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旅と巡礼

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近所だったり、ちょっと遠くだったり。旅と巡礼とは切り離せないもののようです。
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#長崎

大東亜戦争の裏側で

 今日12月8日は、日本軍による真珠湾攻撃(ハワイ時間12月7日)がおこなわれた日ですね。  記念的に、最近知ったことなどを書いてみたいとおもいます。 戸田帯刀神父射殺事件  必要があって、横浜周辺とキリスト教(カトリック)のあれやこれを調べていたところ、戸田帯刀神父の事件にあたった。  戸田神父は、1898年3月23日、山梨県に生まれ、1923年11月にローマのウルバノ大学へ留学、1927年12月17日に司祭に叙階された人物である。  札幌使徒座代理の職にあった194

のぞき見写真館 下五島秋編

 ついこのあいだ訪ねた、下五島で撮った写真の現像を後回しにしていました。もう少し身を入れてやりたい気もちと、とにかく現像したい気もちの真ん中くらいで現像したいくつかの写真を、ギャラリー的に掲載しておきます。 *  長崎の教区は、聖堂の中は撮影禁止としています。  この写真は、教区の所有を離れた旧五輪教会(久賀島)で撮ったもので、撮影は禁止されていません。  聖堂としての役目を終えているから、ご聖体ランプは消えたまま。  茂みのとこで昼寝していたネコ(平和だ)。  出

長崎と聖アウグスチノ会に関する短い文章

 日本に聖アウグスチノ会が入ったのは1584年、信徒眼1万人を擁する小教区を持っていたそうであります。  1612年には、眼鏡橋のすぐそば、歩いて2分ほどの場所に同修道会の本部教会が建立されていますが、1614年には毀されてしまいました。  教会の建っていたという常盤橋のたもとには、「サン・アウグスティン教会跡」という石碑が建てられています。  それから300年以上経って、ちょっとした偶然から長崎市の城山小教区を担当するようになったのは、1952年のことだったそうです。アメ

十数年ぶりの場所

 広島に行くのだったら原爆ドームにも行きますね。私も昨年末の訪問時に訪ねてきました。初めて行ったのは十数年前で、そのときは姉といっしょだったなと思い出しながら、今回はひとりです。実は(ってなんだか変ですが)、その最初の訪問時、私は少し気分を病みました。きっとこの場所のエネルギーが強かったのです。地元長崎の落下地点付近でも同じくちょっとした体調不良にみまわれたことがありました(今は平気)。  そんなに深刻に気分が悪くなったわけではなかったのだけれど、今回はどうだろうと少し緊張

のぞみが叶った日

 佐世保市の南西にうかぶ島に行ってきた。黒島という島だ。  何年前だったか、その島に行こうとしたことがあって、でも予定していた日が雪になって中止した。その後、その島にある黒島教会が工事に入って、工事期間中でもいいかなとおもいつつも、訪問を先延ばしにしていた。工事というのは耐震対策・保存修理工事で、つまり大規模なものだったため2年ほどを要して、今年(2021年)の2月に完了している。  前回もTKさんと行こうとしていたのだけど、やっぱり私はTKさんといっしょに行きたいとおも

陸路で行く伊王島

 伊王島という島があって、ここに行くには以前は船便だけだった。2011年に橋が架かり、陸路でも行けるようになってから初めて行ってきた。  いつでも行けるとおもうと行かないものである。  伊王島では昔ジャパンスプラッシュというレゲエイベントを毎年やっていて、父や母と数回行ったと記憶している。確か小学生頃のことだった。懐かしい。  陸路で行く場合、香焼という地区を通るのだけど、ここもすごく懐かしかった。高校の同級生の出身地であり、そのころはときどきバスに乗って遊びに行った。彼

かつての貿易港を訪ねた

 5月に仕事の関係でいくつかの巡礼地をまわった。車を利用した駆け足のものだったけれど、はじめての場所もありこんなことでもないと行かない場所なのでいい体験をしたとおもった。  外海から大瀬戸を経てさらに北に向かうと、16世紀に天正遣欧少年使節の一員であった中浦ジュリアン出生地がある。この地にある記念公園には以前、TKさんに連れて来てもらったことがある。  中浦ジュリアン像のある展望台の下は資料展示室となっており、自由に見学できる。 ローマの方角を指さしている  公園を後に

教会の鐘についてのいろいろ

 長崎県の北の方にある平戸市は、早くから外国に開いていた地で知られている。田平町には、長崎における教会建築で有名な鉄川與助氏の設計施工ということで訪れる人の注目を集めている田平教会がある。このあたりへのキリシタンの入植は、外海の出津教会のド・ロ神父と、黒島教会のラゲ神父によっておこなわれた移住開拓事業が始まりと言われる。  第1回目の移住は1886(明治19)年で、外海から4家族、黒島から2家族だった。その時から代々田平で生活を続けてこられた方とのご縁があり、こちらも(外海

ひとがいなくなった島

 長崎市の南西に浮かぶ端島(通称軍艦島)という島がある。ここ数年は明治日本の産業革命遺産などで注目を浴びている。観光のためのクルーズをおこなう会社がいくつかあって、これも人気が高い。  とくべつ「行ってみたい!」とはおもったことがなかったため未訪問だった私に、TKさんからお誘いがあった。TKさんも行ったことがなく、ちょっとしたご縁で優待券をもらったのだそうだ。一緒に行かないかと、私に声をかけてくれた。  それぞれのスケジュールと、天気を見ながら予定を立てた。予報が変わった

兵どもが夢のあと、原城跡

 長崎県の南東には胃袋のような形をした島原半島がある。その胃袋の下のほう、南島原市には歴史に名を残す「島原・天草一揆」の主戦場となった原城跡があり、海を挟んだ向かい側には熊本県の天草が見える。  原城「跡」というくらいなので城址、つまり天守もなにもなく石垣などの一部や遺構のみとなっている。  原城は1496年に有馬氏によって日野江城の支城として築かれた。後に有馬氏が日向国延岡城に転封となると1616年に松倉重政が日野江城に入城する。松倉氏は不便な日野江城を放棄し島原城を築

島の暮らしを覗かせてもらった

 五島列島の南部、下五島地区に久賀島(ひさかじま)という島がある。福江島から定期船で30分程度で行ける。島は馬蹄のような形をしている。島全体が重要文化的景観に指定されていて、「世界文化遺産 長崎と天草地方潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産に含まれている。  登録前から観光のためこの島に訪れる人が増えた。二次離島であるためアクセスは限られていて、行きやすいとはとても言えない。この島にかかわらず、12の構成資産はどこも「ついで」に行けるような場所ではない。苦情のような声も聞かれる