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喫茶店あれこれ

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喫茶店やコーヒーまわりのあれこれを集めました。
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#母

喫茶店百景-なるべくなら口は閉ざしておこう-

 これは喫茶店(客商売)という世界に生きてきた、父や母の影響が大きいなとおもうことを書く。  父は大学に通ったけれど、途中で何かをおもったのか、在学中からアルバイトをしていたK市の喫茶店での仕事に魅了され、その方面に進んでいった。地元に帰ってきてからは、当時喫茶店やバー(パブ)などの店舗数をぼちぼちと増やしていた、Jという店で働くようになった。ここで本格的に焙煎をしだして新規店舗を任されたり、後輩たちの指導にあたるようになったと聞いている。まあ昔のことで、こういうことはだい

喫茶店百景-とけい-

 母が仕事を終えるのを待って、保育園や小学校のあとは店で過ごしていた。子どもの頃の話。  きょうだいの上のふたりとは4つ5つと離れていて、それもあって私は母にべったりだった。保育園では給食の先生にいつもくっついていたし、店にいるとお客さんからもかわいがられる。末っ子で甘えんぼうの見本みたいに育った。  それでも、店に長いこといると退屈する。お客さん用のマンガや雑誌を読みつくし、客席がすいていたら窓から下を眺め(店は2階にあった)、たまにお手伝いをしたり、人に会いたくないとき

喫茶店百景-ジャズ・トロンボーン-

 最初の店は私が生まれる前から始めていて、Sという町にあった。子どもたちの成長過程で母が仕切る時期があり、両親が夫婦関係を解消したあとは父がひとりでやりくりした。  S町もずいぶん様子が変わり、多くのチェーン店にお客を取られ喫茶店もすたれてきた。S町のその場所に見切りをつけた父は、ちょうど話があったらしくMという町の居ぬきの店に場所を移した。一度外に出てから長崎に戻ってきていた私は、M町の店にもちょくちょく出入りするようになった。厨房も客席もなかなかの面積をもったこの店では、

喫茶店百景-サーヴィス-

 注文を受けて、コーヒーや軽食をつくり、お客さんのテーブルに運ぶ。地方の小さな喫茶店だけれど、サーヴィスの日々である。  小学生から中学生時代のお手伝いといえば、以前も書いたけれど近所へのおつかいくらいだった私も、高校生くらいになってくるとときどき店の中の仕事もしていた。いつまで経ってもうまくできなかったことは、飲み物のサーブだ。  うちではステンレスの丸いトレイを使っていて、そこにコーヒーカップや背の高いグラス類をのせて運んでいた。丸いトレイは片手の平に持ち、テーブルま

喫茶店百景-休息の場所としての喫茶店-

 カウンターに座るようなお客さんはほとんどが常連で、店が立て込んでなければコーヒーを飲みながら父や母との会話をたのしんでいた。お客さんの邪魔にならなければ、私もそこに加わる。まあ学校が終ってからの時間はそう混まないのでだいたいカウンターに座る。  近所で大学生向けのアパートを経営していたMDさんの奥さんも、買い物のついでにほとんど毎日来店した。MDさんは喫煙者なのでコーヒーを飲みながらたばこを吸うけれど、会話から家では吸わない人だった。つまり旦那さんには内緒にしていた。  

喫茶店百景-お手伝いいろいろ-

 学校が終って帰るのは、家と反対方向にあった両親の店だった。家の鍵は与えられていたけれど、ちょっと年の離れた兄姉と遊ぶよりも、店にいる方が好きだった。  母の帰りを待つ時間に何をしていたかというと、店のマンガ雑誌から週刊誌までを片っぱしから読む、それから図書館で借りた本なども読む。たまには宿題をしてみたり、窓の外を眺めるのも好きだった(お客さんが少ないとき)。お手伝いなんかもしていた。  私が店でやっていたお手伝いについて書いてみる。 ⋆紙ナプキン折り 正四角形で一部に飾