今日という日と栗きんとん
私はくいいじが張っているので、ここにもたびたび食べたものやお菓子のことなんかを書いてきたのだけれど、最近そういう記事を書いていない。といったってチョコレートはしょっちゅう食べてるんだけど。
宮崎の日之影町というところは栗どころで、ここで作られる『栗九里』のことは前に書いた。これはずいぶん前に友人の勧めで知ったお菓子なんだけれど、とてもおいしくて忘れられない味をしている。だいたいにおいてあまり手を加えない味がすきな私なので、栗も天津甘栗とか焼き栗といったものを好むけれど、栗九里は別である。栗をふんだんに使っていて、とてもぜいたくだ。
トップ画像のは、熊本の山江の栗を使った栗きんとんで、まあ栗九里との比較のために買ってみたようなもの。先日やっと手をつけたのだけど、そしてこちらもおいしいんだけど、うーんやっぱり栗九里のおいしさは圧倒的だった。また食べたいなあ(入手がむずかしいのです)。
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今日は、3月11日だ。石井ゆかりさんが書いた文章と、そこに添えられた動画が気になって視聴したのだけれど、どうしてだか観終ったあとすぐに、ものすごい眠気に襲われて、そのまま横になってしばらく眠ってしまった。意識がぼんやり醒めてきたところで、黙祷のサイレンが鳴ったのがより印象的だった。(※14時46分頃だ)
ふだんはあまりこういうこと(この場合動画を観にいくこと)をしないのだけれど、石井ゆかりさんが書いていた、「忘れる」ことに関する文章に反応したみたいだった。最近どうも、「この瞬間を忘れたくないな」とおもうような出来事が多いのも要因だったかもしれない。
今日は夕方17時前くらいに、月がうお座に入って水の星座に星が5つ集まっているらしい。感情が揺れるのもこういったことが関係しているのかもしれない。
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栗のお菓子のことと、11年前の今日の出来事のあいだには関連がないようにおもうけれど、そして実際そうかもしれないけれど、書いておきたいとおもったから書いた。私はこのnoteを始めるまで、ブログをつくったりどこかに文章を書いたりすることはほとんどなかった。でも前にどこかの記事に書いたように、自分のなかにたまった色々を表現したくなったのがきっかけで始めて、そして(今のところ)書き続けている。たぶん、書くことでいったん外に出すという作業をするほうが、より言葉を選びやすいからだとおもう。喋るのが苦手で、それは頭の回転が遅いからだったりする。人から訊ねられたり意見を求められたときも、すぐにこたえることができない。そして話題はうつってしまい、人から見たら、意見を持たないつまらない人間みたいに見えてしまうかも、とめげてくる。でも、だからこうやって、一見なんの関係のないようなことでも、書いておくことで、意識にのぼらせてあげるといいような気がしているのだ。
今日だってどうして栗のお菓子と津波のことを(そのふたつだけを)書いておこうとおもったのかわからないように、これがこのあとの自分にとってどんな意味をもつのかわからないのだけれど、書いておきたいのだ。
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こういったわけで、脈絡のないことも多い私の記事を、いつもひろい心で読んでくださって、ほんとうにありがとうございます。
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