふうなことを発言したら、先生に「喧嘩を避けてたら周りが喧嘩するでしょう」と言われた。私はこのときうまく理解ができなかったけれど、つまり避けている現象が自分の周りで起こって、何かを気づかせようとするとかそういうことだとおもう。そのときからずいぶん時間がかかったけれど、ここ数年は理解ができてきたと感じている。

 怒りは色彩言語のうちレッドの管轄にあたる。でももちろんイコールというわけではないし、レッドには他にも多くの要素が含まれている。人間の身体で相当する部位は生殖器から足先まで、この部位というのは行動(歩く、走る、動く)する部分であるし、生殖(セックス)という点において大きな役割を持つ。レッドはエネルギーそのもの、動いてなんぼの世界といえる。だから私がとっていたような対応というのは見当違いというか、ぜんぜんよくなくって、エネルギーというのは循環させてしかるべきものなのだった。

 他にレッドの管轄といえば愛で、怒りには愛の要素が入っている。例えば母親がどうして年頃の娘に対しあれこれ心配して口を出すのかとか、恋人にわかってもらえなくて腹が立ってくるとかいうのは、アイシテルからである。関心がなければ怒りはうまれない(怒らないから愛がないとは言っていない)。
 むかし勤めていた事業所の事務局長は色んな人に怒っていた。傍でみているとそれは理不尽な怒り方ではなく、ちゃんとその人のために怒っていた。相手が同僚や部下であっても、他部署であっても、よその会社の人でも、セールスの電話の相手であっても、同じように真剣に怒っているその姿を見て私は(愛情深いひとだな)とおもっていた。関心がないとそう怒れるものでもない。怒るのって、疲れるし。

 怒りを抑え込んだり、知らんぷりするとフラストレーションになっていく。症状が軽い場合は、ひたすら掃除をするとか、ちょっと憂さ晴らしに買い物をするとか、ジムで身体を動かすとかそういうことで解消できる(エネルギーという点で同じだから)。でもこれはある程度はということで、進行すると歪みみたいなものが大きくなってくる。買い物の金額がどんどん膨らんで借金をつくる、満たされない愛をよそに求めて浮気に走る、やり場のないエネルギーを解消するためセックスをお金で買う。
 あるいは身体に何かしらの症状があらわれる。思春期にきびなんてわかりやすい例で、大人でも吹き出物として出たり、あまり重症だと帯状疱疹みたいなものにまでなる。私は鍼灸に通い出したころ、こういうふさぎ込んだところがストレスとなって、肝臓にダメージを与えていると言われた。片山さんは人と喋る場を増やしたり、外で身体を動かす機会を増やすといいですよ、と言われた。

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 つい最近目にした怒ってる人だけど、この人と会うのは3回目くらいだった。初回はほとんど印象に残っていなくて、2回目に会ったときに持ち物のなかに赤いものが多いのが目に付いた。3回目に会ったときもやっぱり赤いものが多いな、とおもった。これはお洒落のアクセントとかいうふうではなく、私はなんとなく違和感をもった。で、あとから、この人(Tさんとする)がある人(Kさんとする)に対しめちゃくちゃに怒りをぶつけたというのを聞いた。その怒りにはまあ理由があったんだけど、それもある程度はわかるけど、やっぱり何かしらの違和感が残る。Tさんの怒りは別のところにあったのではないかとおもったりして、その具体的な言及はここでは避けるけど、私にはKさんの件はきっかけにすぎなくて、Tさんは別のことに対する怒りをこのとき転移させて怒りを出したように感じている。まあ別に、まったくの理不尽というのでもなかったし、TさんとKさんの間でそれぞれいいふうに作用するかもしれないし、そもそも私には関係ないし、いいんだけれども。

椿の赤

 他に怒りを出さなかった場合にどういうことが起こるかというと、これも私の場合なんだけど、タイミングを逃してしまうことが多くなる。怒りの表現を避けていると、感覚も鈍るし、ここぞというところでうまく言葉にできなくて、それを探しているうちに「・・・・・」みたいになって、もう何を言いたいんだか自分でもわかんないとかそういうふうになる。これはすごくよくない。

 こんなふうな気づきから、何に対して怒っているかとか、それを相手に伝えるとかを、ちゃんとその場で出してあげていたほうがいろいろとうまく運んでいくんだ、というのを最近は実感している。自分を理解するのにもいいし、相手に理不尽に怒りをぶつけるという不毛な結果も避けられるし。
 怒りの方向を曲げてむなしい買い物を避けられるし(まあ経済という点からするといいような気もするけど借金はよくないよね)、ほんとうに愛を交わしたい相手に気もちをむけられるし、お金で愛を買うなんてこともしなくてよくなる(しかしお金もエネルギーだから交換してるだけとも言える)。みんながそれぞれ自分の怒りを理解して行動すると、世界が整っていくのじゃないかとさえおもう。

 友人らのラジオでは、怒りとクリエイティブを絡めて話題にしていた。あれですね、ゲージュツはバクハツだとかつまりそういうことで(そうかな)、怒りとかバクハツといったレッドのエネルギーから芸術作品が生まれたり、金メダルを獲得したり(スノーボードの平野歩夢って人のことらしいですよ)、怒りがもたらす健康効果といったポジティブな側面を主点に話していて興味深かった。スノボの子の場合は自分につけられた点数が不適当だという怒り(自己肯定感)から、金メダルを獲るほどのパフォーマンスにつながったとか、あと具合の悪かった母親が病院の対応に腹を立てて元気になったとか。まあ興味があったらラジオを聴いてみてくださいませ。

 そういえばあの事務局長も年のわりに血色がよかったなあなどと思い出したりして。

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 こんなふうにいくつかの視点から探求していくと、満たされなかった愛に出会うための鍵を、見つけられるかもしれない。

 

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